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市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) l全県

市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日)

昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。     &nbs…
講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日)

昭和27年5月1日の岩手新聞より。 この年の4月28日、サンフラなシスコ講和条約が発効し、日本は国家主権を回復した。 そのおかげで、これまでGHQに「軍国主義につながる」と禁じられていた柔道や剣道などが解禁されることになった。 それで、盛岡のY小学校では騎馬合戦が繰り広げられることになったという。 …
鵜住居中学校の校舎が近く完成(S26.1.31岩手新報) e釜石・遠野・上閉伊郡

鵜住居中学校の校舎が近く完成(S26.1.31岩手新報)

現在は「釜石鵜住居復興スタジアム」が建っている釜石市鵜住居は、昭和の大合併までは「上閉伊郡鵜住居村」だった。 その鵜住居村の中学校の新校舎が建設中であった。 この鵜住居中学校が箱崎中学校・栗林中学校と合併し「釜石東中学校」となるのは昭和49年のこと。…
GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日)

昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い…
盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日)

昭和25年2月1日の新岩手日報より。 当時の大学入学の共通テストである「進学適性検査」が、盛岡・一関・釜石の3会場で行われた。 当時は、大学入試センター試験も共通一次試験もないが、アメリカの意向によりそのようなテストが導入されたようだ。 ちなみに、昭和30年頃なくなったようであるが、以下の論文に詳し…
公立高校の募集状況(昭和25年2月10日) l全県

公立高校の募集状況(昭和25年2月10日)

昭和25年2月10日の新岩手日報より。 公立高校の募集状況は以下の通りとなっており、応募定員が釣果したのはわずかに盛岡・一関の両校だけであったという。 ちなみに、当時の盛岡高校は商業科が分離されておらず、柏高校とは盛岡農業高校、高松高校とは盛岡工業高校のこと。    …
上閉伊郡某高校とか言われても・・・(昭和25年2月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

上閉伊郡某高校とか言われても・・・(昭和25年2月3日)

昭和25年2月9日の新岩手日報より。 遠野町の商店で、上閉伊郡某高校の全日制と定時制の生徒が盗みを働いたというが、しかし上閉伊郡遠野町の高校というともう限られているのではないだろうか。 まして全日制と定時制の両方あった学校なんて・・・ ちなみに、遠野町が市制するのは昭和29年.  …
岩手県教育委員会発足1周年(昭和24年11月1日) l全県

岩手県教育委員会発足1周年(昭和24年11月1日)

昭和24年11月1日の岩手新報より。 昭和23年7月15日に「教育委員会法」が公布・施行され、各都道府県に教育委員会が設立されて1周年となった。 令和現在の教育委員会と違うのは、この当時は教育委員も選挙によって選ばれていたと言うことである。 ともかくも、戦前の「地方学事通則」から変わった教育委員会と…
金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日)

昭和24年9月10日の岩手新報より。 9月1日に岩手大学は開校したものの、学長就任問題というのがあったようである。 開校時点では、旧盛岡高等農林学校の鈴木校長が「事務取扱」として学長の業務を行っていた。 しかし、複数名の候補がおり、それぞれについて紛糾しており文部省としても誰にするか決めかねていたよ…
キティ台風の暴風の中、岩手大学の開校式(昭和24年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

キティ台風の暴風の中、岩手大学の開校式(昭和24年9月1日)

昭和24年9月2日の岩手新報より。 学制改革により盛岡高等農業学校や盛岡高等工業学校、岩手師範学校などが合併して「岩手大学」が発足した。 9月1日の開校式典は、キティ台風による暴風の中で開かれた。 しかし、534名の新入生は定刻の8時半には登校していたという。 新入生はそれぞれの学部で専門課程につい…
第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) l全県

第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日)

昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく…
西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報) i一関・西磐井郡

西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報)

西磐井郡金沢村の金沢小・中学校は全焼してしまったので「青空教室」に。 ところで、昭和の大合併まで岩手県には「金沢村」が2つあり、この西磐井郡金沢(かざわ)村(のちに花泉町となり現在は一関市)と、上閉伊郡金沢(かねざわ)村(現在は大槌町)があった。  …
新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日)

昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &…