食生活

県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日)

昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。      …
盛岡にはびこる偽のヤミ米摘発隊(昭和21年6月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡にはびこる偽のヤミ米摘発隊(昭和21年6月12日)

昭和21年7月1日の岩手日報より。 開運橋通りのある家に3人の男がやってきて「岩手地方世話部のものだが・・」と言う。 地方世話部というのは県庁に属し、軍人の恩給や復員に関する役所であった。 まだ復員していなかった長男の話でも聞けるのか?と思ったら「ヤミ米に関して調べたいから倉庫を見せてくれ」という。…
代用食、代用醤油のレシピ(昭和20年7月10日) d宮古・下閉伊郡

代用食、代用醤油のレシピ(昭和20年7月10日)

昭和20年7月10日の岩手日報より。 前年の11月に東京から疎開してきた書道家は毛筆をあっさり捨てて、宮古翼壮松根油工場で働いているという。 その奥さんは、日々の食事のことを常に考えていた。 この際、嗜好本位を捨てて栄養本位で考えないといけない。 道端の草には食べられない草より食べられる草の方が多い…
決戦時の食糧事情に鑑み、野生のトコロ芋でパンを作りましょう(昭和19年8月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

決戦時の食糧事情に鑑み、野生のトコロ芋でパンを作りましょう(昭和19年8月2日)

昭和19年8月3日の岩手日報より。 8月2日、盛岡市で婦人常会が開かれたが、その席上で、営団理事長が「現下の食糧事情について」と講演を行ったという。 記事では「営団」とだけ書いているものの、平成16年(2004年)まで存続した「営団地下鉄」ではないようで、おそらくは食糧管理法(昭和17年2月21日法…
蜀黍(コーリャン)からで糖蜜を作れば岩手でも砂糖は自給できる!(昭和19年8月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

蜀黍(コーリャン)からで糖蜜を作れば岩手でも砂糖は自給できる!(昭和19年8月1日)

昭和19年8月1日の岩手日報より。 かつて、東北には「東北開発株式会社」という国策企業があった。 これは、昭和8年の三陸大津波や昭和9年の大冷害など、東北地方を襲った災害や飢饉に対し、国が東北地方の開発の重要性に鑑み昭和11年に「東北興業株式会社」として創設したものである。 だから、国先企業とはいえ…
盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」

昭和16年12月5日の岩手日報より。 線前期の岩手県の最高学府と言えば盛岡高等農林学校であり、宮沢賢治もここを卒業している。 また、このブログの「教育」のカテゴリーのアイコンは、この盛岡高等農林学校の本館である。 この盛岡高農の上村勝爾校長は、構内のネグンド楓からヒントを得て、日本で多く産しているイ…
菜園の町内会はインテリ家庭が多い(昭和15年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

菜園の町内会はインテリ家庭が多い(昭和15年1月14日)

昭和15年1月16日の岩手日報より。 記事の表現をそのまま借りると「盛岡市の中心に四百六十戸のインテリ家庭を扼する菜園親和町会」なのだそうで、令和4年現在、川徳デパートのあるあたりはインテリ家庭が住んでいたようである。 その菜園親和町会は1月14日午後4時から多賀会館で開かれ、町内の有力者60名が出…
石黒知事が県北の凶作地を視察(昭和7年1月10日) b二戸・二戸郡

石黒知事が県北の凶作地を視察(昭和7年1月10日)

昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにしたのである。 知事は、二戸警察署長の案内で、馬橇に乗って小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かった。 谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけたが返事がない。 それでもに二戸署長の案内で奥に入ると、中…
水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発 h水沢・江刺・胆沢郡

水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発

昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者(原文ママ)が、従来の汽火熱式の牛乳消毒殺菌器に替えて、昔のかまどを応用した安上がりな殺菌器を発明したのだという。 汽火熱式の殺菌器は300円かかるが、かまど式の殺菌器であれば、3斗で150円程度だという。 そして燃料も半減できるのだとい…
諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(昭和元年12月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(昭和元年12月28日)

昭和元年12月28日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の中の橋通りにある「大安」という店は、食堂部以外にもいろいろと手広く商売を展開していたようだが、食堂部だけを料理長に任せて「カフェー大安」として独立させるに至ったようである。 「店主自慢の蠣料理」なんて、今どきの洋食店のようなコピーもこの時点であった…