e釜石・遠野・上閉伊郡 7 4月 1966 道の真ん中を歩く危ない小学生(昭和41年4月7日) 昭和41年4月8日の岩手東海新聞より。 この時期,釜石警察署では、道の真ん中を歩く小学生たちに頭を痛めていた。 朝は、上級生や親たちのリードがあって学童歩道を歩くのだが、下校時になると上級生もリードしてくれないし、授業が終わった開放感で家に広がって歩くようであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 3月 1966 釜石・八雲小学校の児童会がエロ映画看板を追放(S41.3.9岩手東海新聞) 釜石・八雲小学校の児童会がPTAを通じ釜石日活(錦館)やシネマセンターにエロ映画看板の撤去を呼びかけと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1966 釜石駅の移転反対運動(昭和41年3月3日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 先日、釜石駅の移転計画が明るみに出ると、地元商店街などから反対運動が起こる気運となった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 12月 1965 釜石二中で放火事件(S40.12.23岩手東海新聞) 昭和40年12月22日、釜石二中で放火事件が発生。 これは前日に続くもので、放火事件と断定して捜査が開始された。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 12月 1965 朝鮮人、殺人未遂(見出し原文ママ)(昭和40年12月4日) 昭和40年12月4日の岩手東海新聞より。 この日、釜石市大渡町1丁目にある朝鮮会館内で、朝鮮人同士が丸棒で暴行して瀕死の重傷を負わせた殺したものと思って釜石警察署に自首すると言う事件があった。 幸いでも被害者は一命は取りとめたようであった。 原因は、11月17日に新潟港から北鮮(原文ママ)新帰国する… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 12月 1965 (4コマ漫画)環境問題を熱く語る(昭和40年12 月4日) 昭和40年12月4日の岩手東海新聞より。 この頃になると、岩手東海新聞でも4コマ漫画「らばさん」を掲載していた。 そして、珍しいことに地元のデパートの丸光が提供すると言う形をとっていた。 そして、今回は何がテーマであったかと言うと公害問題である。 浮浪者曰く「我々は自然に対して非情です」。 そして、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 11月 1965 釜石の老人ホームで避難訓練(昭和40年11月30日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 年の瀬に向けて年縄作りに一生懸命取り掛かっていたところ、11月30日に釜石の老人ホーム「五葉寮」では火災避難訓練が行われた。 非常ベルが鳴り、スピーカーから「裏手で火事が発生したので正面玄関から避難してください」と呼びかけたら、52人の入寮者がお互いかばい合… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 10月 1965 釜石で集団就職くずれの不良少年が恐喝事件(S40.10.22岩手日報) 集団就職で東京に行ったものの仕事に馴染めず釜石に戻ってきた少年が不良化し恐喝事件。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 10月 1965 山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 10月 1965 盛岡電話局の交換嬢が不当処分反対のゼッケンで勤務(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 盛岡電話局では、4月の春闘半日デモで1569人もの組合員が処分されたのに抗議して、交換嬢たちがゼッケンをつけて勤務することとなった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 10月 1965 盛岡・東宝第一映画劇場の殺人事件(昭和40年10月14日) 木曜日の夜 昭和40年10月14日、木曜日の夜のこと。 盛岡最大の歓楽街となった映画館通りの、まさに映画館である東宝第一劇場では「国際秘密警察 鍵の鍵」と「けものみち」を二本立てで上映していた。 このうち夜の部の会場は17時50分。 南側の便所で、22~23歳の若い男が血まみれになって倒れていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 10月 1965 馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。 … 続きを読む
l全県 11 10月 1965 新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 車の増加により、踏切事故も増大していた。 そのことに国鉄は悩まされていた。 そこで、赤外線による障害物検知装置や重力式遮断機を開発し、各路線に付けることになった。 赤外線による障害物検知装置は、踏切の両側から赤外線を出してそれが阻害されたら警報を出して列車に異… 続きを読む
l全県 9 10月 1965 岩手でも蔓延る「睡眠薬遊び」(昭和40年10月9日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 この時期、若者の睡眠薬遊びやシンナー遊びが社会問題になっていたようだが、岩手でもそれは例外ではなかったようだ。 この記事では、その被害を説いている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石製鉄所構内で安全パレード(昭和40年7月1日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の構内では、雷雨の中を作業安全パレードが行われたようである。 どうも手前のマイクロバスは、県南バスから借りてきたような色にも思えるが、ナンバーが白なので自家用だろうか。 … 続きを読む
