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大船渡では引揚者が自力で更生市場(昭和24年11月1日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡では引揚者が自力で更生市場(昭和24年11月1日)

  昭和24年11月1日の岩手新報より。 気仙郡大船渡町では、引揚者が町議会議員の協力を得て国からの援助を断って自力で公正市場を作り上げたのだと言う。 そしてその途上では、世間の冷笑があったのだと言う。 現代の観点からだと、ちょっと想像しにくい話なのだが、引揚者が自分たちで生活を更生しよう…
第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) l全県

第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日)

昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく…
盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日)

昭和24年7月1日の岩手新報より。 盛岡市穀町(現在の南大通)に、子供たちにお金をまくアメリカ人少女が現れたという。 その少女は名前も名乗らずにどこかへ消えたのだという。 これに対しGHQの岩手軍政部では「アメリカではいつものこと」とコメントした。  …
金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日) b二戸・二戸郡

金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日)

昭和24年5月3日の新岩手日報より。 青森県の新郷村から岩手県の二戸郡にかけて、盆踊りで「ナニャドヤラ」(新聞の文中では「ニヤニヤトヤラー」)が歌われるが、これはヘブライ語由来ではなく、方言が添加したものであると言う金田一京助の学説を紹介した。  …
引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日)

昭和22年12月1日の新岩手日報より。 戦争が終わり、満州や朝鮮にいた人は引き揚げてきたわけだが、その経済的な貧窮は社会問題となっていた。 このために「角田屋事件」という誘拐事件まで起きたほどである。 これを憂慮してから、引揚者援護のために歌謡舞踊コンクールや大ダンスパーティーを開催すると言う事だっ…
樺太からの脱出者に聞く樺太の現状(昭和21年7月1日) d宮古・下閉伊郡

樺太からの脱出者に聞く樺太の現状(昭和21年7月1日)

昭和21年7月1日の岩手日報より。 終戦後10か月余り、ソ連に占領された南樺太で生活を続け、昭和21年に年が明けてから脱出した宮古市内の30歳の男性に、終戦後の樺太の様子を聞くことにした。 終戦時の混乱 国境近くの気屯飛行場で警備にあたっていた。 その後敷香まで土工を率いて敷香に行くことを命ぜられた…
大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日)

昭和11年5月1日の岩手日報より。 大船渡の港に、世界的に有数のタンカーであるノールウェイドラフン号が着岸した。 このドラフン号は、12,000トンであると言う。 そして、4500トンの重油を日石タンクにあげた。 この巨大の船の入稿に、気仙郡の郡民の見物客は500人から600人に及んだと言う。 子供…
ブラジル移民大募集 l全県

ブラジル移民大募集

昭和8年3月2日の岩手日報より。 岩手県庁がブラジルへの移民を募集している。 「3人以上の家族に限る」としているのは、労働力を求めていたサンパウロ州政府側がそのように求めていたため。      …
【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」 備考※1

【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」

岩手とは直接関係ないニュースではあるが、時代相を知る資料として。 満州事変の事実関係の調査を行った「リットン調査団」の調査報告書を国際連盟の場で採択することになった。 要は「日本が悪い。満州から手を引け」と。 松岡洋右は流暢な英語で長広舌の演説を行ったが、結局は42対1で採択される。 これに対し、松…
中華民国の大水害に岩手県下でも義援金(S6.9.11岩手日報) l全県

中華民国の大水害に岩手県下でも義援金(S6.9.11岩手日報)

昭和6年9月11日の岩手日報には、当時の中華民国で発生した未曾有の大水害に対し、岩手県内でも義援金募集が始まったことが報じられています。 1931年中国大洪水は、黄河・長江・淮河流域を襲った一連の洪水で、記録上最悪級の自然災害とされます。前年までの旱魃に続く豪雨と雪解け、さらに活発だった台風活動が重…
「一寸法師歌劇団」が来朝(S4.9.5岩手日報) m県外・参考

「一寸法師歌劇団」が来朝(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月3日、ある小さな人々の一行が「来朝」したとの報が、9月5日の『岩手日報』に掲載された。その名も「一寸法師歌劇団」。男女混成の近代的な一座でありながら、身長わずか二尺三寸(約70cm)から二尺九寸(約100cm)という小人症の団員たちで構成された異色の歌劇団である。 団員たちは、いわゆる「…
ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報)

昭和3年(1928年)9月2日付『岩手日報』は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の菊池賢次郎教授が、3年にわたるドイツ留学から帰国したことを伝えています。菊池教授は、家畜病理学の研究を目的に渡欧し、現地での実地研究と視察を重ねて帰国。帰途にはフランス、さらには南北アメリカにも立ち寄り、国際的な…