貧困

石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報) b二戸・二戸郡

石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報)

昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにした。二戸警察署長の案内で馬橇に乗り、小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かる。谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけても返事がない。奥に入ると中は真っ黒で顔も見えず、再び声をかけると藁布団から現れた…
原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(S5.3.1岩手日報) m県外・参考

原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(S5.3.1岩手日報)

大正10年11月4日、日本の総理大臣・原敬が東京の大塚駅で刺殺された。犯人は当時24歳の鉄道省転轍手・中岡艮一であり、裁判の結果、無期懲役の判決を受けた。 それから9年後の昭和5年3月1日、岩手日報には服役中の艮一の出所が近いという報道が掲載された。その記事では、東京・大塚駅近くで支那そば屋を営む艮…
「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(S4.9.6岩手日報) d宮古・下閉伊郡

「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(S4.9.6岩手日報)

昭和4年(1929年)9月5日、東京帝国大学(現・東京大学)の渡辺助教授が、下閉伊郡小国村での農村調査を終えて盛岡を訪れ、その晩21時28分発の列車で青森へ向かった。その調査結果は、きわめて厳しいものであった。 調査によれば、小国村は原始共産制に近い共同体構造を持っており、さらに「隠し念仏」と呼ばれ…
刑務所の看守が生活苦から身投げを図る i一関・西磐井郡

刑務所の看守が生活苦から身投げを図る

昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰…