a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1951 「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 結核を撲滅するために、岩手県では、レントゲン撮影機などを装備したレントゲン自動車を2,500,000円で購入し、7月13日にお目見えした。 7月16日からは、久慈や岩泉の保健所管内の奥地を皮切りに、結核予防法の対象になっている学校や事業所等の集団撮影を行う… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 知的障害のある浮浪者が精神病院に入っただけでニュースになった時代(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 見出しには「海デ象をヲトッテイタヨ 脳足りんの坊や青年精神病院入り」と書いてある。 どういうことかというと、この年の初めに浮浪者とおぼしき青年が盛岡駅前の派出所でお世話になっていた。 凍傷しているので、岩手医大に収容して手当をしていたが、名前を聞いてもまる… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 5月 1951 開運橋のたもとで精神異常者が北上川に飛び込み大乱闘で救助(昭和26年5月21日) 昭和26年5月21日の「夕刊いわて」より。 この日の午前11時ごろ、開運橋の下流100メートルほどの盛岡駅側の岸から北上川に飛び込んだ男がいた。 それに続いてもう1人の男がこれを追って飛び込み、大騒ぎとなり、時折しも列車の到着時刻でもあったので、開運橋は人だかりができることになった。 結局、追われて… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 4月 1951 岩手病院から精神分裂症患者が飛び降り自殺(昭和26年4月27日) 昭和26年4月27日の「夕刊いわて」より。 盛岡市の岩手医大病院の6階から飛び降り自殺があった。 それは水沢から精神分裂症で入院中の東北配電に勤務する男性で、付き添いの妻や甥が便所に行っている間のことであったという。 4人の子宝に恵まれ幸せに暮らしていたところ、不眠を訴えるようになり「舌を噛めば眠れ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 4月 1951 盛岡市民に5月1日から結核検査をしますよ!(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 結核予防法が近く実施される(実際は4月1日の時点で試行されている)ので、盛岡市では乳幼児を除く約10万の市民に、5月1日からツベルクリン反応やレントゲン検査で結核検査を行うという。 実施区域計画の設定に協力した病院は盛岡市内を代表する大病院で、以下の通り。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 2月 1950 はやる悪性感冒 まずは予防が第一(昭和25年2月8日) 昭和25年8月8日の新岩手日報より。 冬と言えば、悪性の風邪が流行りやすい季節。それで、岩手県や盛岡市当局や、盛岡市内、各病院では予防を呼びかける広告を出した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 三田定則岩手医大学長死去(昭和25年2月6日) 昭和25年2月7日の新岩手日報より。 法医学の父と呼ばれ、岩手医科大学の学長であった三田定則が死去。 大学では大学葬を行うことになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1950 入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 盛岡市内各病院が連名で広告を出しており、「GHQのお達しもあり、必ず給食を食べましょう!」と。 給食代が払えないから食べませんということだったのだろうか。 … 続きを読む
l全県 9 11月 1949 県「11月10〜16日は結核予防週間です!」(昭和24年11月9日) 昭和24年11月9日の岩手新報より。 岩手県衛生部・各保健所・岩手県医師会の連名で結核予防週間に関する広告が出されていた。 個人的なことを言うと、BCG検査に関しては小学校の頃(昭和50年代末頃)受けたことがある。 結核は恐ろしい病気だったのだ。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 7月 1949 イワテ特製胃散「何処でも評判!評判だ」(昭和24年7月3日) 昭和24年7月3日の岩手新報より。 岩手県製薬という製薬会社があったようで、9日分が50円、15日分んが80円であったという。 これが月給に比べてどのくらい妥当だったかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1948 仙台からの水害御見舞い広告(昭和23年9月26日) 昭和23年9月26日の岩手新報より。 アイオン台風で水害を被った岩手県内の事業所に対し、仙台の会社が水害御見舞い広告。 昔から医者の世界はこうした付き合いが大切だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 28 8月 1946 赤痢予防に蠅討伐 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)に、本当にそういう見出しで書いているのである。 気仙郡上有住村では、赤痢の蔓延に4千人の村民が悩まされていた。 それは薬剤不足による蠅の蔓延によるものである。 あまりの恐怖から、一家が食事をするときにまで蚊帳の中でするという始末。 隣の世田米町でも状況… 続きを読む
j東磐井郡 1 8月 1944 東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 東磐井郡下の大原・興田・折壁・奥玉・大津保・田河津・猿沢・長坂・舞川・門崎・渋民の各村の大日本婦人会支部員は、ワラビやゼンマイを採取しこれを乾燥したものが150貫(562.5kg)に達したので、これを傷痍軍人の為に送ることにした。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 4月 1943 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) 昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 11月 1941 一関町の巴軽楽団は鳴子温泉の陸軍療養所に傷痍軍人を慰問(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 一関町の巴軽楽団は11月3日の明治節の良き日に宮城県の鳴子温泉の陸軍病院療養所で傷痍軍人の慰問を行うことになったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 4月 1938 盛岡陸軍病院は李王妃方子女王の傷病兵慰問に備え準備万端(S13.4.25新岩手日報) この当時の女性皇族の大きな仕事として「傷痍軍人の顕彰」「傷病兵慰問」があった。 梨本宮の第1王女であり李王垠の妃となった方子女王は、盛岡陸軍病院に慰問することとなり、その準備に大忙しだった。・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 5月 1937 岩谷堂で人気の狂人「八つぁん」死す 江刺郡岩谷堂町(現:奥州市江刺区岩谷堂)で「八つぁん」と呼ばれ親しまれていた47歳の男は、3~4日前から行方が分からなかったが、15日になって町内の馬蹄工場跡で心臓マヒを起こして死んでいるのが発見された。 八つぁんは、若いころは腕利きの左官であったというが、20代半ばで発狂し、腹が減ればどこからでも… 続きを読む
g北上・和賀郡 21 8月 1936 黒沢尻病院で優等生の少女が発狂(S11.8.21岩手日報) 和賀郡横川目村の小学校高等科2年の優等生の少女が頭痛で黒沢尻の病院に行ったら大声をあげて発狂したと。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 27 2月 1935 稗貫郡湯口村で県内初の村立病院(昭和10年2月27日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 稗貫郡湯口村では、村立病院を計画しており、2月27日の村議会で満場一致で決定された。 予算総額は7300円で、300円は用地日、5000円を建設費、2000円は設備費で、専属医師1名を置き、他に花巻共立病院や組合病院と協定して、毎日1回か2回、専門医の出張を求める… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 9月 1934 二戸郡で犬が次々と謎の病気で死ぬ(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 福岡町を中心に、二戸郡の各村一帯で犬の病気が流行して、5〜6日の短期間で倒れて死ぬと言う恐ろしい状態となっていた。 獣医に聞いても、どのような病気であるかわからないと言う。ただ、人間で言えば腸チフスのようなもので、いちどこれにかかってしまうと、ハクタレルで死んでしま… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1933 岩手医専教授「リンゴをすりおろして食べれば下痢に効果あり」(S8.11.2岩手日報) 先般、東北医学大会でリンゴ食療法を提唱した岩手医専の教授は、岩手日報の取材に応じ「おろしがねですりおろして食べれば下痢に効果がある」と主張した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む