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釜石・国際劇場で「十代の夏」を公開(昭和35年9月6日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・国際劇場で「十代の夏」を公開(昭和35年9月6日)

昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石・国際劇場では、「十代の夏」を上映する。 「十代の夏」(原題:Blue jeans)は、昭和33年のフランス映画。日本での初公開は昭和34年であると言う。 声に引き続き、ナイトショーとして総天然色ヌード映画大会を行うのだと言う。    …
釜石の鳥ヶ沢トンネル付近でトラックが転落(昭和35年9月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の鳥ヶ沢トンネル付近でトラックが転落(昭和35年9月2日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石から国道45号線で宮古方面に行く際は、釜石市役所の脇の方から鳥谷坂トンネルを通るのが一般的だ。 しかし鳥谷坂トンネルの開通前は、大渡小学校の脇の坂道からグネグネと山道を通り、鳥ヶ沢トンネルを通って女遊戸(おなつぺ)に出るルートだった。   9月2…
五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日) e釜石・遠野・上閉伊郡

五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日)

昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 五葉山の大松登山口に木材運搬用のケーブルがある。 ここで釜石市松倉の若者数人が乗って遊んでいた。 そうしたら機械が故障してしまい、乗っていた2人は戻れなくなってしまったのだ。 眼下には谷川が渦を巻いて流れている。 もう飛び降りるしかない?でも命の保障は無い。 …
一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日) i一関・西磐井郡

一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日)

昭和35年7月5日の岩手報知より。 この年の6月末、一関一高が放火で焼失した。 この時点では、犯人はまだ上がっていなかったので、一関市内の各町内会では夜警団を結成して警戒して歩くことになったのである。 そうすると、各町内の夜警団が、ヤアヤアと声を交わしている風景が頻繁となったのである。 そのたびに犬…
盛岡で雪の中を安保反対のデモ行進(昭和35年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡で雪の中を安保反対のデモ行進(昭和35年1月14日)

昭和35年1月15日の岩手日報より。 日米安保条約改定阻止運動の岸首相渡米・調印反対の全国統一行動の1月14日午後6時から盛岡市内丸の県公会堂で行われた。 大会には、盛岡市内からだけではなく、松尾鉱山からもトラックに分乗して労働組合員150名が盛岡までやってきた。 大会は20分で終了し、公会堂から盛…
岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日)

昭和35年1月13日の岩手日報より。 この時期、バイクの「カミナリ族」による事故が社会問題になっていた。 それまでもスピード違反の取り締まりはやっていたのだが、やり方としては、2点間に警察官が立ち、ストップウォッチで計測して有線電話で連絡を取り合うというものだった。 そこで、県警本部は自記式速度計を…
釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日)

昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!…
4コマ漫画に見る「学生運動が市民にどう思われていたか」(昭和34年12月18日) l全県

4コマ漫画に見る「学生運動が市民にどう思われていたか」(昭和34年12月18日)

昭和34年12月18日の岩手日報より。 この時に連載されていた「スカタン君」という4コマ漫画に、当時の学生運動がどのようにみられていたかを垣間見ることができる。 サラリーマン2名が赤ちょうちんで一杯やろうとしている。 そこへ酔っ払った学生がジグザグに歩いてくる。 まるで当時の安保反対のジグザグデモの…
日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日)

昭和34年9月29日岩手日報より。 朝6:50頃、紫波町日詰の路上を回送中の花巻バスが、前方から来た人をよけようとして左手前方の製材所に突っ込むという事故が発生。 運転手が両ヒザに10日間程度のケガ、バスは15,000円、製材所は50万円程度の損害であったという。 昭和30年の北上・飯豊橋のバス事故…
伊勢湾台風に乗って熱帯の鳥が盛岡に?(昭和34年9月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

伊勢湾台風に乗って熱帯の鳥が盛岡に?(昭和34年9月29日)

