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水沢町が市制したら人口46,500人(昭和28年8月18日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢町が市制したら人口46,500人(昭和28年8月18日)

昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 胆沢郡水沢町とその周辺の村々の合併と市制問題につき、8月7日に各町村の代表者により第1回準備員会を開いた。 そして16日には合同会議を開いた。 水沢と合併するのは小山村を除く1町6村であるとみられていた。 該当する町村の人口は以下の通り。 水沢市 18,92…
水沢松竹劇場で「暴力市街」公開!(昭和28年8月16日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢松竹劇場で「暴力市街」公開!(昭和28年8月16日)

昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 水沢松竹映画劇場では「暴力市街」を8月16日~18日まで上映する。 松竹系の映画館でありながら「暴力市街」は大映映画で、昭和28年6月24日の公開なので、おそらくは盛岡でもそのくらいの封切だったのではないだろうか。 実話に基づいているというが、ガンアクション…
江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日)

昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 …
山の神講をしてたらチフス蔓延(昭和27年9月29日) h水沢・江刺・胆沢郡

山の神講をしてたらチフス蔓延(昭和27年9月29日)

江刺郡下のどこだかの村で、チフス患者が出た旨、9月29日に岩谷堂保健所に連絡があった。 そして、その患者の近所の住民にも血液検査をしていたら、10月8日にやはり4名が疑似チフスに感染していたことが判明。 原因としては、9月12日に山の神を祀る「山の神講」をして、30人程度で宴会をしたからではないかと…
岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日)

岩手県民はどのような理由で死ぬのか。 岩手大学農学部小柳達男氏が県内の地域別に死因の調査を行った。 米作地(水沢):10万人 死亡者・・・10万人中213.3人 脳溢血・・・同 38.3人 結核 ・・・ 同 24.4人 乳児栄養不良 ・・・ 同 22.3人 畑作地(福岡(二戸)):7万人 死亡者・・…
昭和27年にもあった孤独死(S27.9.18岩手日報) h水沢・江刺・胆沢郡

昭和27年にもあった孤独死(S27.9.18岩手日報)

昭和27年にも孤独死はあるにはあった。 岩谷堂町(奥州市江刺)で、生活扶助(生活保護)を受給している身寄りのないお年寄りであったようだ。 ちなみに当時のプロ野球は近鉄パールス対大映スターズ。そちらも現存しない。 近鉄の投手は盛岡商業出身の沢藤光郎ではなく、黒尾重明と田中文雄(後の武智文雄)。…
江刺郡羽田村にモグリの歯医者(S27.9.11岩手日報) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡羽田村にモグリの歯医者(S27.9.11岩手日報)

江刺郡羽田村にモグリの歯医者がいて、平泉でお縄になったという。 このモグリ歯医者は、戦争の時に衛生兵で歯科治療の経験があったのだという。 ちなみに江刺郡羽田村は現在の新幹線水沢江刺駅があるあたりで、江刺郡でありながら江刺市ではなく水沢市と合併し、現在は江刺市とともに奥州市になっている。  …
胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置 a盛岡・岩手郡・紫波郡

胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置

昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡測候所では洪水予報の完璧を期すために、胆沢川と猿ヶ石川の流域に長期自記雨量計を設置するという。 これは、3年計画でどこに雨量計を設置すれば効果的な防災情報が出せるのかを調べるためのもの。 10か所への据え付けを予定しているという。 このことで平地や山岳部での降…
1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) b二戸・二戸郡

1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日)

昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の…
明治37年に誘拐されて東京に売られ47年ぶりの再会 h水沢・江刺・胆沢郡

明治37年に誘拐されて東京に売られ47年ぶりの再会

昭和26年1月4日の読売新聞夕刊より。 9歳の頃、岩手県内で誘拐されて東京府三鷹市内の農家に売られ、その後女中奉公などを転々として結婚し、現在(その時点)では都下北多摩郡神代村で3人の子供の母親となっていた56歳の女性が、岩手県内各市町村に依頼して肉親捜しをしていたところ、水沢町助役などの尽力で、5…
大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日)

昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校)    …
東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日)

昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。   まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ…
学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日)

昭和22年12月1日の新岩手日報より。 この時期、各中等学校は「学制改革」を控えており、学校再編が必至だった。 県側は、統合して昇格しようとしているのに対し、各学校側はそれに反対をしていた。 盛岡地区 盛岡中学は、杜陵中学を同行の夜間部として併設しようとしているが反対している。 杜陵中學側も、この闇…
水沢では灯火管制の反則36件(昭和20年7月6日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢では灯火管制の反則36件(昭和20年7月6日)

昭和20年7月10日の岩手日報より。 水沢警察署では、水沢町内の灯火管制の状況を点検したら、36件の反則があった。 電球に直接覆いを掛けているもの 片側だけ遮光しているもの 全く遮蔽をせずに雨戸だけ閉めているもの このために電球40個を押収した。 反則者は疎開者が多かったという。 言い訳としては「資…
水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日)

昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計…
江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」

昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。  …