i一関・西磐井郡 8 1月 1954 キッコーマン醤油の値段が変わります(昭和29年1月8日) 昭和29年1月8日の岩手日日より。 千葉県野田市に本社のあるキッコーマン醤油は、その商品である醤油の値段が変わったことを、広告に掲載している。 このような感じで、全国の新聞に掲載したのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 1月 1954 一関市内の精肉店でも初売り(昭和29年1月1日) 昭和29年1月1日の岩手日日より。 一関市内の精肉店「加根利」では、初春の大売り出しをやっている。 それぞれの価格は、100グラムあたりだろうか。 それとも、メートル法の施行前だけに、「匁」単位になるだろうか。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 10月 1953 ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日) 昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。 この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。 しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。 お米の配給は町村は… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 10月 1953 水沢の食料品店「鰹角煮100円!椎茸昆布80円!」(昭和28年10月6日) 昭和28年10月6日の胆江日日新聞より。 現在でもスーパーマーケット「タカトヨ」として盛業中の高豊の価格表。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 23 9月 1953 カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 お菓子メーカーのカバヤには本当にカバがいたようで、そのカバが一関~両磐~気仙沼を巡業するという。 Wikipediaによれば、そもそもの社名の由来は「戦後間もない頃に創業されたことから平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採っ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 水沢の食料品店「桃屋の江戸むらさき大55円!小35円!」(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 桃屋の江戸むらさきってこの時代も売ってたらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 31 8月 1953 水沢でうなぎ供養(昭和28年8月31日) 昭和28年8月31日の胆江日日新聞より。 土用の丑の日を終え、うなぎの蒲焼の生神様 の供養が、9月7日に水沢町内の業者により妙法寺で行われるという。 生け簀に余命をつないだ・・・つまり売れ残ったうなぎを持ち寄り、祈祷の上で大町川に放流するという。 そしてそれを目当てに待ち構えている連中もいるのだとい… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 8月 1953 水沢の食料品店「あさりの佃煮100匁80円!奈良漬100円!」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店では佃煮や漬物の値段を出している。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 カルシューム、ビタミンB1・B2含有の仙台味噌(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 さすがはほぼ宮城県に片足突っ込んでる一関だけあって、広告も仙台味噌である。 それもカルシューム、ビタミンB1・B2を含有しているという。 令和の今なら、混ぜものがある食べ物なんて安物として敬遠されがちだが、戦後すぐはそうでもなかったようだ。 そして電話番… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 なつまけも けろりとなおる びっくりのそば(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 広告欄には「なつまけも けろりとなおる びっくりのそば」というコピーが踊っている。 その名も「びっくりや」という一関の蕎麦屋のようであった。 「なつまけ」とは夏バテのことだろうか。 たしかに外的な何かで体に変調を起こすと「まける」という言い方はして… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 14 8月 1953 水沢の食料品店「フルーツポンチの缶詰は100円」(昭和28年8月14日) 昭和28年8月14日の胆江日日新聞より。 フルーツポンチの缶詰は100円で、フルーツ蜜豆は80円だと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 14 8月 1953 水沢の食料品店「バター半ポンド180円」(昭和28年8月14日) 昭和28年8月14日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店ではバターが半ポンドだという。 1ポンドは453グラムなので、半ポンドで230グラム弱。 高いのか安いのかよく分からない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 9月 1952 大病院の炊事場(S27.9.21岩手日報) 大所帯の炊事場といえば昔は兵舎だったが現在は刑務所か大病院・・・とこの記事では言っている。 ××病院と書いているが、当時であれば医大病院か、盛岡病院(のちの県立中央病院)か。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1952 川徳デパートではお菓子が55円均一セール(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 肴町の川床デパートでは、お菓子の55円均一セールを行うと言う。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 3 9月 1952 県北の乳幼児はなぜ弱い?(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 県内でも、県北は貧しい地域であったが、乳児死亡率も同様に高かった。 それは何故かと言うことで、栄養の偏りが指摘された。 また、近親結婚もそれなりの数あったようだ。 … 続きを読む
l全県 8 5月 1952 砂糖は自由販売になって居ります!(昭和27年5月8日) 昭和27年5月8日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手県内の砂糖卸商により、「砂糖は自由販売になりました」と言う広告が出されている。 このように、わざわざ「自由販売」であることを主張すると言うことが、戦中戦後の統制の多い時代を物語っている。 … 続きを読む
l全県 3 5月 1952 ルチン服用の心得(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、複合ルチンの広告が出ており、「ルチン服用の心得」というのが出ている。 今では、日本そばによく含まれていると言われているが、ルチンというのは一体どのような効能をもたらすのか。 それは、脳溢血の薬だったようである。… 続きを読む
l全県 3 5月 1952 魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、レスタミンコーワの広告がある。 当時は、「蕁麻疹になるから魚を食べない」と言う人がいたようである。 今では、このような言説はあまり聞かないような気もするが、これは当時の魚の鮮度の問題だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1951 土用の丑の日はみんなで牛肉を食べましょう!(昭和26年8月5日) 昭和26年8月5日の「夕刊いわて」より。 8月5日日は土用の丑なので「う」の付く「牛」を食べましょうと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 6月 1951 保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内!(昭和26年6月15日) 昭和26年6月15日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内」が掲載されている。 「冷菓」とはアイスキャンデーを指しているようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1951 盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。 終戦から6… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1951 盛岡・花巻米穀登録店当選御礼広告(昭和26年2月1日) 昭和26年2月1日の岩手新報より。 盛岡と花巻の、米穀登録店当選御礼広告が掲載されている。 当時は、当選しないと米屋になれなかったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1950 豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな… 続きを読む
l全県 28 9月 1950 山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 当時連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」より。 ボンペイとチャコは七輪での焼き魚を見ているようチャコのお母さんに頼まれる。 ところが焼き過ぎて黒焦げにしてしまった。 それをお母さんは怒るでもなく「がまんしていただきましょうね」と。 後年であれば、発がん性… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 2月 1950 輸出品として期待される江刺郡黒石村の寒天(S25.2.10新岩手日報) 江刺郡黒石村(現在の奥州市水沢黒石)では寒天生産が盛んだったようで、輸出資源としても期待されていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 2月 1950 山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日) 昭和25年2月10日の新岩手日報より。 連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、開墾者の所に行っていたようで、熊の肉でお別れという一幕となっている。 しかし「くまのにぐ かわねスか」とは、声に出して読みたい盛岡弁である。 … 続きを読む