a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 15日 1955 七五三は平服で 昭和30年11月16日の岩手日報より。 11月15日は七五三の日であり、県内各地の神社では子供連れでにぎわったという。 女の子は振袖が多かったが、男の子は平服に近いものが多く、新聞そのものの言い方を借りると「親の見栄や虚栄心ともみられていた七五三もだんだん一般化してきたのは近頃の傾向」としている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 13日 1955 汽笛のまにまに 盛岡駅の24時間 昭和30年11月13日の岩手日報では、盛岡駅の24時間を1ページ内の写真で大々的に報じている。 盛岡駅はまだ「民衆駅」ですらなく、木造駅舎だった時代である。 盛岡駅の朝は、担ぎ屋のおばちゃんから始まる。 20貫(75kg)もの荷物を担いで数里の道も歩くのだという。 彼女たちは、「どっこいしょ」と座っ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 11月 11日 1955 花巻にモダンな婦人会館 昭和30年11月11日の岩手日報より。 花巻町役場が花巻中学校の跡地に引っ越したので、その跡地に婦人会館を建設した。 建物はモルタル塗りのクリーム色で、窓枠は薄いグリーン、正面は3階が化粧ガラス張りで、内部はフローリングの集会場などがあったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 11日 1955 県庁の玄関脇に「県民室」開設し好評 昭和30年11月11日の岩手日報より。 4月に岩手県知事が国分知事から阿部知事に変わり、民主的な県政をアピールするべく県庁の玄関脇に「県民室」をもうけ、県民の相談事に乗っている。 主に来る客としては、陳情が多いようで、そのほかにも県職員の採用相談や、農地問題の紛争解決、海外移民の相談、などの相談事が… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 9日 1955 見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日) 昭和30年11月9日の岩手日報より。 「この道三十年」というシリーズものの記事で、この回では69歳の前沢町役場使丁にスポットを当てているのだが、見出しが「あき盲の書類配達」となっているのである。 ここでいう「あき盲」とは、非識字者であることを指しているようで、書類の配達が主な仕事であるにもかかわらず… 続きを読む
c久慈・九戸郡 11月 9日 1955 じぇじぇじぇ!?久慈駅に10系気動車? 昭和30年11月9日の岩手日報より。 八戸線に新しいディーゼル・カーがお目見得するのだという。 その名は45000形。 つまり車両称号変更前の番号である。 八戸線は山田線や釜石線に比べたら、はるかに平坦な路線なのでディーゼル・カーの導入も早かった。 記事では「待浜駅付近の急勾配がネックだが」と書いて… 続きを読む
l全県 11月 8日 1955 長欠、臨時免状教員… これが「辺地学校」の実態だ(昭和30年11月8日) 昭和30年11月8日の岩手日報より。 県教育研究所では、辺地学校についての調査結果を発表した。 【辺地学校数】 小学校 ・・・ 776校中278校(35.8%) 中学校 ・・・ 386校中114校(29.5%) 合計 ・・・ 1062校中392校(33.7%) 【免許状】 小学校 普通免許状を持つ教… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1955 釜石で「ゴミ人夫33年」厚生省表彰 昭和30年11月7日の岩手日報より。 清掃人夫として33年間釜石市に奉職してきた53歳の男性が、厚生省所管の全国清掃協会に表彰されるという。 この人は釜石市役所衛生課におり、目が悪くて徴兵検査に不合格となり、一念発起して「人が嫌がることをやろう」と、当時請負制であったゴミさらいを始めたのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 7日 1955 教育会館の隣に5階建ての文化ビルを建てます!(昭和30年11月7日) 昭和30年11月7日の岩手日報より。 盛岡市では、国鉄盛岡工場二枚橋分工場の払い下げ鉄骨で、上田に東北一の体育館を建築しようと計画していた。(→昭和32年完成の盛岡体育館) このほか、盛岡市内の一等地である教育会館の隣の大通に文化センターを建設しようと計画していた。 構想によれば、四囲を緑地帯に囲ま… 続きを読む
l全県 11月 7日 1955 県内の飲食店にも「公給領収証」 昭和30年11月7日の岩手日報より。 11月1日から、遊興飲食税が大幅引き下げになった。 ただし、そのためには1回の支払いが500円以上になった場合に県で作成して領収書を渡さないと行けなくなった。 これが「公給領収証」である。 これは飲み屋だけではなく、芸者、赤線、果ては喫茶店までも同様に適用される… 続きを読む
j東磐井郡 11月 6日 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 5日 1955 川徳で創業88周年記念謝恩大売出し 昭和30年11月5日の岩手日報の広告欄より。 盛岡を代表するデパート・川徳が一面を使って大々的に広告を出している。 当時は肴町の、現在のホットライン肴町の入り口あたりに店舗があった。 … 続きを読む
m県外・参考 11月 5日 1955 社会党でも国会議員なら移動は特急つばめの展望車 昭和30年11月5日の岩手日報より。 この年の10月まで、社会党は右派社会党と左派社会党に分かれていたものが統一したのである。 それで、統一した社会党としての遊説を行うべく鈴木茂三郎委員長や浅沼稲次郎書記長らは特急「つばめ」で大阪を目指したのである。 社会党とはいえ国会議員なら「つばめ」の1等展望車… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 3日 1955 遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この頃の岩手県においては、僻地で学校まで何キロも歩かなければいけない、農作業で忙しいなどの理由で長欠している生徒が多くいた。 特に、体が成長し一人前の働き手とみなされた中学生であればなおのことであった。 この遠野市大出もそのような地区であり、この地区の中学生は何… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 11月 3日 1955 陸前高田で市制祝賀行列 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この年の1月1日に、岩手県内11番目の市として市制した陸前高田市が11月に入り、市制祝賀行列を行うこととなった。 