i一関・西磐井郡 13 9月 1931 西磐井郡萩荘村で29歳の男が復縁目当てに放火(S6.9.13岩手日報) 昭和6年9月13日の岩手日報によれば、西磐井郡萩荘村(現在の一関市)で、ある村議の次男(29歳)が、なんとも浅はかな理由から放火事件を起こしました。 記事の大見出しは「世にも浅はか 男のお七 家事手伝いの功を狙って離縁の妻方に放火」。 ここでいう「お七」とは、井原西鶴『好色五人女』にも登場する、恋人… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 6月 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の『岩手日報』より。 8月31日に、一関にて自動車強盗未遂事件の公判が開かれた。被告は19歳の少年と21歳の男の2名である。事件は6月3日に発生したもので、自動車強盗を試みたが、未遂に終わっていた。 主犯とされたのは19歳の少年で、青森県下北半島の出身。製材工場でエンジン係として働い… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 3月 1930 岩手県庁疑獄事件(S5.3.20判決) 昭和4年春、岩手県庁穀物検査所で現金約6,000円が盗まれる事件が発生した。犯人は金庫を盗み、中の現金を持ち去った後、金庫を窓外に捨てて逃走。この事件は内部関係者の犯行と疑われ、県庁関係者を対象に捜査が進められた。 捜査の結果、県庁会計課の職員が不審な豪遊を繰り返していることが判明。彼は遊郭や料亭で… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 3月 1930 水沢区裁判所で猫を失火罪で訴える珍無類な裁判(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の『岩手日報』には、裁判所で繰り広げられた少し風変わりな一幕が紹介されている。 水沢区検事局から「失火罪」に問われたのは、江刺郡愛宕村(現在の奥州市)に暮らす当時33歳の女性だった。検察は略式命令として罰金20円を科したが、これに納得できなかった女性は、正式裁判を求めて異議を申し立て… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 函館で不敬事件発生。内容は極秘(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報によれば、函館市で不敬事件が発生し、関係者が拘束された。 事件は、函館地方裁判所の令状に基づき、潮見刑務所支所で取調べが行われたとされているが、その内容は「極秘」とされており、一切が伏せられている。罪名として「不敬罪」が示されているのみで、具体的にどのような発言や行動が問題… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 昭和5年の岩手県議会議員選挙をめぐり、盛岡地方裁判所検事局は大規模かつ徹底的な選挙違反捜査を展開していた。 この日報じられたのは、その取り調べが医療の領域にまで及んだという事実である。容疑の一つに「病気を装っていたのではないか」という疑惑が浮上し、検察はその裏付けとして病院関係者を聴取したのみならず… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(S5.3.1岩手日報) 大正10年11月4日、日本の総理大臣・原敬が東京の大塚駅で刺殺された。犯人は当時24歳の鉄道省転轍手・中岡艮一であり、裁判の結果、無期懲役の判決を受けた。 それから9年後の昭和5年3月1日、岩手日報には服役中の艮一の出所が近いという報道が掲載された。その記事では、東京・大塚駅近くで支那そば屋を営む艮… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 1月 1930 達曽部村でパワー系池沼が父を殴り殺す(S5.1.25) 昭和5年1月25日、岩手県上閉伊郡達曾部村(現・遠野市宮守町達曽部)で、37歳の男性が父親を殺害する事件が発生しました。この男性は精神薄弱とされ、普段から短気で、父親(当時67歳)との関係が悪く、しばしば口論が絶えませんでした。 事件当日、彼の7歳の息子が祖父に豆を求めましたが、祖父が「腹が減ったん… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 27 11月 1929 花巻の抱酌婦殺し(S4.11.27) 昭和4年11月27日、岩手県稗貫郡花巻町四日町(現・花巻市四日町)の料理屋「蔦屋」で、女将と抱酌婦が絞殺される事件が発生しました。現場は、東北本線花巻駅から東に位置し、国道から東へ約1丁ほど入った住宅街の中にありました。この日、深夜12時頃に若い男の客が来店し、抱酌婦とともに2階で酒を飲んだ後、階下… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 30 9月 1929 山田町の兄殺し(S4.9.30) 昭和4年春頃、岩手県下閉伊郡山田町飯岡で、一家の長男(当時34歳)が継母(当時43歳)と不倫関係を持ち、家庭内に深刻な対立が生じました。父親(当時61歳)はこの関係を知って憤慨し、家庭内では争いが絶えなくなりました。次男(当時25歳)は家庭の平穏を取り戻すため、長男に出稼ぎを提案し、昭和4年9月20… 続きを読む
g北上・和賀郡 5 9月 1929 苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報) 昭和4年9月4日の明け方、黒沢尻駅(現在の北上市)に到着した盛岡行きの貨物列車に、場違いな姿の若者が一人混じっていました。これに気づいた駅員は不審に思い、青年を派出所に引き渡しました。 調べてみると、この青年は沿岸・田老村(現在の宮古市田老地区)出身の18歳。東京へ出て苦学しようと志して上京したもの… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1929 釜石で横行する船舶部品泥棒(S4.9.3岩手日報) 昭和4年9月3日の『岩手日報』より。 釜石市須賀海岸では、修繕のため陸揚げされていた漁船から、シャフトなどの機械部品が何者かによって盗まれるという事件が発生した。 実は、こうした漁船部品の盗難は、すでに昭和2年頃から相次いで発生していたという。とくに修理のために陸に引き上げてある漁船は、ほとんどが被… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4 1月 1929 「軍馬の里」六原の毛皮商殺し(S4.1.4) 昭和4年1月4日朝、岩手県胆沢郡水沢町(現・奥州市水沢区)に住む毛皮商の男性が、「毛皮を買いに行く」と言い残して相去村(現・北上市相去町)の六原方面(現・胆沢郡金ケ崎町六原)へ向かったまま行方不明となった。彼は出発前、家族に「良い仕入れ先を見つけた」と話し、購入予定の毛皮の種類と枚数を紙に記して示し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 4月 1927 江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10) 昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。 義兄… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1927 一方井事件(S2.1.29) 昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。 火災後、昭和2年… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 1月 1927 刑務所の看守が生活苦から身投げを図る 昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1927 盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) 昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 12月 1926 大正天皇崩御に伴う廃朝中は刑務所も労役免除(S元.12.26岩手日報) 昭和元年12月25日、盛岡にあった宮城刑務所盛岡支所では、大正天皇崩御の報を受けて、午前10時より所内の囚人を一堂に集め、皇居に向かって遥拝式が行われた。刑務所の中であっても、国家的な喪の空気は厳粛に共有されていた。 このとき所内では、「廃朝中」につき囚人の労役が免除された。廃朝中とは、天皇が崩御し… 続きを読む