a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 平金商店(電話盛岡48番)ではブルースター計算機を絶賛販売中 昭和30年5月18日の岩手日報に掲載された広告より。 コンピューターなんてものがなかった昔、計算機といえば「タイガー計算機」とかそういうのが主流だった、ということは知っている。 ブルースター計算機というものがどういうものであったかというと、統計資料館(総務省統計局)のページによれば、以下のとおりであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 最新式ソフトドーナツ製菓機 昭和30年5月18日の岩手日報の広告欄より。 最新式のソフトドーナツ製造機の広告が出ている。 ああ・・今でも夜店とか行けばこんな感じの機械はあるのかもしれない。 これは製菓機そのもののコマーシャルというよりは、「起業しませんか!」という広告であるように思える。 昭和30年代中頃で、日本の労働力人口は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 岩手中央バスの本社が日影門から駅前に移転 昭和30年5月17日の岩手日報より。 岩手中央バスの本社車庫が、5月16日に日影門から駅前に移転し、盛岡市長や陸運局長まで招いて落成式典が行われた。 そして18日から、バスは本社前から駅前の発車に変わり、日影門の本社前は観光バス専用になるという。 これで、内丸の本社前道路も混雑が緩和されるのではない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 ゴム車の御用命はこちら 昭和30年5月17日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡と北上の販売店が「在庫豊富」を謳い文句にして宣伝している。 見た限りでは、大八車のうち車輪がゴムであるものをそのように呼んでいるようだ。 現在、Googleで「ゴム車」で検索しても、自由工作で輪ゴムを使ったはずみ車が出てくるだけで、このような… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 盛岡警察署と盛岡税務署が濁密を摘発 盛岡税務署は盛岡警察署の応援を得て、市内で「第三国人を主とする濁酒密造ならびに密売所を急襲」(昭和30年5月18日の岩手日報の記述ママ)した。 一部では抵抗もあったようだが、市内7か所での戦果としては以下の通り。 オケ9個 カメ7個 一升ビン12本 玄米7斗 密造道具3点 「濁密」つまりドブロクのこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 21日 1954 山田線が6年ぶりに復旧 昭和23年のアイオン台風で山田線が普通となっていたが、最後まで残っていた腹帯〜平津戸間が、昭和29年11月21日に全線復旧することとなった。 「オイラン列車」の簪も頼もしい。 昭和29年11月11日読売新聞岩手版より そして11月21日の開通式では、宮古駅のすぐ裏にある宮古高校の講堂で国分知事や岡田… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 17日 1954 三笠宮殿下が松尾鉱山をご見学(昭和29年9月17日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 青森など各地を回っていた三笠宮殿下は、9月17日にまた岩手にご来県し、松尾鉱山などを見学された。 そればかりではなく「岩手の学校では、他の県と違って気をつけとか敬礼の号令が非常に多く堅苦しく感じた」と苦言をていされたのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1954 盛岡八幡宮の例大祭で6台の山車(S29.9.15岩手日報) この当時、盛岡で最大の祭りは、盛岡八幡宮の例大祭であった。 山車が6台も出て盛況であったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1954 発足したばかりの玉山村で早くも分離運動 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 4月1日に玉山・渋民・薮川の3村が合併して発足した玉山村であるが、半年もしないうちに分村運動が起きていた。 旧玉山村は分村して盛岡市に編入したい。 旧渋民村松田地区・平田第1~8地割は巻堀村に編入したい。 いずれも、新しい玉山村の発足自体が反対を押し切って発… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1954 これが「盛岡市営バス」計画だ 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の人口増加や近隣町村との経済的な連携、観光事業の振興策として盛岡市議会で委員会を設けて推し進めているもので、すでに市営バスを運行している八戸、青森、秋田、浜松、岐阜、尼ヶ崎、姫路の7都市を視察するなどしていた。 また、一本木原に陸上自衛隊キャンプが着工… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1954 盛岡のヒロポン密造所を急襲(S29.9.1岩手日報) 盛岡市八幡町の露天商宅でヒロポンを密造しているという情報を得た盛岡署は、急襲して検挙した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1954 志和村は紫波郡南部の合併に参加したくない(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 この時期「昭和の大合併」で各市町村は合併が進んでいた時期である。 4月には花巻市・北上市・水沢市が誕生している。 紫波郡の南側は、日詰町を中心に古舘・水分・志和・赤石・彦部・佐比内・赤沢・長岡の各村を合併させようと県では考えていた。 