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改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日)

昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。…
ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日)

昭和32年8月15日の江刺のローカル新聞「岩手民声新聞」より。 この時期連載されていたのは「ポン児君」という4コマ漫画。 正直言って、どんなふうに面白いのか謎である。 あえて解釈するならこんな感じだろうか。 主人公の前の席にはもともと美女が座っていたが、辞めてしまい後任は美人ではない女性。 主人公は…
釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日)

昭和32年5月27日の岩手日報より。 釜石市の山奥にある和山牧場では、100年以上の歴史を持つ闘牛が名物であったという。 これを見るために、釜石市内外からバスやジープやトラックで2,000人以上の観客が詰めかけたという。 この時期最強だったのは、この和山牧場組合が所有する9歳の「大宮号」であったとい…
釜石市営ビルの煙草屋さんのジュウシマツ(昭和32年4月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市営ビルの煙草屋さんのジュウシマツ(昭和32年4月22日)

昭和32年4月22日の岩手日報より。 釜石市営ビルで煙草や鉄瓶などの土産物を売っている57歳の男性は、ジュウシマツを完全に飼いならしている。 「飛びなさい」と言えば飛ぶ、「おいで」と言えば来る。 本人によれば「ジュウシマツは飼ってるのではなく、一緒に生活しているのです。それで愛情で慣らすのです」と楽…
平泉でニセ医者騒ぎ i一関・西磐井郡

平泉でニセ医者騒ぎ

昭和32年4月21日の読売新聞で第一報が報じられている。 令和の今となっては世界遺産にまで認定された中尊寺金色堂のある平泉町の北上川を挟んだ向こうに西磐井郡長島村があり、この記事の2年前の昭和30年4月15日に、平泉町と合併することとなった。 昭和32年4月23日読売新聞岩手版より。借買いした白衣を…
タカラビール出荷します m県外・参考

タカラビール出荷します

昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という…
盛岡市内の反物屋の広告「倍ヤールサービスしますよ!」(昭和32年4月19日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内の反物屋の広告「倍ヤールサービスしますよ!」(昭和32年4月19日)

昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市肴町の商店街の反物屋の広告は「倍ヤールサービスしますよ!」。 ヤールとはヤードがなまったものであるといい、繊維業界で使われていた。 令和の現在でも「ヤール」と言って通用するだろうか。 というか、反物から服を作るという習慣そのものが一般的ではなくなっ…
北上市立養老院開院 g北上・和賀郡

北上市立養老院開院

昭和32年4月19日の読売新聞岩手版では、北上市常盤台に市立養老院がオープンしたことを報じている。 総費790万円で収容定員は60名という。 現在は民間に委託して、北上市鬼柳の「北星荘」となっている。    …
岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報)

広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。…
桃の節句も旧暦で祝っていた(昭和32年4月1日) l全県

桃の節句も旧暦で祝っていた(昭和32年4月1日)

昭和32年4月1日の岩手日報より。 「あすは旧桃の節句」というキャプションの写真記事。 桃の節句の雛祭りと言えば3月3日と決まっているが、この時代は旧暦で祝っていたようである。 ちなみに、気象庁の生物季節観測のページによれば、盛岡地方気象台では桃の開花時期は観測していなかったが宮古測候所では観測して…
一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日) i一関・西磐井郡

一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日)

昭和32年2月2日の河北新報岩手版より。 2月1日は旧正月の初売りであったと言う。 一関市内の商店街は、岩手県南から宮城県北までの客を一手に集めてにぎわいを見せた。 前年の暮れには、一関には東光デパート、千葉久デパートと相次いで2つデパートが生まれたこともあり、大賑わいだったようである。  …
一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る i一関・西磐井郡

一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る

昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世…
この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日)

昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 盛岡市中ノ橋通りにて 1月20日と言えば大寒であったが、この日の盛岡は外でもオーバーを脱ぎたくなるような暖かさであったと言う。 前日に降った雪もすっかり溶けてほこりもまうと言う春のような天候であったと言う。 盛岡八幡宮の境内で行われた雪の芸術祭の雪蔵も、片…
「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日)

昭和32年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市上田小学校の教諭は、「国際写真サロン」に日本人で唯一入賞したのだという。 水沢市若柳(?)で撮影した写真であるという。 ところで若柳であれば水沢市ではなく胆沢町では?という気もするが、令和4年現在はいずれにしても奥州市。     …