中等教育 1月 19日 1979 【参考】初の共通一次試験(S54.1.19中日ニュース) これまでの国立大学は「一期校」「二期校」であったところ、この年から「共通一次試験」が行われるようになった。 もちろん岩手県内でも行われている。 https://youtu.be/TiQiIZQLUkE… 続きを読む
備考※1 1月 30日 1976 【参考】受験シーズン(S51.1.30中日ニュース) 受験シーズンとなり、願掛けも大賑わいとかそんなニュース。 https://youtu.be/dEvlZlD0Ngw?si=AM7EkwYu3Noq2St2 … 続きを読む
備考※1 1月 24日 1969 【参考】東大入試ついに中止(S44.1.24中日ニュース) 学生運動があまりにひどくて東大入試は中止。 昭和27年生まれの受験生は東大に現役合格することができなくなった。 https://youtu.be/wcuQR8pCNiw?si=I4gYovnFH19rvbEh … 続きを読む
備考※1 12月 20日 1968 【参考】学園紛争(昭和43年12月20日) 昭和43年12月20日の中日ニュースより。 この時期、全国の各大学で学生運動が盛んに行われていた。 https://youtu.be/_JoeqTQX-AY… 続きを読む
事件・犯罪・司法 10月 21日 1968 【参考】国際反戦デーで新宿が騒乱状態(昭和43年10月21日) 学生運動が盛んだった頃。 国際反戦デーで新宿は騒乱状態に。 https://youtu.be/MkYT-j6S2tI … 続きを読む
i一関・西磐井郡 12月 2日 1963 一関は短大にも逃げられそうなのに国立高専なんて(S38.12.2岩手報知) この時期、一関は国立高専誘致問題で揺れていた。 と言うのは、一関にある修紅短大が水沢に移転しようとしていたのだ。それも、一関市は何ら補助をしないということで。 コラムにも「一関一高や二高だけでなく、私立の一関商工(現:一関学院)や修紅も高校なんだ」と書かれている始末。… 続きを読む
m県外・参考 3月 29日 1963 国立高専は入学取消が続出 昭和38年3月29日の岩手日報より。 昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。 これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。 ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 11日 1960 東北大「山田町は赤皿貝の養殖に適してますよ!」(昭和35年1月11日) 昭和35年1月11日の岩手日報より。 下閉伊郡山田町は、東北大学生物学教室に依頼し、山田湾の赤皿貝の養殖について調査を行っていた。 その結果。養殖に有望な敵地であるという結果を得ることができた。 それまで、赤皿貝の養殖というと青森県の西平内海岸で透析して付着させる、会の耳に穴をあけてビニールの紐に吊… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 29日 1959 伊勢湾台風に乗って熱帯の鳥が盛岡に?(昭和34年9月29日) 昭和34年9月29日の岩手日報より。 岩手県内にも被害をもたらした伊勢湾台風であるが・・・ 盛岡市穀町(現在の南大通)の飲み屋の店長が、台風一過の店先で見慣れない鳥が弱っているのを発見した。 鳩より少し大きいようだが・・・? それで、鳥類の権威者である岩大農学部の助教授に鑑定を依頼する… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 19日 1958 弘前大学に野辺地分校? 昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。 久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。 弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・ Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。 (Wikipedia「青森青年師範学校」より)… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 1日 1958 久慈郵便局では学生アルバイトが年賀状配達(昭和33年1月1日) 昭和33年1月4日のデーリー東北より。 久慈郵便局では、元日の年賀状配達のアルバイト21名が集合して、局長に激励され市街地各地で配達をスタートした。 高校生18名、大学生3名であったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中国青年団は盛岡を見てハオハオの連発(S32.4.20岩手日報) 中国友好青年団は、全国を見て歩いていたが、盛岡に来て岩手大学の温室を見たり、わんこそばを食べたりしてハオハオの連発であったと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 29日 1957 岩手県内看護学校入学案内(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 看護学校の入学案内。 中卒程度の准看護師の方が需要があったのだろうか。… 続きを読む
