l全県 2月 5日 1951 麗人東北投票迫る!(昭和26年2月5日) 昭和26年2月5日の岩手新報より。 この時期「麗人東北」と言う美人コンテストを行っていたようである。 エントリーしたのは、岩手県内の各花街の美人達だったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 5日 1950 女子プロ野球が盛岡に来る!(S24.7.5岩手新報) 女子プロ野球のブルーバード・レッドソックスが盛岡に来るということで、岩手新報も大々的に宣伝。… 続きを読む
j東磐井郡 1月 12日 1950 東磐井郡の「糸姫」は業界不況で求人激減(S25.1.12岩手新報) 岩手県内有数の繭所として知られていた東磐井郡は、女性は嫁入り前に他の地方に製糸工場に働きに出るようになっていたようだ。 ところが、この時期は業界不況で、全国からの「糸姫」の求人に少なくなっていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 19日 1949 岩手の女性ナンバー1決まる(S24.7.19岩手新報) 「岩手の女性ナンバーワン」というミスコンテストがあったようで、そのナンバー1に決まったのは、東北毛繊で働く女性であったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1949 男女同権で女だけのお花見(昭和24年5月3日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 憲法が改正されて2年目の憲法記念日を記念する記事。 新憲法で男女同権となり、「女だけの花見」が開かれたのだとう。 それほどまでに、「女は家にいろ」という肝炎が強かったと言うことだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 17日 1949 「ミシン税絶対反対」で婦人団体が盛岡市役所に押し掛ける(昭和24年3月17日) 昭和24年3月18日の岩手新報より。 盛岡市では、4月から新財源として「ミシン税」を導入しようとしていた。 しかし、盛岡市の婦人団体は、こぞって反対しており、盛岡市議会の予算議会の17日には、女性市議の案内で、女性団体が小泉多三郎市長に陳情する等のことがあった。 また、午後には「民主婦人協議会」と言… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1948 昭和23年の「ミス盛岡」は国立病院勤務の20歳 昭和23年9月16日の岩手新報より。 ミス盛岡に選ばれたのは、国立盛岡病院に勤務する佐藤京子さんという20歳の女性。 北平(北京)日本第二高等女学校から盛岡家政学園を経て、国立盛岡病院に勤務しているのだという。 準ミス以下他の女性がサザエさんヘアであるのに対し、佐藤さんはシンプルなデコ出しで、令和の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1944 盛岡婦人常会で「お盆も決戦型に」と決議(昭和19年8月2日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 盛岡市の8月婦人常会が、8月2日に市役所で開かれた。 婦人隣組常会には時々班からも出席してもらいます。 常会で相談した事はどの程度実践されているか、次の常会で反省しあうことにしましょう。 これに対し「ハイ実行いたします」で可決したという。 盂蘭盆行事に関しては、 … 続きを読む
j東磐井郡 8月 1日 1944 東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 東磐井郡下の大原・興田・折壁・奥玉・大津保・田河津・猿沢・長坂・舞川・門崎・渋民の各村の大日本婦人会支部員は、ワラビやゼンマイを採取しこれを乾燥したものが150貫(562.5kg)に達したので、これを傷痍軍人の為に送ることにした。 &n… 続きを読む
l全県 7月 20日 1939 愛国婦人会岩手県支部が各町村を回り慰問映画会 昭和14年7月20日の岩手日報より。 愛国婦人会岩手県支部では、映画班を組織し応召軍人の家族などの為に映画会をして歩くことにした。 そのことで愛婦精神を高めようという目的もあったのだ。 そこで、6,000円を投じて16ミリトーキー映写機や18編のフイルムを購入、7月17日には上閉伊郡達曽部村で、18… 続きを読む
l全県 7月 1日 1939 愛国婦人会は銃後の母や未亡人に相談会 昭和14年7月1日の岩手日報より。 日中戦争が激化している昨今、愛国婦人会岩手県支部では戦地に大黒柱を送っている、または戦死した留守宅の夫人を相手に相談会を開催するという。 7月中旬から8月にかけて、盛岡市や県下30町村で銃後家庭強化相談会を行うという。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 8日 1937 「雫石アネコ」の田植えを見物に行こう 昭和12年6月10日の岩手日報より。 見出しは「色とりどり雫石名物 美しの早乙女が泥田に描く詩情」。 令和になった今でも道の駅の名前になっているなど、雫石町の観光資源となっている「雫石あねっこ」であるが、それは戦前からだったようである。 岩手日報社により、雫石アネコの見物団が組織され、川口村長、盛岡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 13日 1935 凶作に恵まれて?女の失対事業花盛り(S10.4.13岩手日報) 昭和9年は史上稀見る凶作の年だった。 そのせいでか、県内に84ヶ所の農村主婦向けの授産場ができたという。 盛岡市内の浄土宗の寺に設けられた軍服の修繕工場もその1つ。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1935 炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 5日 1934 岩谷堂で江刺農村婦人大会(昭和9年9月5日) 昭和9年9月11日の岩手日報より。 「青年のページ」として青年学校など青年に関するニュースが掲載されている。 その中で、写真1枚だけの記事として「江刺農村婦人大会」と掲載されている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1934 与の字橋際のカフェーの名物女の急死(S9.9.2岩手日報) 盛岡市紺屋町の、与の字橋際のカフェーの名物マダムは、岩手病院に入院して1日で脳膜炎で亡くなったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 31日 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
m県外・参考 9月 2日 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 岩手県出身で、この当時府立第一高等女学校(現:都立白鴎高校)の美術教師であった女性が帝展で新入選したというニュース。 … 続きを読む