l全県 7月 15日 1949 第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) 昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 6日 1949 盛岡・城南小学校ではプールで水泳練習(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 盛岡の城南小学校では、水難事故防止のためにプールで水泳教室を開催したという。 この時期にすでにプールがあるとはさすが盛岡の中心部の城南小学校である。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5月 7日 1949 西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報) 西磐井郡金沢村の金沢小・中学校は全焼してしまったので「青空教室」に。 ところで、昭和の大合併まで岩手県には「金沢村」が2つあり、この西磐井郡金沢(かざわ)村(のちに花泉町となり現在は一関市)と、上閉伊郡金沢(かねざわ)村(現在は大槌町)があった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1949 桜山の更生市場に女子中学生のスリ(S24.5.6新岩手日報) 盛岡市の桜山神社の前の更生市場(現在の東大通りのあたり)で、女子中学生のスリが捕まったのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 4日 1949 一関で高卒者対象の教員資格試験「GHQとは郵便局の略」???(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 教員不足に悩む西磐井郡では、一関市内の高校生を対象に資格試験が行われたという。 その結果が公表されたが、中には珍回答も続出であったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1949 盛岡一高(旧制盛岡中学)で卒業式(昭和24年3月2日) 昭和24年3月3日の岩手新報より。 県内のトップを切って、盛岡第一高校(旧制盛岡中学)が3月2日に卒業式をおこなったという。 この学校の明治期のOBである石川啄木も「盛岡の 中学校の露台(バルコン)の 欄干(てすり)に最一度(もいちど) 我を倚(よ)らしめ」と詠ったバルコン(バルコニー… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1949 盛岡・杜陵小学校で学芸会(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 ひな祭りに先立ち、盛岡の杜陵小学校では学芸会が開催されたと言う。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 1日 1949 国立仙台電波高等学校が開校します!(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 仙台の無線電信講習所が改組し、国立仙台電波高等学校になるという。 それで生徒を募集している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 19日 1949 高松の池で日本学生氷上競技大会(昭和24年1月19日) 昭和24年1月19日の岩手日報より。 第20回日本学生氷上競技大会が盛岡市の高松の池で行われ、開会式が県公会堂で行われるという。 それで、全国から400名の大学スケート・ホッケーの選手が盛岡に集まった。 日程は以下の通り。 1月19日 開会式(県公会堂) 1月20日 アイスホッケー1回戦 スピードス… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 17日 1949 暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け… 続きを読む
m県外・参考 9月 28日 1948 岩手県教組が教育委員選挙に関するデマに対する反論声明(昭和23年9月28日) 昭和23年9月28日の岩手新報より。 この頃、教育委員は選挙で選んでいた。 教育委員の選出の対立軸はやはり保守対革新で、組合側も各自治体で教育委員候補を擁立していた。 そこへ「多数の候補を擁立して選挙事務の妨害を図っている」というデマが流されたようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1947 学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 この時期、各中等学校は「学制改革」を控えており、学校再編が必至だった。 県側は、統合して昇格しようとしているのに対し、各学校側はそれに反対をしていた。 盛岡地区 盛岡中学は、杜陵中学を同行の夜間部として併設しようとしているが反対している。 杜陵中學側も、この闇… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1947 盛岡市内中等学校水泳大会は岩手中学と盛岡高女が優勝(S22.9.3新岩手日報) 盛岡市内中等学校水泳大会が開催され、男子は岩手中学、女子は盛岡高女が優勝。 それぞれ現在の岩手高校、盛岡二高。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 30日 1946 盛岡市内中等学校籠球リーグ戦(昭和21年6月30日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 市内中等学校籠球リーグ戦は岩手師範女子部コートで開催された。 参加は盛岡中学・岩手中学・盛岡工業・杜陵中学の4校。 結果は盛岡中学が優勝した。 盛中 32-9 杜中 岩中 44-7 盛工 盛中 32-11 岩中 岩中 21-15 杜中 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1945 西磐井郡の学童の山菜採取成績(昭和20年7月8日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 西磐井郡の各国民学校の山菜採取状況は以下の通りであったという。 一関国民学校 303貫 油島国民学校 411貫 花泉国民学校 181貫 金沢国民学校 805貫 老松国民学校 175貫 弥栄国民学校 291貫 萩荘国民学校 201貫 厳美国民学校 1011貫 山目… 続きを読む
