へき地

転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) l全県

転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報)

戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。  …
九戸郡のへき地の小学生「書道展で入賞したのに旅費が無くて表彰式に行けない🥺」そこへ…(昭和40年10月11日) c久慈・九戸郡

九戸郡のへき地の小学生「書道展で入賞したのに旅費が無くて表彰式に行けない🥺」そこへ…(昭和40年10月11日)

昭和40年10月11日の岩手日報より。 駒澤大学が主催し文部省が後援した「第2回全国学生書道展」の特別賞に、山形村立来内小中学校の2人が選ばれた。 ・・・が、そこは県北のへき地の村のこと。 旅費も無ければ晴れの席に来ていく服も無い。 それで、涙を呑んで表彰式への出席は断念することにした。 ・・・とい…
釜石電報電話局「電話のない部落を解消するぞ!」(昭和39年6月15日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石電報電話局「電話のない部落を解消するぞ!」(昭和39年6月15日)

昭和39年6月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局で予定していた、昭和39年度の電話架設計画は、農村公衆電話の7台の架設工事が全て完了した。 この年に架設された農村公衆電話は以下の通り。 大槌町和野  〃 種戸  〃 金沢安瀬沢  〃 大ヶ口  〃 臼沢 釜石市栗橋町大口  〃  〃 能舟木 …
江刺と住田の境界の姥石峠に電気が通る(昭和38年11月18日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺と住田の境界の姥石峠に電気が通る(昭和38年11月18日)

昭和38年11月18日の岩手民声新聞より。 江刺市と気仙郡住田町にまたがる種山高原の姥石峠には、この時点では電気が通っていなかった。 この時点では電気が通っていなかった。 戦前は、陸軍の軍馬補充部の放牧場として栄えた時期もあった。 戦後は、権限牧場として牛馬が放牧され、観光地としても宣伝されていた。…
江刺市役所で胆江地区保健婦研究発表大会(昭和38年9月16日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺市役所で胆江地区保健婦研究発表大会(昭和38年9月16日)

昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 9月16日、江刺市役所ホールで第3回胆江地区保健婦研究発表大会が行われる。 そして代表者が県大会に出場するのだという。 発表は以下の4名。 農家と非農家の乳児発育と環境衛生 部落組織と環境衛生 未熟児訪問をかえりみて 保健婦業務とその限界   いず…
普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) d宮古・下閉伊郡

普代村にスクールバス(昭和38年4月6日)

昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという…
久慈市の角柄開拓地に電気がやってきた(昭和36年12月1日) c久慈・九戸郡

久慈市の角柄開拓地に電気がやってきた(昭和36年12月1日)

昭和36年12月4日のデーリー東北より。 久慈市で最後の電気が通っていない地区であった侍浜町角柄開拓地に、12月1日に電気が導入された。 それで、侍浜小学校角柄分校の校庭で、落成式が行われた。 ここは、昭和21年に入植されてから、15年目で電気が実現したと言うことになる。 これは、久慈市の未点灯部落…
釜石の長寿部落(昭和35年1月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の長寿部落(昭和35年1月1日)

昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この年、日本一の高齢者であったのは釜石市尾崎白浜に住む中村重兵衛氏であった。 この尾崎白浜と言う集落、釜石湾の南側にあり、釜石港から1日数回、巡航船が出ていると言う人口700人の集落であった。そのうち、75歳以上のお年寄りは23人もいると言う。 110世帯のほ…
海を見たことのない祭畤の子供たちを気仙沼へ(昭和33年8月18日) i一関・西磐井郡

海を見たことのない祭畤の子供たちを気仙沼へ(昭和33年8月18日)

昭和33年8月18日の岩手報知より。 岩手県内で最も降水量が多いのは、一関の山奥の「祭畤(まつるべ)」であるが、あまりに隔絶した山奥であり、子供たちは海を見たことがないというので、気仙沼の一青年が旅費を出して海に連れて行こうというもの。      …
海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 d宮古・下閉伊郡

海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」

昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文…
遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置 e釜石・遠野・上閉伊郡

遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置

昭和30年11月3日の岩手日報より。 この頃の岩手県においては、僻地で学校まで何キロも歩かなければいけない、農作業で忙しいなどの理由で長欠している生徒が多くいた。 特に、体が成長し一人前の働き手とみなされた中学生であればなおのことであった。 この遠野市大出もそのような地区であり、この地区の中学生は何…
山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日) c久慈・九戸郡

山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日)

昭和30年6月3日のデーリー東北より。 九戸郡山形村では、前走に先駆けて東北電力の電気導入に成功した荷軽部部落に刺激されて、関・霜畑・小国部落の372戸では、電気導入の気運が高まった。 この時点で、東北電力の電線は、久慈市山根町木売内まで達していた。 これに1線加えればこの地域まで達するので、拡張は…
川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) d宮古・下閉伊郡

川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報)

川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北…
へき地教育の過酷な現実 d宮古・下閉伊郡

へき地教育の過酷な現実

昭和28年12月16日の読売新聞では、全国のへき地教育の過酷な実態を報じている。 降水で丸木橋が渡れなくなると荷物用のケーブルで通学する(群馬県中里中) 山道が険しいので冬季の通学は部落民が交代で提灯を持っていく(岐阜県) 通学路は波が引いたときに数百メートルを命がけで走る(青森県脇野沢村) 子供が…
「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日)

昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 結核を撲滅するために、岩手県では、レントゲン撮影機などを装備したレントゲン自動車を2,500,000円で購入し、7月13日にお目見えした。 7月16日からは、久慈や岩泉の保健所管内の奥地を皮切りに、結核予防法の対象になっている学校や事業所等の集団撮影を行う…
「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) d宮古・下閉伊郡

「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日)

昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支…