教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日)

昭和27年10月4日の岩手日報より。

激戦地・一関市の最後のお願い。

戦後の民主化により、教育委員も公選制の時期があったのだが、なかなかのカオスな状況だったようである。

それで「最後のお願い」とばかりに、自転車だ、トヨペットだ、自動車だと演説に忙しい状況であった。
ちなみに「トヨペット」が自家用車の代名詞として扱われているのが興味深い。

  • 激戦地:定数4名の所に久慈市は11名、一関市・胆沢郡白山村・気仙郡横田村は9名が立候補。
  • 気仙郡上有住村では、共産党の候補が出たので「アカに敎育は任せられない」と対立候補を無理やり擁立。
  • 気仙郡横田村では、村の平和の為にと無競争にしようと有力者が立候補者の1名を辞退させようとした。そうしたところ、これに反発し逆に5名が新たに立候補した。
  • 稗貫郡外川目村では村長選の対立のしこりで、3学区のうちの2学区は1名出馬、もう1つの学区では両派が1名ずつ出そうとしたが選挙管理委員会で受理できず定員割れ。
  • 稗貫郡某村では、レッド・パージ解除者や軍人が立候補し、「大事な教育を軍人に任せられない」と対立候補を3人も出した。
  • 九戸郡長内町では5人の候補者がそろいもそろって元軍人。

 

 

 


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