l全県 8月 2日 1944 夏休み返上で鍛える少年航空兵希望の国民学校児童(S19.8.2新岩手日報) 夏休み返上で、国民学校の児童が少年航空兵目指して鍛えているというが、岩手県内の学校かどうかは不明。 まさかこういうのまで軍事機密だったとか?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1944 目指せ海軍少年兵!仁王国民学校では猛訓練(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 8月下旬に行われる海軍少年兵の採用試験に向け、盛岡市内の高等科のある小学校では猛訓練が繰り広げられていた。 仁王国民学校では4月から下準備を開始し、7月中旬からは学科の終了後に訓練を行うようになっていた。 盛岡国民学校でも、8月1日~3日、8月8日~11日を海軍少… 続きを読む
l全県 8月 1日 1944 今日から学童の夏季鍛錬期間(S19.8.1新岩手日報) 戦時中なので夏休みだからといって子供だってゆっくりできるわけではない。 夏季鍛錬期間といって何かしらやらないといけなかった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1944 盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 この時期、尋常小学校や高等小学校は「国民学校」に名を変えており、下の橋のたもとにある盛岡高等小学校は昭和15年に「盛岡国民学校」に名前を変えていた。 この盛岡国民学校を卒業し海軍予科練習生となっていた5名が、7月31日に母校に里帰りしたのだ。 今でいえば「ホームカ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1943 ⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報) この年の10月21日、東京の明治神宮では学徒出陣壮行式が行われた。 岩手日報でも、早稲田大学の学生が郷土の連隊に入隊したということが報じられているが、「⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営した早稲田大学学徒が八幡宮にお参り」とは行っても、この当時県内で市制していた市(盛岡・釜石・宮古)で軍隊も八幡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 5日 1941 盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」 昭和16年12月5日の岩手日報より。 線前期の岩手県の最高学府と言えば盛岡高等農林学校であり、宮沢賢治もここを卒業している。 また、このブログの「教育」のカテゴリーのアイコンは、この盛岡高等農林学校の本館である。 この盛岡高農の上村勝爾校長は、構内のネグンド楓からヒントを得て、日本で多く産しているイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1941 国民学校の女教師も稲刈りに援軍(S16.11.1新岩手日報) まだ対米交渉に苦労していた時期。 資源も無くなっていき、国民生活も逼迫し始めていた時のこと。 国民学校の女教師は、加賀野の女子師範の農場で稲刈りに駆り出されることとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1940 青年学校は義務化するけど、盛岡市内では1校に統合します(昭和15年1月15日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 この時期「青年学校」という教育機関があった。 これは、尋常小学校を卒業して働いている青年を対象とした教育機関である。 これが、昭和14年の青年学校令の改正により、義務教育化されることになった。 この時点で、盛岡市内の青年学校は以下の場所にあった。 盛岡市内10の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 11日 1939 盛岡・城南小学校で日独伊親善図書展覧会(昭和14年8月11日) 昭和14年8月11日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市立城南小学校で「日独伊親善図書展覧会」を行うという。 公演しているのは外務省・文部省・陸軍省・海軍省・ドイツ大使館・イタリア大使館。 完全に国策行事であった。 時代相としては、ベルリンで日独伊三国同盟が調印される前年となる。 しかし昭和12年の時点… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 20日 1939 県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業 昭和14年7月20日の岩手日報より。 この年、戦時中の技術力確保を目的として全国に7校の高等工業学校が開校した。 (室蘭、盛岡、多賀、大阪、新居浜、宇部、久留米) そのうちの1校である盛岡高等工業学校は最初は盛岡夜間中学校(現:杜陵高校)の敷地に仮開校した。 本校舎を上田(現在の岩手大学工学部)に設… 続きを読む