a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 21日 1956 ラジオ岩手「春のIBCまつり 歌うこども大会」(S31.4.21岩手日報) ラジオ岩手(現在のIBC岩手放送)では、「春のIBC祭り 歌うこども大会」を22日に岩手県公会堂で行うという。 写真の3人のうち、近藤圭子・伴久美子は、ウィキペディアにも単独項目があるほど有名な童謡歌手。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 14日 1956 沿岸で珍しい大雪(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 基本的に、岩手県の沿岸部の太平洋岸にはそれほど雪は降らないものである。 それは、普段雪を降らせている原因は「冬型の気圧配置」によりシベリアからの寒気が日本海の水蒸気を日本海側に運び、日本海側で大雪を降らせることはあっても、その水蒸気が奥羽山地や北上山地まで越える… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1956 悪書追放のために紙芝居をする大野村の女性(昭和31年1月10日) 昭和31年11月10日のデーリー東北より。 大野村では、悪書追放のために子供たちに紙芝居をしている女性がいるという。 この17歳の女性は、村の農業共済組合に勤めていると言う。 文芸や映画好きなこの女性、もともとは久慈高校大野分校に通っていたのだが、前年の8月に父親が急死してから、一家を助けるために高… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 31日 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 22日 1955 雪に子供たちが大喜び(昭和30年11月22日) 昭和30年11月22日の岩手日報より。 20日から県内一帯に寒波が襲来し、21日朝の盛岡の最低気温は-4℃となった。 午後の2時頃には盛岡市内に雪が降り始めた。 盛岡測候所によれば、これは沿海州の冷たい低気圧によるものだということで、22日も1~2cmの積雪になろうという予想であった。 写真は盛岡市… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 17日 1955 山田線の捨て子(昭和30年11月17日) 昭和30年11月17日。 宮古発盛岡行きの411列車が区界駅に到着しようとした時のこと。 車掌が検札していると、小さい女の子が泣いている。 どうやら迷子になったらしい。 親の名前を聞いても、それどころか自分の名前すら言えないらしい。 これはいったいどうしたものか・・・ 盛岡に到着し、とりあえず中央児… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 15日 1955 七五三は平服で 昭和30年11月16日の岩手日報より。 11月15日は七五三の日であり、県内各地の神社では子供連れでにぎわったという。 女の子は振袖が多かったが、男の子は平服に近いものが多く、新聞そのものの言い方を借りると「親の見栄や虚栄心ともみられていた七五三もだんだん一般化してきたのは近頃の傾向」としている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 18日 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 24日 1954 一ノ関駅の公衆便所に赤ちゃんの死体が投げ入れられる(昭和29年3月24日) 昭和29年3月25日の岩手日日より。 3月24日の朝6時20分ごろ、一関駅構内の公衆便所の汲み取り作業していると、西側4つ目の便壺に、生後間もない男児の死体が手ぬぐいに包まれて投げ捨てられてあるのを発見し、一関市警察署に届け出たものである。 検死の結果、死後2日から3日経過しており、窒息死したものと… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3月 2日 1953 綾里村で2歳の子が急性アルコール中毒で死亡(昭和28年3月2日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 気仙郡綾里村のある農家で、2歳の女の子が突然苦しみだし、ついには死んでしまった。 死因を調べたところ、前の日の夜、父親が飲んでいた焼酎をそのままにしていたものを誤って飲んだらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 八幡宮の祭典の見世物をタダ見していた女子小学生に熱湯ぶっかけのDQN返し(昭和27年9月16日) 昭和27年の秋の盛岡八幡宮の祭りも盛大に行われており、多くの人でにぎわっていた。 そんな9月16日のこと。 見世物の「女相撲」を、見物料も払わず外から覗き見していた城南小学校3年の女児に熱湯をぶっかけ、全治2週間の負傷を負わせ、25歳の従業員の男が逮捕された。 「一言注意すれば済むものを・・・」と周… 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 3日 1952 県北の乳幼児はなぜ弱い?(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 県内でも、県北は貧しい地域であったが、乳児死亡率も同様に高かった。 それは何故かと言うことで、栄養の偏りが指摘された。 また、近親結婚もそれなりの数あったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 「街の子」は盛岡にもいた(S26.8.3夕刊いわて) 昭和26年、美空ひばりは「私は街の子」をリリース。 「街の子」とは軒先で歌を歌ってお金をもらい歩いていた子供だ。 それは盛岡にもいたのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 29日 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 5日 1950 かるた大会は老巧組がアプレゲール組を破る(昭和25年2月5日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 新岩手日報社の主催でかるた大会が開催された様であるが、老巧組の方が、若者組を圧倒したようだ。 そして若者組を「アプレゲール組」と表しているのも時代相。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1950 不良化する盛岡の盛岡の戦後派学生(S25.1.12岩手新報) 盛岡市警察署管内でも、青少年は不良化しているようであった。 ダンスホールで不純異性交遊するなど。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 子供の日に「一日盛岡駅長」や「一日岩手県知事」(S24.5.5新岩手日報) こどもの日は、いろいろな行事が開催され、県内の各官公庁でも、1日駅長や1日知事等の催しが開催された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 盛岡・松屋デパートの屋上に児童遊園ができました!(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡の2大デパートの一角を占めていた肴町の松屋デパートが、屋上に児童遊園を開設したという🏬 子供の日を期して、気合が入っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1949 盛岡・杜陵小学校で学芸会(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 ひな祭りに先立ち、盛岡の杜陵小学校では学芸会が開催されたと言う。 … 続きを読む
m県外・参考 7月 1日 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1945 昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 当時、大槌湾は「養殖昆布の先進地」であると認識されていたようである。 その大槌湾では子供たちが小舟が沈みかけるほど大量に昆布を収穫していたという。 大槌漁協割り当ては5,957貫であったが、6月30日の時点でそれを達成し、これまで使わなかった穴布(あなめ)まで採取… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 13日 1942 稗貫郡八重畑村で三つ子が生まれる(昭和17年1月13日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 稗貫郡八重畑村のある農家で、23歳の母親が男2・女1の三つ子を生んだ。 村役場で母親は「2人は兵隊にやり、1人は家を守らせる」と元気に語っていたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1942 岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 11日 1934 釜石沖にクラゲの大群 昭和9年2月11日のよみうり少年新聞より。 「岩手県釜石沖では~」という書き出しで始まっているこの記事は、この近辺で漁が思わしくないことを解説している。 岩手県水産試験所で調査したところ、これは数十年来見なかったクラゲの大漁浮遊であることが判明したという。 記事にいわく「まるで無数のパラシュートが潮… 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事の見出しには「産婆を置いて嬰児の死を防ぐ 本県の死亡ベラボーに高率なので 社会課の対応策成る」とある。 具体的な数字は書いていないが、とにかく他府県に比べ「ベラボーに高率」だったらしい。 これに対し、岩手県社会課は以下のような対策を考えた。 産婆設置の普及。特に… 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この年から、海軍では少年航空兵を募集することになった。 横須賀鎮守府管内では40名の枠であったが、岩手県内だけでも相当の数の志願者があることを報じている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1… 続きを読む