しかし人口7千で財政規模がそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 29日 1954 盛岡でバス運転競技会(昭和29年8月29日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 8月29日、盛岡市馬検場で第3回県下バス運転競技会が開催され、7社の代表選手10名が参加して行われた。 種目は以下のようなものであったという。 白線を引いた狭い道路を赤旗を倒さぬよう規定の速度で運転する 運転態度 ガソリン消費量 車体整備 学科試験 入賞者… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1954 早稲田大学グリークラブが岩手県公会堂で公演(S29.8.1岩手日報) 早稲田大学グリークラブは東北や北海道を回って公演をしていたようだが、7月31日は岩手県公会堂で公演したという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 22日 1954 内陸部の市町村合併のゆくえ(S29.7.22岩手日報) この時「昭和の大合併」が進んでいたが、内陸部では、上閉伊郡達曽部村が周辺の大迫・宮守・土沢・遠野のどこと合併するかで揺れていた。 また、紫波郡では郡で1つの町になるという案もあったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 7日 1954 盛岡・松屋デパートでは「実用白生地の会」(昭和29年7月7日) 昭和29年7月7日の岩手日報より。 広告欄には松屋デパートの「白生地の会」の大売出しの広告。 やはり「碼」(ヤール)単位である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 7日 1954 川徳デパートでは水着の大売出し(昭和29年7月7日) 昭和29年7月7日の岩手日報より。 広告欄には川徳デパートの水着セールの広告。 一番高いので1150円程度。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1954 岩手県警察本部が発足(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 戦後、アメリカに占領されてからというもの、警察制度は内務省警保局の下の各都道府県警察部が解体され、アメリカばりに「自治体警察」「国家地方警察」に分かれることになった。 例えば盛岡でいえば、盛岡市は「盛岡市警察署」、その周辺の滝沢村や見前村や乙部村や大田村などは「国… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 30日 1954 7月を目の前にようやく夏らしい陽気(昭和29年6月30日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 それまで低めだった気温も、7月を目の前に気温が上昇し、6月30日の日中の最高気温は23.4℃どなったという。 写真は盛岡市の中津川の河畔にて。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1954 盛岡・東宝第一劇場で「七人の侍」大公開!(昭和29年5月1日) 昭和29年4月29日の岩手日報の広告欄より。 黒澤明監督の東宝映画「七人の侍」が東宝第一劇場で公開されるという。 東京での初公開は4月26日なのでほぼタイムラグは無し。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 29日 1954 旧軍人が集まって「岩手県護国同志会」結成大会、元陸軍参謀の辻政信も講演(昭和29年4月29日) 昭和29年4月30日の岩手日報より。 この頃、MSA協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定)が国会を通過し「日本も再軍備か」という話題で賑わっていた時期である。 そのような雰囲気の中で迎えられた天皇誕生日の4月29日、岩手県公会堂で元将官や佐官・在郷軍人など300名が集まって「岩手県護… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 29日 1954 近日、盛岡・新馬町に「名画館」をオープンします(昭和29年4月29日) 昭和29年4月29日の岩手日報の広告欄にて。 近日、盛岡市新馬町(現在の松尾町)に新たに「名画館」という映画館をオープンさせるという。 「最高名画を最低の料金で奉仕する」というあたりから、封切館ではなく二番館か名画座であるようだった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 28日 1954 盛岡郵便局で岩大学長が一日局長となり、ガチで仕事する羽目に 郵政週間の行事の一つとして、盛岡郵便局では県内の名士に一日局長をお願いしているが、今回は鈴木重雄岩手大学学長。 昭和29年4月29日読売新聞岩手版より。 鈴木学長は盛岡高等農林学校の校長であったものが学制改革でそのまま初代岩手大学学長となったものである。 午前10時に出勤し、局内の課長や組合幹部と話… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 27日 1954 盛岡のニコヨン(日雇い)慰安大会 昭和29年4月28日の読売新聞岩手版より。 盛岡市内の日雇い労働者とその家族を慰安するために、盛岡公共職業安定所では、岩手県公会堂で「日雇労働者家族慰安大会」を開催した。 約600名の日雇労働者やその家族が、舞台で「素人のど自慢」「アベック二つの歌」「舞踊劇」などを行った。 のど自慢の優勝者には賞品… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1954 盛岡・国劇で「封鎖作戦」「ギャングを狙う男」封切(昭和29年4月23日) 昭和29年4月23日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・国劇では「封鎖作戦」と「ギャングを狙う男」を封切するのだという。 「封鎖作戦」(原題:Gift Horse)はイギリス映画で、アメリカから払い下げられたボロボロの艦船で対独戦を戦うもの。日本初公開は昭和28年11月13日。 「ギャングを狙う男」(原… 続きを読む