昭和34年9月29日の岩手日報より。 岩手県内にも被害をもたらした伊勢湾台風であるが・・・   盛岡市穀町(現在の南大通)の飲み屋の店長が、台風一過の店先で見慣れない鳥が弱っているのを発見した。 鳩より少し大きいようだが・・・? それで、鳥類の権威者である岩大農学部の助教授に鑑定を依頼する…
伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行 a盛岡・岩手郡・紫波郡

伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行

昭和34年9月29日の岩手日報より。 伊勢湾台風は岩手県内にも被害を及ぼした。 ところが、そのような中、盛岡市中体連は県営グランドで大会を中止しなかったのだという。 26日当日、盛岡市内は朝から風が強く激しい雨だった。 選手たちは待機中は傘を差していたとはいえ、寒さに震えながら、ずぶ濡れで競技をして…
伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響 l全県

伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響

昭和34年9月、伊勢湾台風は名古屋を中心に甚大な影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=rcrtlhSHY7I 実は岩手県にもかなりの影響を及ぼしている。 その影響のほどを、昭和34年9月28日の岩手日報から抜き出してみたい。 気象記録としては、釜石で総降水…
北朝鮮帰還事業で在日朝鮮人ブチ切れ「俺たちは囚人か!?」 a盛岡・岩手郡・紫波郡

北朝鮮帰還事業で在日朝鮮人ブチ切れ「俺たちは囚人か!?」

昭和34年9月22日の岩手日報より。 在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業は、岩手県内でも受付が始まっていた。 北朝鮮とは国交が無く(このブログを書いている令和3年現在でも)、国同士の交渉はできず、赤十字社同士での交渉ということになり、ジュネーブで日朝赤十字協定に基づき帰還事業が行われることになった。 そ…
岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日)

昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。 大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。 一体なにごと…? 「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」 「6号車、異常ありません、どうぞ」 「3号車異常なしー、どうぞ」 そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが…
北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日) l全県

北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日)

昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 (たまたま手元にあるのがこの日付の新聞であるというだけで、広告の掲載自体は9月15日の時点でしていた可能性はある) いわゆる「朝鮮人の帰国事業」についての広告。 日本と北朝鮮には国交がなく、両国の赤十字社を通じての帰国事業になったことは有名な話。 &nb…
釜石で貨物船の外人船員がバーで時計を強奪(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石で貨物船の外人船員がバーで時計を強奪(昭和34年6月12日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この日の夜3時ごろ、釜石市内のバーで飲んでいた外人客が、バーテンから時計を強奪した。 通報で駆け付けた釜石署員に逮捕されたが、それは釜石港に出入りしていたリベリア船籍の貨物船の40歳の船員であった。 Betanko Policarpoという名前だということで…
岩手で最も非行少年が多いのは釜石(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手で最も非行少年が多いのは釜石(昭和34年6月12日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 釜石市を管轄する児童相談所は宮古児童相談所であったが、釜石の触法少年の状況は看過できないと、4月から月1回、釜石にも「児童相談室」が開設されていた。 その児童相談室に相談に来る様子は、記事そのものの表現を借りると「この部屋を訪れる親たちの表情は暗く、触法少年…
朝鮮総連釜石支部「帰国問題の早期実現を」(昭和34年5月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

朝鮮総連釜石支部「帰国問題の早期実現を」(昭和34年5月25日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞より。 朝鮮総連釜石支部は5月25日、南町の教育会館で第5次大会を開催した。 この時期、多数の釜石在住の朝鮮人が詰めかけたが、もし帰国問題が実現すればこれが最後の大会になる人もいるということで、寂しそうな雰囲気もあったようだ。 そのような中で「帰国問題の早期実現」を…
釜石の五ノ橋で岩手東部バスが危機一髪(昭和34年5月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の五ノ橋で岩手東部バスが危機一髪(昭和34年5月18日)

昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石駅を出て右手の中妻方面に行く際、最初にわたる橋は「五ノ橋」であるが、この五ノ橋でバスが危うく転落しそうになった。 5月18日の昼下がり、東前発小川社宅行きの岩手東部バスは、釜石市の中心部から住宅地の小川に向け、買い物帰りの親子連れ等30名を乗せて走ってい…