食生活

ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日) h水沢・江刺・胆沢郡

ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日)

昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。 この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。 しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。 お米の配給は町村は…
カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日) i一関・西磐井郡

カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日)

昭和28年9月22日の岩手日日より。 お菓子メーカーのカバヤには本当にカバがいたようで、そのカバが一関~両磐~気仙沼を巡業するという。   Wikipediaによれば、そもそもの社名の由来は「戦後間もない頃に創業されたことから平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採っ…
水沢でうなぎ供養(昭和28年8月31日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢でうなぎ供養(昭和28年8月31日)

昭和28年8月31日の胆江日日新聞より。 土用の丑の日を終え、うなぎの蒲焼の生神様 の供養が、9月7日に水沢町内の業者により妙法寺で行われるという。 生け簀に余命をつないだ・・・つまり売れ残ったうなぎを持ち寄り、祈祷の上で大町川に放流するという。 そしてそれを目当てに待ち構えている連中もいるのだとい…
カルシューム、ビタミンB1・B2含有の仙台味噌(昭和28年8月25日) i一関・西磐井郡

カルシューム、ビタミンB1・B2含有の仙台味噌(昭和28年8月25日)

昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 さすがはほぼ宮城県に片足突っ込んでる一関だけあって、広告も仙台味噌である。 それもカルシューム、ビタミンB1・B2を含有しているという。 令和の今なら、混ぜものがある食べ物なんて安物として敬遠されがちだが、戦後すぐはそうでもなかったようだ。 そして電話番…
なつまけも けろりとなおる びっくりのそば(昭和28年8月25日) i一関・西磐井郡

なつまけも けろりとなおる びっくりのそば(昭和28年8月25日)

昭和28年8月25日の岩手日日より。 広告欄には「なつまけも けろりとなおる びっくりのそば」というコピーが踊っている。 その名も「びっくりや」という一関の蕎麦屋のようであった。   「なつまけ」とは夏バテのことだろうか。 たしかに外的な何かで体に変調を起こすと「まける」という言い方はして…
ルチン服用の心得(昭和27年5月3日) l全県

ルチン服用の心得(昭和27年5月3日)

昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、複合ルチンの広告が出ており、「ルチン服用の心得」というのが出ている。 今では、日本そばによく含まれていると言われているが、ルチンというのは一体どのような効能をもたらすのか。 それは、脳溢血の薬だったようである。…
魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日) l全県

魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日)

昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、レスタミンコーワの広告がある。 当時は、「蕁麻疹になるから魚を食べない」と言う人がいたようである。 今では、このような言説はあまり聞かないような気もするが、これは当時の魚の鮮度の問題だったのだろうか。  …
列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日)

昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め…
盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅で小荷物の中にヤミ米

昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。   終戦から6…
豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな…
山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日) l全県

山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 当時連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」より。 ボンペイとチャコは七輪での焼き魚を見ているようチャコのお母さんに頼まれる。 ところが焼き過ぎて黒焦げにしてしまった。 それをお母さんは怒るでもなく「がまんしていただきましょうね」と。 後年であれば、発がん性…
山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日)

昭和25年2月10日の新岩手日報より。 連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、開墾者の所に行っていたようで、熊の肉でお別れという一幕となっている。 しかし「くまのにぐ かわねスか」とは、声に出して読みたい盛岡弁である。          …