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黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月、盛岡市の黄金競馬場では秋の競馬が開催され、曇天ながら雨に降られることのない穏やかな天候のもと、一日が静かに過ぎていった。 現在の岩手大学工学部周辺にあたるこの場所には、かつて「黄金競馬場」という馬場が存在し、昭和初期には競馬が年に数度行われていたという。新聞報道によれば、この日の秋競馬…
イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報) l全県

イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 広告欄に掲載されているのは、当時まだ新興企業だった「東京軽便浣腸製造所」による製品、「イチジク印軽便浣腸」。着物姿の母親が子どもに浣腸を施す印象的な図柄が目を引く。 この「イチジク浣腸」は、1925年(大正14年)に医師・田村廿三郎によって製造が開始されたもので、翌…
女子師範学校の卒業生が岩手日報社を見学(S2.3.16岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

女子師範学校の卒業生が岩手日報社を見学(S2.3.16岩手日報)

昭和2年3月16日の岩手日報より。 当時、盛岡市内丸にあった岩手女子師範学校の卒業生たちが、岩手日報社を見学したときの一枚である。引率は堀江・新藤の両教諭、訪問は午後3時に実施された。 この日、見学に訪れたのは卒業生70余名。一行は整然と社内に入り、新聞制作の現場を興味深く見学した。写真には、袴姿の…
盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報)

昭和2年の年明け早々、盛岡では流行性感冒(いわゆる流感)が急速に拡大し、市内の医療機関が慌ただしさを増していた。市民の間でも不安が広がり、新聞紙上では予防と対策の重要性が呼びかけられている。 この流感について、当時の岩手病院内科部長は次のように語っている。 「死亡率は非常に低いが、悪性で注意を要する…
盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(S2.1.9岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(S2.1.9岩手日報)

大正天皇の崩御にともない、昭和元年が始まったのは1926年12月25日。いわゆる「諒闇(りょうあん)」の中に幕を開けた新時代でしたが、その静かな幕開けのなかでも、盛岡市内ではすでに24人の新生児が誕生していたことが、昭和2年1月9日付の『岩手日報』で報じられています。 その24人のうち、12月26日…
不景気で酒の捨て売り(S2.1.8岩手日報) f花巻・稗貫郡

不景気で酒の捨て売り(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報には、正月らしからぬ静けさに包まれた街の様子が描かれています。とりわけ打撃を受けたのが、例年であれば“書き入れ時”となるはずの酒屋でした。 本来であれば、新年の祝いや帰省客の接待で賑わい、注文が殺到するはずの酒屋。しかし、この年は事情がまったく違っていました。 背景には二つ…
刑務所の看守が生活苦から身投げを図る i一関・西磐井郡

刑務所の看守が生活苦から身投げを図る

昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰…
盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日)

昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。  …
昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日)

昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 …
諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で…
諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報)

昭和元年12月28日付の『岩手日報』には、盛岡の中の橋通りに開業したばかりの「カフェー大安」の広告が掲載されている。これによると、もともとは「大安」という店舗の一部として「食堂部」が営業していたが、このたびその食堂部のみを独立させ、「カフェー大安」として開店する運びとなったようである。 広告には、以…
花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報)

昭和元年、岩手県紫波郡では深刻な旱魃(干害)が発生し、農作物に甚大な被害が出た。この災害は新聞などでも広く報じられ、県内外から支援と同情の声が寄せられていた。 そうした中、花巻市湯本地区(当時の稗貫郡湯本村)の湯本尋常高等小学校では、赤十字少年団に所属する5人の児童が「自分たちにもできることを」と考…
川徳呉服店「肴町では聯合歳の市をやってますよ!」(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

川徳呉服店「肴町では聯合歳の市をやってますよ!」(S元.12.26岩手日報)

昭和元年(1926年)12月26日の『岩手日報』紙面には、盛岡・肴町で開かれていた「聯合歳の市」の広告が掲載されている。当時の川徳呉服店を中心に、肴町の商店が一体となって年末年始のセールを展開していた様子が伝わってくる。 広告には「十八日より新年三日まで」と右書きで記されており、12月18日から正月…
吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日)

肺炎で臥せっていた聖上(大正天皇)の御容態は、毎日このように新聞で報道されていた。 国民はこぞって聖上の平癒祈願を行っていた。 紫波郡飯岡村の飯岡尋常高等小学校生徒四百数十名は、吹雪の中を校長に引率され村社である秋葉神社で平癒祈願を行ったという。    …