h水沢・江刺・胆沢郡 9月 29日 1952 山の神講をしてたらチフス蔓延(昭和27年9月29日) 江刺郡下のどこだかの村で、チフス患者が出た旨、9月29日に岩谷堂保健所に連絡があった。 そして、その患者の近所の住民にも血液検査をしていたら、10月8日にやはり4名が疑似チフスに感染していたことが判明。 原因としては、9月12日に山の神を祀る「山の神講」をして、30人程度で宴会をしたからではないかと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 18日 1952 岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日) 岩手県民はどのような理由で死ぬのか。 岩手大学農学部小柳達男氏が県内の地域別に死因の調査を行った。 米作地(水沢):10万人 死亡者・・・10万人中213.3人 脳溢血・・・同 38.3人 結核 ・・・ 同 24.4人 乳児栄養不良 ・・・ 同 22.3人 畑作地(福岡(二戸)):7万人 死亡者・・… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 18日 1952 昭和27年にもあった孤独死(S27.9.18岩手日報) 昭和27年にも孤独死はあるにはあった。 岩谷堂町(奥州市江刺)で、生活扶助(生活保護)を受給している身寄りのないお年寄りであったようだ。 ちなみに当時のプロ野球は近鉄パールス対大映スターズ。そちらも現存しない。 近鉄の投手は盛岡商業出身の沢藤光郎ではなく、黒尾重明と田中文雄(後の武智文雄)。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 11日 1952 江刺郡羽田村にモグリの歯医者(S27.9.11岩手日報) 江刺郡羽田村にモグリの歯医者がいて、平泉でお縄になったという。 このモグリ歯医者は、戦争の時に衛生兵で歯科治療の経験があったのだという。 ちなみに江刺郡羽田村は現在の新幹線水沢江刺駅があるあたりで、江刺郡でありながら江刺市ではなく水沢市と合併し、現在は江刺市とともに奥州市になっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1952 胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置 昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡測候所では洪水予報の完璧を期すために、胆沢川と猿ヶ石川の流域に長期自記雨量計を設置するという。 これは、3年計画でどこに雨量計を設置すれば効果的な防災情報が出せるのかを調べるためのもの。 10か所への据え付けを予定しているという。 このことで平地や山岳部での降… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 1日 1952 江刺郡広瀬村では婦人会が卵を売って中学校にミシンを寄付(昭和27年7月1日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 江刺郡広瀬村では中学校が建ったものの、財政が貧乏でミシンすら買えなかった。 それで、婦人会が一念発起して卵を売り、ミシンを寄贈したというのである。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 5日 1952 1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) 昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 4日 1951 明治37年に誘拐されて東京に売られ47年ぶりの再会 昭和26年1月4日の読売新聞夕刊より。 9歳の頃、岩手県内で誘拐されて東京府三鷹市内の農家に売られ、その後女中奉公などを転々として結婚し、現在(その時点)では都下北多摩郡神代村で3人の子供の母親となっていた56歳の女性が、岩手県内各市町村に依頼して肉親捜しをしていたところ、水沢町助役などの尽力で、5… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 29日 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 28日 1950 東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) 昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。 まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 3日 1950 アキラ式完全除草器(昭和25年7月5日) 昭和25年7月5日の岩手新報より。 「アキラ式完全除草器」というのがあったようで、盛岡と水沢で一手に売っていたようだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 2日 1950 県南バスに35人乗りの大型バス(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県南バスでは35人乗りのいすゞの大型バスを導入するという。 ちなみに180万円とのこと。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 10日 1950 輸出品として期待される江刺郡黒石村の寒天(S25.2.10新岩手日報) 江刺郡黒石村(現在の奥州市水沢黒石)では寒天生産が盛んだったようで、輸出資源としても期待されていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 3日 1949 盛岡で町内会対抗野球(昭和24年11月3日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡市内では、町内会対抗の野球が開催されたようである。 