m県外・参考 10月 3日 1957 南部せんべいは八戸の名物・・・なのか?(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 南極越冬隊の食料として、青森県からは南部せんべい・イカの塩辛・津軽味噌を送ることとなった。 それで、八戸のデパートである丸美屋では商工会議所の協力を得て発送作業を行うこととなった。 南部せんべいは石油缶10本、塩辛は2貫樽5個に詰められて運び出されるという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 15日 1957 岩谷堂(江刺)はまた味噌の産地でもあった(昭和32年9月15日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺の中心地・岩谷堂といえば「岩谷堂羊羹」「岩谷堂たんす」で知られるが、味噌でも有名だったようである。 それで味噌の広告が3社連名でだされている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 15日 1957 改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 14日 1957 ヤクルトは毎日配達1瓶6円!(昭和32年2月14日) 昭和32年2月14日の河北新報岩手版より。 ヤクルトの広告が出ている。 当時は1瓶6円で配達したらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 26日 1956 江刺町内の食堂「一日一食そば・うどん!」(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 江刺町内の食堂のメニュー表。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 20日 1956 一関にはびこる不良飲料水「三連球ボンボン」を回収せよ(S31.4.20岩手日報) この頃、一関では、風船に甘い水を入れただけの不衛生な甘味飲料「三連球ボンボン」というのがはびこっていたのだと言う。 一関保健所ではこれを問題視して、回収することを厳命したのであった。 … 続きを読む
m県外・参考 2月 9日 1956 仙台・長崎屋のカステラ(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 岩手版ではあるのだが広告欄は仙台ばかり。 これは仙台市東三番丁の長崎屋のカステラ。 個人的に汽車絵が可愛いので、Twitterアイコンにすることにした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 7日 1956 釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) 釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降… 続きを読む
b二戸・二戸郡 12月 25日 1955 二戸郡では凍豆腐の最盛期(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 凍豆腐の産地である二戸郡では、生産の最盛期を迎えているという。 写真はこの年の3月に二戸郡福岡町に合併したばかりの斗米村にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 24日 1955 盛岡市内の餅屋「今年は豊作なのでお正月の餅は普通米と引き換え無しで特別配給しますよ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 盛岡市内の餅屋は正月の餅作り大忙しである。 例年であれば、餅の配給は普通米から正月三が日分差し引いて配給するのだというが、この年は豊作だったので、三が日分差し引かなくても3日分「特別配給」するという。 この当時の米穀配給制度が垣間見えるニュース。 … 続きを読む
l全県 11月 22日 1955 岩手県内に欠食児童は6,000人! 昭和30年11月22日の岩手日報より。 日教組の岩手県支部である岩教組では、生活保障や給食対策などの基礎資料の為に、欠食児童の調査を進めていた。 そうしたところ、欠食児童は全体の2%に当たる6000名に上っていた。 地域としては下閉伊(宮古)、九戸(久慈)といった沿岸や県北に多かったという。 穀倉地… 続きを読む
l全県 11月 7日 1955 県内の飲食店にも「公給領収証」 昭和30年11月7日の岩手日報より。 11月1日から、遊興飲食税が大幅引き下げになった。 ただし、そのためには1回の支払いが500円以上になった場合に県で作成して領収書を渡さないと行けなくなった。 これが「公給領収証」である。 これは飲み屋だけではなく、芸者、赤線、果ては喫茶店までも同様に適用される… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1955 盛岡・川徳デパートで食品大売り出し!(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、食料品の大売り出しをやるという。 当時の物価が見て取れる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。 へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く… 続きを読む
