a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 9月 1947 トヨタ小型トラック(トヨペット)発表会(昭和22年9月27日) 昭和22年9月27日の新岩手日報より。 広告欄では、岩手トヨタが菜園で小型トラックの発表会をするという。 それなりの規模の事業者が相手であったとおもわれる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 6月 1947 盛岡駅 発車時刻表(昭和22年6月) 日本交通公社「主要駅時刻表」(昭和22年6月)より。 昭和22年の鉄道ダイヤについて (Wikipediaより) 1月4日、石炭事情の極度の悪化から大規模な列車削減が行われる。列車の走行キロは日15万キロと終戦時の約26万キロの57%にまで落ち込み、急行列車、準急列車、二等車(現:グリーン車)が全廃… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日) 8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎える。 その時岩手はどうであったか。 岩手日報からその様子を抜き出してみたい。 盛岡工機部(国鉄盛岡工場)の大詔拝聴 仙台鉄道局盛岡管理部の終戦の勅語拝聴は、15日正午から盛岡駅貨物取扱所で行われた。 岩手日報の書きぶりをそのまま抜き出すと、 この日管内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 8月 1945 盛岡駅「乗車券発行制限で定期券の購入が増えたのはいいんですけど…」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報より。 盛岡駅の統制官は言う。 「最近、乗車券の発行制限の強化で定期券の購入がやたら増えたのですが、その定期券購入所だって登録した役所とか病院に限ってますが、その申請書を出していないところが、特に盛岡に多いので支給申請してください。 これまでは申請が無くても特別に発行… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 7月 1945 地下壕で執務する盛岡管理部(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 「警報下の地下壕で執務する盛岡管理部」とだけキャプションがあるが、どこの会社やら省庁やら判然としないが、「盛岡管理部」という呼称を明確に使用していたのは仙台鉄道局ではないだろうか。 … 続きを読む
l全県 10 7月 1945 仙台鉄道局では7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」とする(昭和20年7月10日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 仙台鉄道局では、戦時体制の維持の為に、7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」と定めることにした。 これは、軍需省(昭和18年に商工省から改組)の定める重要資源と、食糧以外の輸送を極力抑制し、それ以外の貨物の受付を場合によっては拒絶するというもの。 また… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 12月 1943 釜石鉱山鉄道の従業員募集(昭和18年12月1日) 昭和18年12月1日の新岩手日報より。 釜石鉱山鉄道では、従業員を募集している。 職務内容は、運転士・車掌など。 募集は、県内各地の国民職業指導所にて。 … 続きを読む
l全県 1 12月 1943 千葉県の第二海軍航空廠で工員募集(昭和18年12月1日) 昭和18年12月1日の新岩手日報より。 求人広告では、千葉県の第二海軍航空廠で工員を募集している旨。 第二海軍航空ショーとは、現在の航空自衛隊木更津分屯基地となる。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 1月 1942 戦時下でも津軽石川の川開きは大盛況(昭和17年1月8日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭の名産地・津軽石川の川開きは全国的に有名となっており、東京方面からも見物客が来ていたという。 昭和17年の川開きは1月8日。 魚の魚体は小さいが2万~2万5千本ぐらいは漁獲できるのではないかと予想していた。 また、魚自体が品不足で見物方々食糧獲得で颯… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 記者が古参機「8620型」に同乗して山田線を取材 昭和16年11月28日の岩手日報より。 「国防国家の運勢は鉄道事故の発生によって支障をきたす・・・」という書き出しで始まっているが、鉄道の機関士の仕事がどのようになっているかを取材すべく、記者が機関車に同乗して取材することになったようである。 記事によれば「支線にのみ使用されているという八六二〇型機… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 ニッサンバス・トラックは振興自動車で!(S15.8.1新岩手日報) 広告欄より。 ニッサンバス・トラックは盛岡市仁王菜園に振興自動車で、と。 現在の仁王小学校から本町通や中央通すら越えた菜園のあたりも戦前は「仁王」だったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報の広告欄より。 日産トラックの広告が掲載されているが、販売店の住所が「盛岡市仁王菜園」と書いてある。 菜園と言えば、この記事を書いている令和4年現在の川徳デパートの所であるのはいいとして、「仁王」なのか。 「仁王」と言えば、仁王小学校がある本町や上盛岡駅周辺の、中央通… 続きを読む
b二戸・二戸郡 13 1月 1940 省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 前年、省営バス(国鉄バス)二戸線の北福岡~荒屋新町が開業して初めての冬を迎えることになった。 1月13日は浄法寺~荒屋新町間の最も難所とされている陸奥日影~陸奥川原および大柳~荒屋新町間各1キロの除雪を、住民70名余りが「奉仕的に」買って出ることとした。 この結… 続きを読む
m県外・参考 9 8月 1939 鉄道省「不要不急の旅行は止めましょう!…でも健康の為に徒歩旅行はしましょう」(昭和14年8月9日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 かねて、鉄道省では「不要不急の旅行は止めましょう!」と呼び掛けてきた。 それは、軍需輸送の為に貨物を優先するためである。 ・・・が、運動をしないことで青年たちの健康に差し障っている事も問題とされていたようである。 それで、「青年徒歩旅行コース」として全国に30か… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 19 7月 1939 黒沢尻(北上)の踏切の自殺は徴兵検査に不合格を悲観?(昭和14年7月19日) 昭和14年7月21日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)の黒沢尻中学校前の踏切で、列車が驀進中に白面の青年が飛び込み自殺したのだという。 調べるとそれは稗貫郡宮野目村(現:花巻市宮野目)の21歳の洗濯店外交員で、平常通り店から外交に出たまま行方が分からなくなっていたという。 先日の徴兵検査に不合… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破しよう(S14.7.1新岩手日報) 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破して、明治天皇の東北巡幸の足跡をたどるという気宇壮大なツアーが開催されるという。 7月18日に三日間かけて東京に到着して、帰りは2日で済ませているようだが、これは列車か何かで帰ると言うことをだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 3月 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
l全県 5 3月 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1937 盛岡~日詰のバスは佐藤自動車(昭和12年5月28日) 昭和12年5月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスは、国家総動員法に基づいて制定された陸運統制令(昭和15年1月31日勅令第37号)によって、盛岡周辺の小規模なバス事業者が統合されて成立したものである。 いわゆる「戦時統合」「戦時合併」として知られているものだ。 … 続きを読む
m県外・参考 8 11月 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1936 ハーレー・ダビットソンの正しき国産化は「陸王」!(昭和11年11月3日) 昭和11年11月3日の岩手日報より。 盛岡市穀町の藤健モーターサイクルが、陸王について広告を出している。 何でも「ハーレー・ダビットソンの正しき国産化」なのだそうな。 ちなみに穀町とは現在の盛岡市南大通。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 31 10月 1936 岩手軽便鉄道の買収額は162万7000円(昭和11年10月31日) 昭和11年11月1日の岩手日報より。 釜石線の花巻から足ヶ瀬までは、もともとは岩手軽便鉄道であり、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになった路線でもある。 戦前に、ナローゲージのまま鉄道省に買収されて「釜石西線」になるのだが、その時の買収額は1,627,000円であったと言う。 後は、前田鉄道大臣の… 続きを読む