l全県 18 5月 1953 昭和28年に岩手県内で売っていた自動車の広告 昭和28年5月18日の読売新聞岩手版に掲載された広告より。 四輪車もさることながら、オート三輪やバイクの広告が目立つ。 日産 ダットサン デラックスセダン ダットサン スリフトセダン 日本内燃機 サンカ― トヨタ トヨペットトラック ホンダ ドリーム号E マツダ CTL(?) エーブ自動車工業 エー… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 3月 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
m県外・参考 4 3月 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 18 10月 1952 市制したばかりの大船渡市の細長い町並みの利便性改善の鍵はバスの便(昭和27年10月18日) 昭和27年10月18日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、第38回目は大船渡市。 この時点で、4月1日に市制したばかりという状況であった。 大船渡市は盛の町並みから大船渡の町並みまで20町あまり、子の広さをバスで縮めないといけないと市では頭を悩ませていた。 大船渡市内を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 10月 1952 盛岡駅構内で「動く鉄道博物館」 昭和27年10月8日の岩手日報より。 国鉄開業80周年を記念して、盛鉄局が主催して盛岡駅構内の「片倉線」で7日から「動く鉄道博物館」が開催されているという。 「片倉線」というのは片倉製糸の引き込み線、ということだろうか。 確かに盛岡市内には片倉製糸の工場があったようである。 ただしネット上だけではそ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 10月 1952 水沢で三菱のオート三輪やモーターバイクの展示会を行います!(昭和27年10月1日) 昭和27年10月1日の岩手日報の広告欄より。 盛岡と水沢に店舗がある自動車販売店・岩手みずしまが水沢でオート三輪やモーターバイクの展示会を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 9月 1952 見前村三本柳の国道でトラックが松の木に衝突して2人死亡(S27.9.30岩手日報) 紫波郡見前村三本柳の一級国道4号線でトラックが松の木に衝突して2名が死亡したという。 東京で買ったトラックを札幌に陸送している最中で、青函連絡船の時間に間に合うように休憩も取らず走って降り居眠り運転であったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1952 秋分の日は列車に乗ってキノコ狩りや栗拾いへ(昭和27年9月23日) 昭和27年9月24日の岩手日報より。 9月23日は秋分の日で祝日であり、盛岡駅はキノコ狩りや栗拾いに行く行楽客でにぎわった。 特に5:55発の東北本瀬下り(北福岡・八戸方面)、6:11発の山田線、6:12発の橋場線は行楽列車の様相を呈していたという。 奥中山(一戸町)のキノコは最盛期、山田線の大志田… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1952 釜石からサンマを積んで来たトラックが徳田村で軒先に突っ込む(S27.9.23岩手日報) 釜石から盛岡へサンマを積んできて、釜石へ帰る予定だったトラックが紫波郡徳田村高田(現在の矢巾町)でハンドル操作を誤って民家の軒先に突っ込み小学生たちが重軽傷というニュース。 片手運転でタバコに火をつけたのだというが、パワステのない重ステの時代にこれは無謀。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 21 9月 1952 釜石港も宮古港もサンマ漁船でいっぱい(S27.9.21岩手日報) サンマ漁のシーズンとなり、岩手からも船団が漁場を目指す。 釜石港も宮古港も賑わっている。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 19 9月 1952 花巻駅のラッシュアワー 昭和27年9月19日の岩手日報より。 花巻駅のラッシュアワーは、上り(盛岡方面)が6:04、下り(一ノ関方面)が6:44到着で、通勤・通学者は上りが450名、下りが1640名であるという。 そのすべてが花巻駅で乗るわけではなく、釜石線から640名、温泉電車から810名が乗り換えるという。 花巻始発で… 続きを読む
l全県 16 9月 1952 キャベツ・さんまの輸送シーズンに貨物列車増発(昭和27年9月16日) キャベツなどの秋野菜、サンマなどの秋魚、そして冬に向かって木炭などの輸送の為に、盛鉄局では昭和27年10月1日~12月末の間に、貨物列車を増発することを9月16日に決定した。 内訳は以下の通り。 東北本線 3往復 八戸線 1往復 大船渡線 1往復 10月~12月までの間、現在の出荷量より以下の増加が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) 敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 馬力大会で「農村タクシー」続々 昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1952 岩手日産自動車の広告「ダットサン特別販売!!」(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車は、この時期の盛岡の自動車販売店の例にもれず、菜園にあった。 そしてこの時期は、ダットサンの特別販売のキャンペーンを打っており、バイクモーターやタイヤチューブが当たり抽選付きであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1952 岩手自動車商会「強力無比なGMCトラック!」