また、水沢競馬では、大穴が出たようで、そのことも報じられている。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 5日 1949 県南各地で豪華東西浪曲大会(S24.5.5新岩手日報) 広告欄より。 県南の各地で「豪華東西浪曲大会」が開催されるという。 ちなみに黒沢尻(北上)や石鳥谷まで「県南」に入れるかどうかは議論が分かれるが、岩手県南バスの路線がなかったのは、この中では石鳥谷町のみ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1947 学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 この時期、各中等学校は「学制改革」を控えており、学校再編が必至だった。 県側は、統合して昇格しようとしているのに対し、各学校側はそれに反対をしていた。 盛岡地区 盛岡中学は、杜陵中学を同行の夜間部として併設しようとしているが反対している。 杜陵中學側も、この闇… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 9日 1946 岩手開拓公社が時局講演会(昭和21年9月9日) 昭和21年9月9日の新岩手日報より。 岩手開拓公社が「時局講演会」と言う戦時中じみた講演会をするのだと言う。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 6日 1945 水沢では灯火管制の反則36件(昭和20年7月6日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 水沢警察署では、水沢町内の灯火管制の状況を点検したら、36件の反則があった。 電球に直接覆いを掛けているもの 片側だけ遮光しているもの 全く遮蔽をせずに雨戸だけ閉めているもの このために電球40個を押収した。 反則者は疎開者が多かったという。 言い訳としては「資… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 6日 1943 木材業者がデマを放って立木を買占め逮捕(昭和18年4月6日) 昭和18年4月3日の岩手日報より。 水沢警察署は、デマを放って立木約1000本(3000円相当)を買い占めた西磐井郡山目村と胆沢郡衣川村の2名の男を、言論臨時取締法によって逮捕した。 どのようなデマかはこの記事では明らかにされていない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 3日 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 3日 1941 水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 20日 1938 江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 20日 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 6日 1938 女工契約を装い前渡金を詐取した村役場吏員(昭和13年3月6日) 昭和13年3月6日の岩手日報より。 江刺郡伊手村の35歳の書記は出稼ぎ指導員でもあったが、女工の募集に来た滋賀県の近江絹糸の募集員に、村内の2名の少女(17歳、16歳)と勝手に契約を結び、前渡金70円を自分が詐取したということで、執務中に岩谷堂警察署に連行されることとなった。 ところがこの書記、この… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 5日 1938 江刺郡稲瀬村に「精農塾」 昭和13年3月5n日の岩手日報より。 江刺郡稲瀬村に、この年度の経済厚生助成事業として、稲瀬小学校の隣に「精農塾」を設置することとした。 これは、青年修養施設として、青年団員や青年学校生徒を合宿させ、農民精神の高揚や村有地の開墾事業を行わせるというもの。 精農塾には、農具はもとより荷車、農薬といった… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5月 15日 1937 岩谷堂で人気の狂人「八つぁん」死す 江刺郡岩谷堂町(現:奥州市江刺区岩谷堂)で「八つぁん」と呼ばれ親しまれていた47歳の男は、3~4日前から行方が分からなかったが、15日になって町内の馬蹄工場跡で心臓マヒを起こして死んでいるのが発見された。 八つぁんは、若いころは腕利きの左官であったというが、20代半ばで発狂し、腹が減ればどこからでも… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 2日 1935 サンパウロに「愛宕村」を作りたい(S10.3.2岩手日報) 江刺郡愛宕村からブラジルへは、50家族150人余りが移住していたが、「サンパウロに愛宕村を作りたい」と意気盛んであった。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 5日 1934 岩谷堂で江刺農村婦人大会(昭和9年9月5日) 昭和9年9月11日の岩手日報より。 「青年のページ」として青年学校など青年に関するニュースが掲載されている。 その中で、写真1枚だけの記事として「江刺農村婦人大会」と掲載されている。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 26日 1932 江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市内の食料品店でビスケット祭りがあるという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 19日 1932 お洗濯はライオン石鹸を!(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 ライオン石鹸の総代理店であるという江刺市内の店舗が広告を出している。 北上や八戸にも支店があるらしい。 … 続きを読む