国立高専は入学取消が続出

昭和38年3月29日の岩手日報より。

昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。
これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。

ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最も近いのは仙台の宮城高専か青森の八戸高専かという状態であった。

その高専であるが、腕試しで受験した「二マタ受験生」が普通高校に流れ、入学取消が相次いでおり、繰り上げ合格などで入学者の確保に躍起になっているという。

全国24校の高専のうち、定員に近い入学者を確保できたのは新居浜・鈴鹿・高知・高松・鶴岡・阿南・静岡・宇部ぐらいのものであったという。

定員割れが深刻なのは群馬・明石・宮城の3校。

ここで「深刻だ」と言われていない長野高専でも、入学受付前なのに合格者の約半数が入学を取り消したという。

昭和38年の高校入学ということは、昭和22年生まれということになり、ベビーブーム世代ということになる。
全体的に、高校の入学者を増やさなければいけない雰囲気もあったという。

関係者は「普通高校の収容力が増えたから、そちらに乗り換える受験生が多かったのではないか」と分析していた。

入学取消の多い高専は以下の通りであったという。

  • 八戸高専 ・・・ 4月から入学を受け付けるが40人が辞退
  • 宮城高専 ・・・ 66人が辞退、70人の次点組に勧誘中
  • 群馬高専 ・・・ 定員120人に対し手続き終了は35人
  • 岐阜高専 ・・・ まだ定員に27人不足
  • 明石高専 ・・・ 定員120人に対し手続き終了は54人。特に電気工学科は定員40人に対し14人。
  • 大分高専 ・・・ 入学手続き開始だが、80人以上が入学辞退
  • 有明高専 ・・・ 受け付け開始前だが、29人が辞退
  • 鹿児島高専 ・・・ 定員不足が46人。次点組を勧誘中

 

 

 


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