へき地 20 8月 1969 【参考】隠岐島の旧盆(S44.8.20中日ニュース) 隠岐島は島根県。 https://youtu.be/-NgdKW7RzJ4?si=G_thYXCv37dVDQbU… 続きを読む
l全県 1 12月 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1966 釜石・小佐野小学校五葉分校にブーフーウー(昭和41年3月3日) 昭和41年3月4日の岩手東海新聞より。 3月3日はひな祭りであり、釜石市の小佐野小中学校五葉分校では、当時人気であった「ブーフーウー」の出し物も行われ、僻地の子供たちは大喜びであったと言う。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 11 10月 1965 九戸郡のへき地の小学生「書道展で入賞したのに旅費が無くて表彰式に行けない🥺」そこへ…(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 駒澤大学が主催し文部省が後援した「第2回全国学生書道展」の特別賞に、山形村立来内小中学校の2人が選ばれた。 ・・・が、そこは県北のへき地の村のこと。 旅費も無ければ晴れの席に来ていく服も無い。 それで、涙を呑んで表彰式への出席は断念することにした。 ・・・とい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 6月 1964 釜石電報電話局「電話のない部落を解消するぞ!」(昭和39年6月15日) 昭和39年6月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局で予定していた、昭和39年度の電話架設計画は、農村公衆電話の7台の架設工事が全て完了した。 この年に架設された農村公衆電話は以下の通り。 大槌町和野 〃 種戸 〃 金沢安瀬沢 〃 大ヶ口 〃 臼沢 釜石市栗橋町大口 〃 〃 能舟木 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 11月 1963 江刺と住田の境界の姥石峠に電気が通る(昭和38年11月18日) 昭和38年11月18日の岩手民声新聞より。 江刺市と気仙郡住田町にまたがる種山高原の姥石峠には、この時点では電気が通っていなかった。 この時点では電気が通っていなかった。 戦前は、陸軍の軍馬補充部の放牧場として栄えた時期もあった。 戦後は、権限牧場として牛馬が放牧され、観光地としても宣伝されていた。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 16 9月 1963 江刺市役所で胆江地区保健婦研究発表大会(昭和38年9月16日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 9月16日、江刺市役所ホールで第3回胆江地区保健婦研究発表大会が行われる。 そして代表者が県大会に出場するのだという。 発表は以下の4名。 農家と非農家の乳児発育と環境衛生 部落組織と環境衛生 未熟児訪問をかえりみて 保健婦業務とその限界 いず… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 4月 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 12月 1961 久慈市の角柄開拓地に電気がやってきた(昭和36年12月1日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 久慈市で最後の電気が通っていない地区であった侍浜町角柄開拓地に、12月1日に電気が導入された。 それで、侍浜小学校角柄分校の校庭で、落成式が行われた。 ここは、昭和21年に入植されてから、15年目で電気が実現したと言うことになる。 これは、久慈市の未点灯部落… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石の長寿部落(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この年、日本一の高齢者であったのは釜石市尾崎白浜に住む中村重兵衛氏であった。 この尾崎白浜と言う集落、釜石湾の南側にあり、釜石港から1日数回、巡航船が出ていると言う人口700人の集落であった。そのうち、75歳以上のお年寄りは23人もいると言う。 110世帯のほ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 18 8月 1958 海を見たことのない祭畤の子供たちを気仙沼へ(昭和33年8月18日) 昭和33年8月18日の岩手報知より。 岩手県内で最も降水量が多いのは、一関の山奥の「祭畤(まつるべ)」であるが、あまりに隔絶した山奥であり、子供たちは海を見たことがないというので、気仙沼の一青年が旅費を出して海に連れて行こうというもの。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 2月 1958 山形村戸呂町に初めてラジオ(S33.2.12デーリー東北) 九戸郡山形村戸呂町に初めてラジオがつけられ、村人が大喜びというニュース。 その隣には、新東海道線が別線で計画というニュース。 のちの東海道新幹線である。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 7月 1956 海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文… 続きを読む
l全県 8 11月 1955 長欠、臨時免状教員… これが「辺地学校」の実態だ(昭和30年11月8日) 昭和30年11月8日の岩手日報より。 県教育研究所では、辺地学校についての調査結果を発表した。 【辺地学校数】 小学校 ・・・ 776校中278校(35.8%) 中学校 ・・・ 386校中114校(29.5%) 合計 ・・・ 1062校中392校(33.7%) 【免許状】 小学校 普通免許状を持つ教… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 11月 1955 遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この頃の岩手県においては、僻地で学校まで何キロも歩かなければいけない、農作業で忙しいなどの理由で長欠している生徒が多くいた。 特に、体が成長し一人前の働き手とみなされた中学生であればなおのことであった。 この遠野市大出もそのような地区であり、この地区の中学生は何… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 6月 1955 山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日) 昭和30年6月3日のデーリー東北より。 九戸郡山形村では、前走に先駆けて東北電力の電気導入に成功した荷軽部部落に刺激されて、関・霜畑・小国部落の372戸では、電気導入の気運が高まった。 この時点で、東北電力の電線は、久慈市山根町木売内まで達していた。 これに1線加えればこの地域まで達するので、拡張は… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 8月 1954 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 16 12月 1953 へき地教育の過酷な現実 昭和28年12月16日の読売新聞では、全国のへき地教育の過酷な実態を報じている。 降水で丸木橋が渡れなくなると荷物用のケーブルで通学する(群馬県中里中) 山道が険しいので冬季の通学は部落民が交代で提灯を持っていく(岐阜県) 通学路は波が引いたときに数百メートルを命がけで走る(青森県脇野沢村) 子供が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1951 「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 結核を撲滅するために、岩手県では、レントゲン撮影機などを装備したレントゲン自動車を2,500,000円で購入し、7月13日にお目見えした。 7月16日からは、久慈や岩泉の保健所管内の奥地を皮切りに、結核予防法の対象になっている学校や事業所等の集団撮影を行う… 続きを読む
b二戸・二戸郡 12 11月 1949 奥中山のさらに奥の開拓部落(S24.11.12岩手新報) 北上川と馬淵川の分水嶺である奥中山の、さらに奥にある開拓部落である下田子部落に入植した開拓民の話。 「日本のチベット」岩手県にはこんな部落がいくらでもあった。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 7 11月 1949 九戸郡の奥地にも電灯が(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 九戸郡山根村や山形村小国では、それまで電気が通っていなかったが、農林省から補助金が下りることが決まり、「無点灯部落」を脱することができるのだという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 5月 1936 田山セツルメント生活日誌(S11.5.1岩手日報) 盛岡友の会による田山セツルメントの生活日誌であるという。 「盛岡友の会」は確か現在の盛岡スコーレ高校を経営している向中野学園と何か関係があったような・・・ … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 9月 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む