m県外・参考 8月 9日 1939 鉄道省「不要不急の旅行は止めましょう!…でも健康の為に徒歩旅行はしましょう」(昭和14年8月9日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 かねて、鉄道省では「不要不急の旅行は止めましょう!」と呼び掛けてきた。 それは、軍需輸送の為に貨物を優先するためである。 ・・・が、運動をしないことで青年たちの健康に差し障っている事も問題とされていたようである。 それで、「青年徒歩旅行コース」として全国に30か… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 19日 1939 黒沢尻(北上)の踏切の自殺は徴兵検査に不合格を悲観?(昭和14年7月19日) 昭和14年7月21日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)の黒沢尻中学校前の踏切で、列車が驀進中に白面の青年が飛び込み自殺したのだという。 調べるとそれは稗貫郡宮野目村(現:花巻市宮野目)の21歳の洗濯店外交員で、平常通り店から外交に出たまま行方が分からなくなっていたという。 先日の徴兵検査に不合… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 18日 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
l全県 7月 1日 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1939 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破しよう(S14.7.1新岩手日報) 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破して、明治天皇の東北巡幸の足跡をたどるという気宇壮大なツアーが開催されるという。 7月18日に三日間かけて東京に到着して、帰りは2日で済ませているようだが、これは列車か何かで帰ると言うことをだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 20日 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 7日 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
l全県 3月 5日 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 1日 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1937 盛岡~日詰のバスは佐藤自動車(昭和12年5月28日) 昭和12年5月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスは、国家総動員法に基づいて制定された陸運統制令(昭和15年1月31日勅令第37号)によって、盛岡周辺の小規模なバス事業者が統合されて成立したものである。 いわゆる「戦時統合」「戦時合併」として知られているものだ。 … 続きを読む
m県外・参考 11月 8日 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 3日 1936 ハーレー・ダビットソンの正しき国産化は「陸王」!(昭和11年11月3日) 昭和11年11月3日の岩手日報より。 盛岡市穀町の藤健モーターサイクルが、陸王について広告を出している。 何でも「ハーレー・ダビットソンの正しき国産化」なのだそうな。 ちなみに穀町とは現在の盛岡市南大通。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 31日 1936 岩手軽便鉄道の買収額は162万7000円(昭和11年10月31日) 昭和11年11月1日の岩手日報より。 釜石線の花巻から足ヶ瀬までは、もともとは岩手軽便鉄道であり、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになった路線でもある。 戦前に、ナローゲージのまま鉄道省に買収されて「釜石西線」になるのだが、その時の買収額は1,627,000円であったと言う。 後は、前田鉄道大臣の… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 22日 1936 日本海と東海岸を結ぶ道路の開鑿へ(S11.8.22岩手日報) 秋田県の本荘〜大曲〜花巻〜釜石を結ぶ道路を建設しようと、花巻町役場で大曲町の関係者と会合が持たれたというニュース。 現在の国道107号戦(本荘〜横手〜北上〜大船渡)が現在のそれに近いだろうか。 しかし当時は「三陸沿岸」とは言わず「東海岸」と言っていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 1日 1936 岩手軽便鉄道は今日から国鉄!(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 岩手軽便鉄道がこの日から国有化されることになり、沿線の喜びはひとしお。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1936 ヂャイアント号自動三輪車は盛岡・テルイモータースで!(昭和11年5月6日) 昭和11年5月6日の岩手日報より。 今なおWikipediaに単独項目が立っているオート3輪「ヂャイアント」の広告。 盛岡では四ツ家にあるテルイモータースという販売店が総代理店になっていた模様。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 4月 29日 1936 大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 大船渡の港に、世界的に有数のタンカーであるノールウェイドラフン号が着岸した。 このドラフン号は、12,000トンであると言う。 そして、4500トンの重油を日石タンクにあげた。 この巨大の船の入稿に、気仙郡の郡民の見物客は500人から600人に及んだと言う。 子供… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 3日 1935 盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 2日 1935 釜石〜宮古の定期自動車(昭和10年3月2日) 昭和10年3月2日の岩手日報より。 ここからには、釜石と宮古の間の定期自動車の広告が出ている。 釜石・大槌・山田・宮古の止まる場所の電話番号は書いているが、具体的な時刻は書いていない。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 9月 3日 1934 祝・細浦〜大船渡間開通(S9.9.3岩手日報) 大船渡線の細浦〜大船渡間が開通した記事。 「三陸の宝庫開かれん」と喜びをあらわにしている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 1934年式ハーレー・ダビットソン750CC自動三輪車発売中(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 盛岡の藤健自転車店ではハーレー・ダビットソンの750CC自動三輪車を発売するという。 価格までは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) この当時、米を東京方面に運び出すとすれば、ほぼ100%は鉄道による輸送だったので、その土地貯蔵のための倉庫は各駅前に置かれた。 矢幅駅前に、県内一の大きな倉庫が建てられたのだと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1932 盛岡警察署の交通取締の結果(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 盛岡警察署では、10月18日〜30日まで各交番を指揮して交通一斉取り締まりを実施した。 その結果は以下の通り。 告発 28件 自動車無免許運転 3件 自動車泥除け無し 1件 自動車規定表示無し 6件 貨物自動車に乗車 1件 自転車警告設備無し 5件 自転車無灯火 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1932 岩手軽便鉄道では木炭の出荷が激増(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 岩手軽便鉄道貨物課の調べでは、この年の上半期(昭和7年4〜9月)の貨物の動きは右の表の通りであると明かした。 特に木炭は激増しており、東京方面で買い手がついたのだという。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1932 花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) 昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡〜日詰のバスは「佐藤自動車部」という事業者が運営していたようだ。 戦時合併で「岩手中央バス」が発足するのは昭和18年のこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 20日 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工 昭和6年9月20日の岩手日報より。 4月24日に着工した盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場は近く完成の見込みであり、12月1日から作業を開始するという。 完成すれば、客貨車の車輪の交換や洗浄などが行われるという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 4日 1931 水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日) 昭和6年9月4日の岩手日報より。 水沢〜岩谷堂のバス時刻表が掲載してある。 当時は「胆江自動車」と「水岩自動車」が共同運行していたようだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 1日 1931 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工 昭和6年9月1日の岩手日報より。 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り完成し、9月20日頃祝賀会を行うという。 大まかに言えば水沢と江刺を結ぶ道路上に架けられたのだが、実際には胆沢郡佐倉河村と江刺群愛宕村ということになる。 祝賀会の会場は愛宕村にするべきか、岩谷堂町(昭和33年に江刺市が発足する際の中心… 続きを読む