a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 4月 1943 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) 昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡… 続きを読む
l全県 15 4月 1943 大政翼賛会岩手県支部「花見シーズン!花に浮かれるな!不要不急の旅行をやめよ!」(S18.4.15新岩手日報) 花見シーズンを前に、大政翼賛会岩手県支部は「花に浮かれるな!不要不急の旅行をやめよ!」と御触れを出す。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 4月 1943 小岩井牧場に遊ぶ春駒(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 4月7日は愛馬の日であり、馬に関する記事が多くみられる。 時局がら、軍馬関係の記事が多くみられるが、小岩井農場に関する呑気な写真記事も。 … 続きを読む
l全県 6 4月 1943 牛は粗食だが菌力で肥っている!だから人間も…(昭和18年4月6日) 昭和18年4月6日の岩手日報より。 広告欄には「牛は粗食だが肥っている」と、イースト菌の広告を打っている。 今考えれば滅茶苦茶だが、この戦時下にあっては一定の説得力があったのだろう。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 4月 1943 萩荘村の凍み豆腐が前線へ(昭和18年4月1日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 西磐井郡萩荘村の凍豆腐は、県内で唯一の軍需凍豆腐として前線に送られることになった。 3月29日には、製品検査が行われたが、その成績も極めて良好で近いうちに発送することになったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 7月 1942 岩手県公会堂で「資源動員展覧会」(S17.7.7新岩手日報) 昭和17年7月7日の新岩手日報には、戦時下の日本社会が直面した「資源不足」と、それをいかに乗り越えようとしていたかが伝わってくる記事が載っています。当時は戦争が長期化し、金属・ゴム・繊維などあらゆる物資が軍需優先となり、民間生活では代用品の使用や徹底した資源回収が国民の義務とされていました。 Scr… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 盛岡魚市場に鮪ドッサリ入荷(S17.7.2新岩手日報) 盛岡魚市場に、釜石や八戸方面からマグロがドッサリ入荷したという。 当時であればすでに山田線が開通しており、輸送も容易であっただろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 岩手県公会堂で前線を偲ぶ演芸会(S17.7.2新岩手日報) 岩手県公会堂で、白衣の勇士を招き「前線を偲ぶ演芸会」が開催された。 白衣の勇士とは傷痍軍人のこと。 このような福祉事業は、皇后陛下の御心のもとに行われるということになっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 盛岡市で隣組配給制を再検討する懇談会(S17.7.2新岩手日報) この時期、盛岡市では配給制に不満のある市民もいたようで、近く懇談会が開かれると言うことであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 岩手牛乳のあのロゴ(昭和17年7月2日) 昭和17年7月2日の新岩手日報より。 岩手牛乳の企業広告が出ているが、お馴染みのあのロゴは既にできている。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 13 1月 1942 稗貫郡八重畑村で三つ子が生まれる(昭和17年1月13日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 稗貫郡八重畑村のある農家で、23歳の母親が男2・女1の三つ子を生んだ。 村役場で母親は「2人は兵隊にやり、1人は家を守らせる」と元気に語っていたという。 … 続きを読む
j東磐井郡 11 1月 1942 東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 アメリカとも戦争が始まり、物不足はより深刻化していた。 それで、ゴム靴の配給も不足がちになっていったが、ゴム靴を要求するわけではなく「ゴム靴依存を排撃すべきだ!」と、東磐井郡の黄海青年団は1月11日~15日の間、藁加工練成会を開催し、ツマゴ、ユワケ等の藁靴の製作… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1942 岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 12月 1941 盛岡高等農林学校校長「かえでから砂糖が取れますよ」 昭和16年12月5日の岩手日報より。 線前期の岩手県の最高学府と言えば盛岡高等農林学校であり、宮沢賢治もここを卒業している。 また、このブログの「教育」のカテゴリーのアイコンは、この盛岡高等農林学校の本館である。 この盛岡高農の上村勝爾校長は、構内のネグンド楓からヒントを得て、日本で多く産しているイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 11月 1941 前線に送る「スンベ」「ツマゴ」出荷最盛期(S16.11.7新岩手日報) 「スンベ」「ツマゴ」とはどちらも藁で作った雪上の履き物。 農閑期の貴重な財源だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
j東磐井郡 4 11月 1941 紀元二千六百年を祝して千厩・煙草神社で奉祝祭(S16.11.4新岩手日報) 紀元二千六百年を祝して、葉タバコの一大産地である千厩の煙草神社では奉祝祭。 千厩始まって以来の賑わいであったという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 11月 1941 一関町の巴軽楽団は鳴子温泉の陸軍療養所に傷痍軍人を慰問(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 一関町の巴軽楽団は11月3日の明治節の良き日に宮城県の鳴子温泉の陸軍病院療養所で傷痍軍人の慰問を行うことになったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
l全県 2 11月 1941 逓信省「12月1日~3月31日は電力の消費規制を行います!」(昭和16年11月2日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 この時期は日中戦争のさなかでもあり、また冬の渇水期間でもあり、逓信省は電力の消費規制を行うことにした。 期間は昭和16年12月1日~昭和17年3月31日。 これまでもこの種の規制は行っていたが、これを強化するものとなり、取付灯数20灯以上から、取付灯数10灯以上… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1941 盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 盛岡では居酒屋のもっきり酒の適正配給を図るために「第二盛岡飲食店組合」が結成され、10月31日の夜に結成総会が開かれた。 盛岡警察署長と盛岡税務署長が顧問となった。 そしてもっきり酒の公定価格を以下のように定めた。 1合 上等 25銭 1合 並等 22銭 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 2月 1941 岩手医専・岩手病院で防空演習(S16.2.5新岩手日報) 昭和16年2月という時期は、その年の12月に控えた太平洋戦争の開戦から遡ることわずか10ヶ月前という非常に緊迫したタイミングでした。当時の日本は前年に日独伊三国同盟を結び、アメリカとの対立が抜き差しならない状況にありましたが、その一方で駐米大使が交渉のために現地へ到着するなど、外交による破局回避を模… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1940 盛岡の花柳街も戦時体制(S15.8.3新岩手日報) 戦時体制も本格的になり、盛岡の花柳街の八幡町・本町でもカンバン(閉店時間)の厳守など締め付けが厳しくなってきた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 盛岡でも米の切符制を(S15.8.1新岩手日報) 全国市長会議が札幌市で開催され、それに盛岡市長も出席したようであるが、この時点で札幌市では米の切符制を開始していたようだ。 盛岡市でもこれを導入すべきという市長の見解であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 9月に盛岡で紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会を開催!(S15.8.1新岩手日報) 9月には盛岡の岩手公園や桜山神社境内などで「紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会」を盛大に開催するのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1940 スケートリンクの乙女(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 「溌剌北国の乙女 リンク所見」とだけ見出しを売っている写真が載っている。 実に楽しそうな顔の少女たちである。 スケートリンクは高松の池だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 19 1月 1940 釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 釜石港では近年にないイワシの豊漁であり、須賀埋立地派イワシの山でトラックが轢きつぶすような状況であったという。 ちなみに記事中では一貫してイワシは「鰮」と表記している。 魚油は35,000缶と前年の9,500缶に比べて4倍近くなり、肥料に使う〆粕も前年の5割増し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理就任を祝し、岩手県知事が銘酒「岩手川」を贈る(昭和15年1月16日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 米内光政の勝利大臣就任を祝し、雪沢岩手県知事は銘酒「岩手川」の四斗樽1本を贈ることとした。 1月16日16:10の仙北町発列車で送られることとなった。 確かに「岩手川」の工場は仙北町である。 … 続きを読む