m県外・参考 1月 21日 1957 東京都内私立大学入学案内(昭和32年1月21日) 昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 広告欄には東京都内の私立大学の案内が。 どのくらいの家庭の子が入学できて、どんな就職先に就職できて、どう扱われたのかは不明。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 8日 1956 東大に何人入ったか 「週刊読売」昭和31年4月8日号によれば、岩手県内からの東大合格者は以下の通り。 盛岡一高 3名 一関一高 3名 花巻北高 2名 釜石高 1名 ちなみに全国でのランキングは以下の通り。 日比谷高 96名 小石川高 73名 西高 63名 戸山高 58名 両国高 54名 麻布高 44名 新宿高 42名 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1954 早稲田大学グリークラブが岩手県公会堂で公演(S29.8.1岩手日報) 早稲田大学グリークラブは東北や北海道を回って公演をしていたようだが、7月31日は岩手県公会堂で公演したという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 28日 1954 盛岡郵便局で岩大学長が一日局長となり、ガチで仕事する羽目に 郵政週間の行事の一つとして、盛岡郵便局では県内の名士に一日局長をお願いしているが、今回は鈴木重雄岩手大学学長。 昭和29年4月29日読売新聞岩手版より。 鈴木学長は盛岡高等農林学校の校長であったものが学制改革でそのまま初代岩手大学学長となったものである。 午前10時に出勤し、局内の課長や組合幹部と話… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 3日 1954 岩手大学入試始まる 昭和29年3月3日の岩手日報より。 この日は、国立一期校の入試の日であったという。 岩手大学は国立一期校であった。 この2~3日前は、東京や仙台に受験に行く受験生が、在校生の見送りを受けて盛岡駅を出発していったという。 逆にこの日は、全国から受験生が盛岡に集まってきていた。 岩手大学は入学定員680… 続きを読む
l全県 10月 5日 1952 大学入試センター試験ならぬ「進学適性検査」(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報の広告欄より。 この当時、国立の新制大学を受験する人は「進学適性検査」を受けなければならなかった。 そのあたりの詳細は、以下のページに書いてある。 後年でいう共通一次試験、センター試験同様「国立大学受験者はこの試験を受けなければいけない」という性質のものであるようだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 18日 1952 岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日) 岩手県民はどのような理由で死ぬのか。 岩手大学農学部小柳達男氏が県内の地域別に死因の調査を行った。 米作地(水沢):10万人 死亡者・・・10万人中213.3人 脳溢血・・・同 38.3人 結核 ・・・ 同 24.4人 乳児栄養不良 ・・・ 同 22.3人 畑作地(福岡(二戸)):7万人 死亡者・・… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 慶應ボーイが自動車で東日本一周(S26.8.3岩手新報) 慶應義塾大学の学生数名が自動車で東京〜福島〜仙台〜盛岡〜青森〜新潟〜長野〜東京と東日本を一周するのだという。 そのついでに、岩手新報社に寄ったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1950 盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 当時の大学入学の共通テストである「進学適性検査」が、盛岡・一関・釜石の3会場で行われた。 当時は、大学入試センター試験も共通一次試験もないが、アメリカの意向によりそのようなテストが導入されたようだ。 ちなみに、昭和30年頃なくなったようであるが、以下の論文に詳し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 10日 1949 金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日) 昭和24年9月10日の岩手新報より。 9月1日に岩手大学は開校したものの、学長就任問題というのがあったようである。 開校時点では、旧盛岡高等農林学校の鈴木校長が「事務取扱」として学長の業務を行っていた。 しかし、複数名の候補がおり、それぞれについて紛糾しており文部省としても誰にするか決めかねていたよ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1949 キティ台風の暴風の中、岩手大学の開校式(昭和24年9月1日) 昭和24年9月2日の岩手新報より。 学制改革により盛岡高等農業学校や盛岡高等工業学校、岩手師範学校などが合併して「岩手大学」が発足した。 9月1日の開校式典は、キティ台風による暴風の中で開かれた。 しかし、534名の新入生は定刻の8時半には登校していたという。 新入生はそれぞれの学部で専門課程につい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 19日 1949 高松の池で日本学生氷上競技大会(昭和24年1月19日) 昭和24年1月19日の岩手日報より。 第20回日本学生氷上競技大会が盛岡市の高松の池で行われ、開会式が県公会堂で行われるという。 それで、全国から400名の大学スケート・ホッケーの選手が盛岡に集まった。 日程は以下の通り。 1月19日 開会式(県公会堂) 1月20日 アイスホッケー1回戦 スピードス… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1943 ⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報) この年の10月21日、東京の明治神宮では学徒出陣壮行式が行われた。 岩手日報でも、早稲田大学の学生が郷土の連隊に入隊したということが報じられているが、「⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営した早稲田大学学徒が八幡宮にお参り」とは行っても、この当時県内で市制していた市(盛岡・釜石・宮古)で軍隊も八幡… 続きを読む