以下の行事が予定されているという。 午前7時 市内消防団が高田高校に集まって演習、その後行進 午前9時 市内小中学校学童、幼稚園児8000名が岩手日… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1955 盛岡・松竹座で「太陽は日々に新たなり」封切!(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 松竹映画「太陽は日々に新たなり」を盛岡・松竹座で公開。 佐田啓二と岸恵子の主演で、昭和30年10月25日の公開なのでさほどのタイムラグはない。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1955 盛岡中劇で何故か「優秀文化映画を見る会」(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 盛岡中劇で「優秀文化映画を見る会」が催されるという。 映画館通りのど真ん中で、夜の9時からこんな真面目な映画を見せてどのくらいの客が集まったのかは分からないが、文化の日の前の日ということで、やろうとおもったのだろうか・・・  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1955 盛岡・川徳デパートで食品大売り出し!(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、食料品の大売り出しをやるという。 当時の物価が見て取れる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。 へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・文化劇場で「阿修羅四天王」「東京暴力団」公開!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の文化劇場では「阿修羅四天王」と「東京暴力団」を公開する。 「阿修羅四天王」は昭和30年4月26日初公開の東映時代劇で市川右太衛門が主演。 「東京暴力団」は昭和30年5月25日初公開の大映映画で、菅原謙二や川崎敬三等が出演。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・中央ホールで「男の争い」「肉体の怒り」封切!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールで「男の争い」と「肉体の怒り」を封切する。 「男の争い」(原題:Du Rififi chez les Hommes)は昭和30年製作のフランス映画で、日本での初公開は昭和30年9月22日。 「肉体の怒り」(原題:La Rage Au Corps)… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1955 釜石自動車教習所では夜間部を開設!(昭和38年11月1日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石自動車教習所では、夜間部を開設するという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 8日 1955 国体聖炎旗リレーは水沢へ 昭和47年までは、国体の「大会旗リレー」が前年の開催地からその年の開催地まで行われていた。 岩波写真文庫183「日本 1955年10月8日」より 昭和30年の秋の国体は神奈川で行われる。 その前年の昭和29年の秋の国体は北海道で行われていた。 それで、国体旗が国道4号線を南下して神奈川を目指すことに… 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 2日 1955 県北ではヒエが豊作(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 県北では特産のヒエ刈りが始まった。 県北の全耕地の3割(2700町歩)を占めるヒエは2年続きの冷害であったが、この年は32000石はとれるという予想であった。 写真は浄法寺にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1955 岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 岩手町のキャベツは、普段であれば9月に出回っていたところ、この年は夏蔬菜が早く終わってしまい値が良いので、8月下旬には出回るようになり、貨車が足りないほどであったという。 ここ数年は冷害であったが、この年は豊作であったという。 1俵(6貫)で、大阪300円、… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 27日 1955 大船渡港近くの飲み屋が「カンバンだよ」と断ったらカツオ漁師に袋だたき(昭和30年8月27日) 昭和30年8月28日の河北新報岩手版より。 8月26日から27日に日付の変わった頃のこと。 三重県三木浦港からはるばる大船渡港まで入ってきたカツオ漁船の漁師が、港に近い飲み屋に入ろうとした。 店の親父は「悪いね。もうカンバンなんだよ」 「何だと!?」「何だとでねえこのー?」 口論になってしまい、しま… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 26日 1955 盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) 昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 25日 1955 マグロやメカで埋まる豊漁の釜石港(昭和30年8月25日) 昭和30年8月25日の河北新報岩手版より。 釜石港の沖合のスルメ、鯖、マグロ、メカ漁は最盛期に入っており、水揚げ高は700~800万円にも達していたという。 8月22日は回来船や地元船のスルメやサバ船で43400貫あまり、金額にして900万円であったという。 ところで、ここで言う「メカ… 続きを読む
m県外・参考 8月 19日 1955 仙台・藤崎デパートでは決算後大処分市(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 岩手版とはいっても河北新報なので、広告欄は仙台中心になっている。 仙台の藤崎デパートの決算後大処分市の広告で、当時の衣料品の価格が解ろうというもの。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 19日 1955 二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、… 続きを読む