m県外・参考 8月 7日 1955 仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 同じ紙面では「仙台に負けまい」と盛岡で七夕が開幕したというニュースが報じられているが・・・ いくら盛岡で「仙台に負けない七夕を」と報じたとは言っても、しょせん河北新報は仙台の新聞である。 広告は仙台のものだし、七夕なら仙台の七夕なのである。 &… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 6日 1955 リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 リンゴは「夏の味覚」なのであったという。 本場の青森よりも減収が予想はされていたが、稗貫地方では平年並みの作柄であったという。 紅魁・旭などの早生はこの時期の収穫で、1貫あたり270~280円で市場に卸されたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 最新式ソフトドーナツ製菓機 昭和30年5月18日の岩手日報の広告欄より。 最新式のソフトドーナツ製造機の広告が出ている。 ああ・・今でも夜店とか行けばこんな感じの機械はあるのかもしれない。 これは製菓機そのもののコマーシャルというよりは、「起業しませんか!」という広告であるように思える。 昭和30年代中頃で、日本の労働力人口は… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 29日 1954 まだ知らない人がいる!金光堂の三色最中の味を(昭和29年8月29日) 昭和29年8月29日の岩手日日の広告欄より。 一関市内の菓子舗による三色最中の広告。 そもそも三色最中と言えば仙台の名物。 一関は何かにつけ「仙台っぽさ」を感じるが、やはりこのような所にも現れている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1954 サイダーのかき入れ時は花見のシーズン(昭和29年3月30日) 昭和29年3月30日の岩手日報より。 盛岡市内のサイダー工場は、花見のシーズンに向けて書き入れ時であるという。 ちなみにこの年の盛岡の桜の開花は4月19日(気象庁ホームページより)。 また、「ラムネ」と「サイダー」の違いは、サントリーのホームページによれば以下のとおりであるという。 ラ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 15日 1954 味噌・醤油を卸価格にて販売!(昭和29年1月15日) 昭和29年1月15日の岩手日日より。 一関市内の醸造店では味噌や醤油を卸価格で販売するという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 14日 1954 一関の醸造メーカーが味噌・醤油を大売出し(昭和29年1月14日) 昭和29年1月14日の岩手日日より。 広告欄では、一関市内の醸造メーカーが味噌・醤油を新発売したと言うことで、大売り出しを行っている旨の広告を打っている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 8日 1954 キッコーマン醤油の値段が変わります(昭和29年1月8日) 昭和29年1月8日の岩手日日より。 千葉県野田市に本社のあるキッコーマン醤油は、その商品である醤油の値段が変わったことを、広告に掲載している。 このような感じで、全国の新聞に掲載したのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 1日 1954 一関市内の精肉店でも初売り(昭和29年1月1日) 昭和29年1月1日の岩手日日より。 一関市内の精肉店「加根利」では、初春の大売り出しをやっている。 それぞれの価格は、100グラムあたりだろうか。 それとも、メートル法の施行前だけに、「匁」単位になるだろうか。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 20日 1953 ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日) 昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。 この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。 しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。 お米の配給は町村は… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 6日 1953 水沢の食料品店「鰹角煮100円!椎茸昆布80円!」(昭和28年10月6日) 昭和28年10月6日の胆江日日新聞より。 現在でもスーパーマーケットとして盛業中の高豊の価格表。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 23日 1953 カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 お菓子メーカーのカバヤには本当にカバがいたようで、そのカバが一関~両磐~気仙沼を巡業するという。 Wikipediaによれば、そもそもの社名の由来は「戦後間もない頃に創業されたことから平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採っ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 22日 1953 水沢の食料品店「桃屋の江戸むらさき大55円!小35円!」(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 桃屋の江戸むらさきってこの時代も売ってたらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 31日 1953 水沢でうなぎ供養(昭和28年8月31日) 昭和28年8月31日の胆江日日新聞より。 土用の丑の日を終え、うなぎの蒲焼の生神様 の供養が、9月7日に水沢町内の業者により妙法寺で行われるという。 生け簀に余命をつないだ・・・つまり売れ残ったうなぎを持ち寄り、祈祷の上で大町川に放流するという。 そしてそれを目当てに待ち構えている連中もいるのだとい… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 29日 1953 水沢の食料品店「あさりの佃煮100匁80円!奈良漬100円!」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店では佃煮や漬物の値段を出している。… 続きを読む