l全県 2 4月 1965 全逓が超勤拒否で郵便物に影響か(S40.4.2岩手日報) この頃の全逓は「戦う労組」だった。 この時も超勤拒否闘争で給与体系の不均衡を改正させようとしていた。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 25 12月 1964 北上の九年橋ですれ違い規制を施行 昭和39年12月25日の岩手日報より。 北上市の南の玄関となる国道4号線の九年橋は、幅が5.5mしかなく渋滞や事故の原因となっており、この当時の一級国道としても全国定期に悪名高い難所となっていた。 交通事故は昭和38年に6件であったものが、昭和39年には19件と3倍以上に増えていた。 この幅5.5m… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 12月 1964 知らない間に結婚してた!? 昭和39年12月20日の岩手日報より。 大阪に住む59歳独身の会社員が、本籍地のある徳島県小松島市役所から戸籍抄本を取り寄せた。 すると、知らない間に妻がいて、子供3人いるということになっている!? どうやら、昭和24年10月14日に釜石市内の女性と結婚していた、ということになっているらしい。 その… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 11月 1964 花巻で踏切報知機にいたずらする列車妨害が相次ぐ(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 この時期、東北本線の花巻~村崎野間で列車妨害が相次いでいたという。 昭和38年10月25日以来、コンクリートトラフや鉄道標識が抜かれて線路にばらまかれるなどの悪質な列車妨害が13件続いていたという。 昭和39年11月1日には、下り197貨物列車が花巻市南城地内で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 8月 1964 釜石で原水禁世界大会の募金詐欺(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 釜石では、原水禁世界大会の募金を名乗る詐欺が横行していたようで、釜石市役所から詐欺に気をつけるよう御触れが出ている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 6月 1964 大雨の影響で釜石市内に大被害(昭和39年6月3日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 日本海に、982ミリバールにまで発達した猛烈な低気圧の影響で、釜石市内にも大洪水が発生した。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 1月 1964 釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(昭和39年1月11日) 昭和39年1月11日の岩手東海新聞より。 釜石郵便局では、全逓のストで遅れた年賀状配達を、正月返上で郵便の滞貨解消のために作業をしていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 1月 1964 釜石の刺傷ざたが市民の献血で救われる(昭和39年1月4日) 昭和39年1月6日の岩手東海新聞より。 港町・釜石は常に流れ者が絶えず、喧嘩も勃発していたが、ついにナイフでの刺傷沙汰になってしまった。 刺された方は、県立釜石病院に運ばれたが、生命危篤となっていた。 このような時、献血を呼びかけ、この時はギリギリのところで助かったのだと言う。 このこ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 1月 1964 釜石の江利チエミ公演詐欺の顛末(昭和39年1月4日) 昭和39年1月4日の岩手東海新聞より。 昭和37年に釜石で江利チエミ公演詐欺があったようで、今度こそはと本物の江利チエミの所属会社に交渉してきてもらうことに。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 11月 1963 鶴見事故の犠牲となった釜石出身の学生が悲しき帰郷(昭和38年11月12日) 昭和38年11月12日の岩手東海新聞より。 11月9日の夜に発生した、横須賀線の鶴見事故では161人の犠牲者が出た。 その中には、釜石市出身の学生もいた。 釜石市内のお寺の住職の息子で、横浜市内に下宿しながら立正大学の夜間部に通っていた大学生が事故に巻き込まれたのである。 その遺骨は、11月12日1… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 11月 1963 釜石・鵜住居中学校にゴミ焼却炉(昭和38年11月1日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石市立鵜住居中学校にはこの当時、427人の生徒がいたようである。 まだ釜石東中学校が発足する前で、鵜住居中学校と栗林中学校は別々の学校だった。 その鵜住居中学校では、ゴミはうらの川に焼き捨てていたのだと言う。 しかし、それでは環境の点から好ましくないと言う… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 11月 1963 釜石・国際劇場でナイトショー(S38.11.1岩手東海新聞) 釜石の東映系の映画館である国際劇場では、夜にはナイトショーが行われていたようだ。 人口8万人ぐらいいた釜石なので、さぞ盛り上がっただろう。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 25 10月 1963 江刺市内の3カ所にカーブミラーを設置(昭和38年10月25日) 昭和38年10月25日の岩手民声新聞より。 江刺警察署と県交通安全協会江刺支部では、秋の交通安全旬間にあたって、10月25日に市内の県道の危険な箇所3箇所でカーブミラーを設置することにした。 この3箇所は、岩屋堂の餅山と、玉里の玉崎・大和田の3カ所。 このカーブミラーは、一気に23,500円であると… 続きを読む