(S27.9.8岩手日報) 岩手自動車販売の広告で、GMCトラックを売るという。 新築地とは確か開運橋の近く。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 9月 1952 国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日) 敗戦による軍事技術の禁止により、日本の航空路も一切禁じられていたところ、昭和26年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便として羽田~伊丹~福岡が復活、その後11月1日に羽田~三沢~千歳が復活した。 盛岡市内では交通公社で飛行機の切符を買うことができたのだが、まったく売れなかった。 昭和27年に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1952 釜石立ち寄りの貨客船にアメリカの旅行団 昭和27年9月4日の岩手日報より。 2日朝に釜石に入港した「マーチン・ベェクス」(5484トン)からアメリカの12人の観光団が上陸、旧盆で賑わう釜石市内を観光した。 この船は、サンフランシスコを出帆しマグネシアクリンカー1000トンを荷揚げし、横浜に立ち寄ったのちにシンガポールへ行くという。 日本最… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 あまりに雑すぎる広告地図(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市内の洋品店の広告のようだが、余りに地図が雑すぎて最初どこだか分からなかった。 特に盛岡駅との位置関係。 盛岡郵便局(現在のブラザおでっての位置)がなければ分からなかったのではないだろうか。 盛岡駅前の、開運橋の通りをまっすぐ行けば... まず七十七銀… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1952 仙人峠トンネル着工(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 遠野と釜石を結ぶ仙人峠トンネルが着工下という。 これは釜石鉱山の探鉱を兼ねるもので、アメリカから最新機器を導入して開始したのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 9月 1952 秘湯・須川温泉に自動車道路が開通!(ただし秋田県側から…)(昭和27年9月2日) 新聞記事の表現を借りると「海抜五千尺」の秘境・須川温泉に自動車道路が開通し、昭和27年9月2日に初のトラックが須川温泉に到着した。 須川温泉は一応、岩手県西磐井郡厳美村(現:一関市)にあるのだが、今回開通した道路は秋田県の十文字からつながるもので、岩手県側からは相変わらず5里(20km)の山道を汗だ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 28 6月 1952 一戸〜伊保内の県北バス試乗記(昭和27年6月28日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 県北バスの一戸〜伊保内線は6月29日に開業したようだが、それに先立つ6月28日、試乗会が行われた。 その記録。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 5月 1952 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 3月 1952 一関で県南バスが磐井川に転落 昭和27年3月2日朝8時過ぎ、西磐井郡萩荘村黒沢字本町の県道で萩荘行きの県南バスが、前方に止まっていたリヤカーを避けようとして右にハンドルを切ったら雪で滑り磐井川に転落、重軽傷者12名を出した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 2月 1952 貨物列車が盛岡駅に到着したら後ろ12両貨車が無い!? 昭和27年2月25日の18時45分、青森発大宮行きの貨物列車が14分遅れで盛岡駅に到着した。 そうしたところ、連結されているはずの貨車の後ろ12両が無くなっているではないか! 調べてみたら、その12両は滝沢駅にあった。 何者かが意図的に連結器を外したに違いない。 事件は盛岡警察署に連絡され、捜査が始… 続きを読む
m県外・参考 14 2月 1952 仙鉄局の新しい社宅 昭和27年2月14日の河北新報より。 岩手県のニュースではないが、当時の最新鋭の住宅事情について触れているので。 仙石線の榴ヶ岡駅前に国鉄の社宅が完成した。 この当時、仙台には鉄道公舎が400世帯分あったと言う。 しかし、そのほとんどが築30年以上も老朽化したものであったと言う。 それで、前年から新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 8月 1951 橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日) 昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。 現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。 昭和19年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1951 慶應ボーイが自動車で東日本一周(S26.8.3岩手新報) 慶應義塾大学の学生数名が自動車で東京〜福島〜仙台〜盛岡〜青森〜新潟〜長野〜東京と東日本を一周するのだという。 そのついでに、岩手新報社に寄ったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1951 盛岡鉄道管理局1周年のご挨拶(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡鉄道管理局は開設され1周年を迎えた。 そこで幹部が挨拶広告。 当時の盛鉄局の問題も見て取れよう。… 続きを読む