d宮古・下閉伊郡

三陸鉄道は2年連続黒字(S61.4.1) c久慈・九戸郡

三陸鉄道は2年連続黒字(S61.4.1)

三陸鉄道は、第三セクターによる運営で開業以来二年連続黒字を達成し、順調な経営を続けています。開業当初のフィーバーには及ばなかったものの、乗客数は目標を上回り、経費削減や定期利用客の増加が黒字に貢献しました。第60年度の決算では、北リアス線と南リアス線の総乗客数が267万人に達し、前年から若干の減少が…
三陸鉄道開業(昭和59年4月1日) c久慈・九戸郡

三陸鉄道開業(昭和59年4月1日)

昭和59年4月1日、三陸鉄道開業。 その日を大槌小学校の3年生として迎えたが、当時のことは割とよく覚えている。 開業前から「三陸縦貫鉄道」に関して何やらよくテレビでニュースをやっていた。 そして「日本で初めての第三セクター鉄道」というのが誇らしかった。 釜石に行くと、釜石駅から大渡橋に行く途中の「3…
宮古商業高校で修学旅行を廃止(昭和43年3月14日) d宮古・下閉伊郡

宮古商業高校で修学旅行を廃止(昭和43年3月14日)

昭和43年3月14日の岩手東海新聞より。 宮古商業高校では、次の年度から修学旅行を廃止するという。 その理由について記事の書きぶりをそのまま抜き出すと、 交通ラッシュやすし詰め旅館に盛りだくさんのスケジュールという心身をすり減らす疲労を敢えてすることの是非について生徒の意思をきいていたが、この結論を…
田老鉱山にも公害問題でダム建造計画(昭和42年12月25日) d宮古・下閉伊郡

田老鉱山にも公害問題でダム建造計画(昭和42年12月25日)

昭和42年12月25日の岩手日報より。 ラサ工業田老鉱山では銅鉱、マンガン、亜鉛などを算出していた。 ところが、選鉱した残りの黒い鉱滓が長内川の下流に流れ、農作物やアワビなどに被害を与え、年間300万円の補償が必要であったという。 そこで、鉱山から4km下流の乙部地区に、ロックヒルダムを建造すること…
昭和42年のゴールデンウィークを振り返る a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和42年のゴールデンウィークを振り返る

昭和42年5月8日の岩手日報では、「ブームの観光岩手」という見出しでこの年のゴールデンウィークを振り返る記事が出ている。 下閉伊郡田老町・真崎海岸 【花巻温泉郷】 志戸平温泉では約20万円稼いで新記録 日帰り客は1日平均1200人の盛況 5/5のこどもの日は4000人の新記録 【平泉】 春の藤原まつ…
宮古電報電話局は4階建ての高層ビルになる予定(昭和41年10月28日) d宮古・下閉伊郡

宮古電報電話局は4階建ての高層ビルになる予定(昭和41年10月28日)

昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 昭和44年度に完成を目指す宮古電報電話局の自動改式局増設工事の地鎮祭と起工式は、10月28日11時から宮古市築地通りの建設現場で行われた。 起工式には、東北電気通信局長や宮古電報電話局長や、関係者来賓80名が出席して行われた。 宮古管内でも、電話架設の要望は…
宮古二中の生徒が浄土ヶ浜を清掃奉仕(昭和41年7月1日) d宮古・下閉伊郡

宮古二中の生徒が浄土ヶ浜を清掃奉仕(昭和41年7月1日)

昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 宮古の浄土ヶ浜は県内外からの観光客で逃げを始めているが、宮古第二中学校の男女生徒500人は、理科学習の1つとして浄土ヶ浜のゴミを清掃奉仕した。 前年に浄土ヶ浜を訪れた観光客は400,000人であったと言うが、この年はさらに上回る500,000人の誘致が約束され…
宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日) d宮古・下閉伊郡

宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日)

昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この時期、どこの市議会でも、速記の補助として録音が取り入れられていたが、そのうち、メインになるのではないかと思われていた。 しかし、そのためには、録音の切断や、雑音といった障害があるのだった。 そこで、宮古市議会の事務局長は、中央の速記者先に録音席を置き、机の…
県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日) d宮古・下閉伊郡

県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日)

昭和41年2月2日の岩手日報より。 県内の水産高校が共同で利用する実習船「宮古丸」が室蘭港を出航し、宮古港に到着した。 宮古港では宮古水産高校のブラスバンド部など全校生徒や漁業関係者が盛大に出迎えた。 宮古丸は室蘭の楢崎造船で建造され、総トン数190トン、全長31m、幅6.6m、エンジン620馬力、…
山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) d宮古・下閉伊郡

山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日)

昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。  …
葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日)

昭和40年10月18日の岩手日報より。 「峠の秋」と言うシリーズ物記事の5回目。 岩手郡葛巻町と下閉伊郡岩泉町の境界にあるこの峠は、「国境峠」と呼ばれている。 読みは「くにさかい」で、盛岡市と下閉伊郡川井村の境界にある区界峠と全く同じ発音になってしまうと言う。 カーブの多い峠道で「破折注意」「標高六…
早坂峠の秋(昭和40年10月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

早坂峠の秋(昭和40年10月15日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 盛岡と岩泉を結ぶ早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた。岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 この地域の農家の主食は100%ヒエだったそ…
岩泉の炭焼きの厳しい生活を描いた「焼き子の唄」が津川雅彦主演でテレビドラマ化(昭和40年1月23日) d宮古・下閉伊郡

岩泉の炭焼きの厳しい生活を描いた「焼き子の唄」が津川雅彦主演でテレビドラマ化(昭和40年1月23日)

昭和40年1月19日の岩手日報より。 昭和39年の「農民文学賞」を受賞した岩泉町出身の菅原康氏の「焼き子の唄」がNHKで単発ドラマ化されることになった。 主演は津川雅彦と川口知子。 ロケ地は岩泉町ではなく群馬県の四万温泉であったが、ここも製炭業が盛んであったという。 都会的な役の多かった津川と川口は…