a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 4月 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 久慈港から玉の脇岸壁に至る諏訪海岸線道路が九分通り舗装(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 久慈建設事務所では久慈港から玉の脇岸壁に至る諏訪海岸線道路の舗装工事が九分通り完了した。 大しけの度に泥んこになる状態がこれで解消するという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 7 10月 1957 久慈湾で粘土輸送の機帆船がしけで真っ二つ(昭和32年10月7日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 10月7日の明け方3時頃、久慈湾で粘土輸送の機帆船・一洋丸が(99トン)しけにたたき付けられ真っ二つになってしまったという。 この時、波高は4メートルにもなっていたという。 損害は1千万円とも推定された。 … 続きを読む
m県外・参考 3 10月 1957 東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 10月 1957 久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 久慈港の堀込工事は、宮城建設によって進められていた。 この工事の土台となるテトラポット投入は、県内ではじめてケーブルクレーンからの投下によって行われることとなった。 (それまではどんな方法で行われていたのかは書いていない) この方法であれば、どんな荒海でも関… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 8月 1957 江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。… 続きを読む
g北上・和賀郡 31 5月 1957 夏油温泉は森林軌道に乗って(昭和32年5月31日) 昭和32年5月31日の岩手日報より。 北上の山奥にある夏油温泉に行くためには、営林署のトロッコに便乗していくのが普通だったようである。 営林署の貯木場までバスで行き、そこから先は森林軌道のトロッコで行く感じだったのだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 20 4月 1957 タカラビール出荷します 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という… 続きを読む
c久慈・九戸郡 2 4月 1957 三陸沿岸は絶好の潮干狩り日和(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 4月2日は旧暦3月3日で桃の節句。 三陸沿岸は好天に恵まれ潮干狩り日和となり、盛鉄局は山田線や八戸線に臨時列車を出して潮干狩り客をさばいたという。 写真は大槌町の洲崎海岸で、5,000人の人出でにぎわったという。 釜石市の鵜住居海岸でも3,000にんの人出でにぎわ… 続きを読む
l全県 1 4月 1957 国鉄運賃の改定で手荷物運賃も変わります 昭和32年4月1日の岩手日報より。 国鉄運賃の値上げで手荷物運賃も変わることに。 ただ、5kgまでという新区分ができたことで、少量で近距離の輸送には便利になったとしている。 しかし、大口で遠距離の場合大幅な値上げになるという。… 続きを読む
m県外・参考 1 4月 1957 花輪線の小豆沢駅は「八幡平駅」になります 昭和32年4月1日の岩手日報より。 秋田県鹿角郡は秋田県ではあるものの「陸中国」となる。 そのせいでか、岩手銀行や東北銀行の支店があったり、鹿角郡のニュースがこのように掲載されたりする。 その秋田県鹿角郡の宮川村と曙村は前年の昭和31年6月15日に合併し「八幡平村」となっていた。 そこで、花輪線の小… 続きを読む
b二戸・二戸郡 15 2月 1957 エンコして乗客に押される伊保内行きのの県北バス(昭和32年2月15日) 昭和32年2月15日の河北新報岩手版より。 県北地方は連日の吹雪で、山間部は積雪3尺余りとなり、幹線筋以外のバスが運休が相次ぐこととなった。 福岡〜伊保内のバスはかろうじて運行していたが、一旦バスがエンコしようものなら、後から来るトラックなどが次々と通行止めになるわけで、車掌や乗客がバスの後ろを押し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 1月 1957 一関で馬車曳きがバスの邪魔して暴力(S32.1.30河北新報岩手版) 馬車引きという職業が別の職業になれば、まあ令和でもありそうな事件。 馬車引きという職業の民度が知れようというもの。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 28 1月 1957 一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 1月 1957 貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日) 昭和32年1月10日の河北新報岩手版より。 この当時、二戸の木炭は東京駅頭渡しで500円と言う高値を記録していた。 しかし、貨車不足のために1車も出せなかったと言う珍しいことになってしまった。 二戸地方では、年間200万俵の木炭を生産していたが、ほとんどは農業との掛け持ちなので、前年の家は1ヶ月ぐら… 続きを読む
l全県 3 1月 1957 岩手県内の公共企業体から新年の挨拶(昭和32年1月3日) 昭和32年1月3日の河北新報岩手版より。 岩手県内の公共企業体… 国鉄や専売公社などから新年の挨拶広告。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 7月 1956 海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文… 続きを読む
b二戸・二戸郡 5 5月 1956 福岡(二戸)で花見帰りのバスが崖から転落(S31.5.5岩手日報) 九戸村戸田部落の青年会を乗せた県北バスが、福岡町で転落したという。 奇跡的に死者はいなかったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1956 交通安全足もと見れば(昭和31年4月22日) 昭和31年4月22日の岩手日報より。 交通安全に関する写真記事ではあるが、当時の盛岡の道路の様子がわかってもらえるだろう。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 23 2月 1956 3月からの八戸線ダイヤ(昭和31年2月23日) 昭和31年2月23日のデーリー東北より。 この年の3月からの八戸線のダイヤを掲載している。 八戸線は線形が平坦で、早くからガソリンカーが導入されていた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 15 2月 1956 久慈の「魔の踏切」(S31.2.15デーリー東北) 久慈市内には飛び込みの多発する「魔の踏切」があったようだ。 そしてそこではまた飛び込みが発生。 それは久慈市内の主婦で、不倫を清算するつもりだったのではなかったと。 また、この3月から八戸線でダイヤ改正と。 Screenshot… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 2月 1956 岩手〜青森を結ぶ一級国道4号線が50日ぶりに開通(S31.2.10デーリー東北) 青森と岩手、いや外界を結ぶ国道4号線が積雪で閉ざされていたところ50日ぶりに開通したらしい。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 2月 1956 軽米町で国鉄バスをいたずらで運転したら農家に突っ込む(昭和31年2月10日) 昭和31年2月11日の河北新報岩手版より。 2月10日の午前8時40分ごろ、軽米町晴山の県道で、北福岡への折り返し待ちの国鉄バスを、福岡町内の靴屋の28歳の男がいたずらで運転したら、誤って農家に突っ込みバスの前面と農家の縁側を壊した。 被害額は24,000円と言うことであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1956 釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) 釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降… 続きを読む
g北上・和賀郡 5 2月 1956 和賀地方では近年にない豪雪でバスが走れず馬ソリ出動(昭和31年2月5日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 それでなくとも湯田村や沢内村といった和賀郡西部は岩手県内で最も積雪のある地方であった。 ところがこの冬は、それに輪をかけた豪雪となり、湯田村川尻では5日現在で230cmと数十年ぶりの記録的な豪雪であったという。 これでは車は走れず、郵便配達人や警察官はスキー… 続きを読む
c久慈・九戸郡 2 2月 1956 久慈や八戸の行商は新しいディーゼルカーに統制して乗りましょう(S31.2.2デーリー東北) 昭和31年3月から、八戸線には新しいディーゼルカーが導入されることとなった。 これは10系気動車であるが、称号規程改正以前なので「四五〇〇〇型」となっている。 それで、行商組合では「統制して乗車しましょう」と取り決めたのであった。… 続きを読む
g北上・和賀郡 27 1月 1956 横黒線にジョルダン式雪かき車が出動(昭和31年1月27日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 岩手県内でどこが最も雪が積もるかといえば、何といっても西和賀地方である。 その西和賀地方を走る北上線―――当時の呼び方であれば横黒線はこの年も除雪に苦労していた。 それで、横黒線にはラッセル車どころかより広幅のジョルダン式雪かき車が配属されていた。 この年は「例… 続きを読む