a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 12日 1955 紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。 この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 10日 1955 花巻空襲10周年で全市民が黙祷(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 この10年前である昭和20年8月10日、花巻町は空襲被害に遭い、死者45名、焼失家屋673戸で盛岡・釜石に次ぐ被害となった。 この日は正午を期し、全市民が黙祷するという。 写真は花巻のメインストリートである上町通り。 勿論まだ花巻デパートもマ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 8月 10日 1955 村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 九戸郡九戸村では、まだ上水道が整備されておらず、飲用水は井戸水に頼っている状況であった。 伊保内中学校では、村の予算が無く、高台の耕地に建てられた校舎の隅に形ばかりの井戸を設けたのだという。 しかし、水面が地面と同じ高さとなり、雨が降れば下水からあふれた汚… 続きを読む
m県外・参考 8月 7日 1955 仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 同じ紙面では「仙台に負けまい」と盛岡で七夕が開幕したというニュースが報じられているが・・・ いくら盛岡で「仙台に負けない七夕を」と報じたとは言っても、しょせん河北新報は仙台の新聞である。 広告は仙台のものだし、七夕なら仙台の七夕なのである。 &… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 6日 1955 リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 リンゴは「夏の味覚」なのであったという。 本場の青森よりも減収が予想はされていたが、稗貫地方では平年並みの作柄であったという。 紅魁・旭などの早生はこの時期の収穫で、1貫あたり270~280円で市場に卸されたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 4日 1955 盛岡で「今年こそ仙台に負けまい」と七夕が開幕(昭和30年8月4日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 8月4日から、盛岡市内でも七夕まつりが始まった。 「ことしこそ仙台に負けまい」と気合いが入っていたのだという。 それで、大通りや肴町では車馬通行止めとなり、警官が総出で交通整理するなど大変な賑わいであったという。 大通りでは200店が参加し、七夕コンクールを… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 3日 1955 宮古の遊園地で小鹿が誕生(昭和30年8月3日) 昭和30年8月3日の河北新報岩手版より。 宮古市末広町の双葉遊園地では鹿がいたようであるが、このほどメスの子鹿を生んだとの由 もともとは、宮古市で前年の5月に宮城県林務部の斡旋で金華山のつがいの鹿を円で購入したのだと言う。 これが子供を産んだのだが、なぜか親鹿は子供を寄せ付けない。 かわいそうに思っ… 続きを読む
hスポーツ 8月 3日 1955 水沢にプールを新設(昭和30年8月4日) 昭和30年8月3日の河北新報岩手版より。 水沢市体育協会やPTAや校長会などが、水の事故を防ぐために5月末からプール建設準備会を結成していた。 そして市民から寄付を募り、水沢市搦手町の貯水池に工費58万円をかけてプールを建設したのである。 このプールは、長さ40メートル幅25メートルとなっている。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 1日 1955 陸前高田・気仙小学校で新校舎の落成式(昭和30年8月1日) 昭和30年8月3日の河北新報岩手版より。 陸前高田市の気仙小学校が1日に新築落成記念式典を行った。 総工費4841万円、鉄筋コンクリートの3階建て、2958平方メートルで県内一を誇る。 この日は「気仙川開き」をかねて全町あげて祝賀気分となった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 1日 1955 山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日) 昭和30年8月1日の河北新報より。 広告欄には「岩手のヒバ」として、山田線平津戸駅前の製材所の広告がだされている。 平津戸駅といえば、令和4年(2022年)3月に全列車通過となる「事実上の駅廃止」となっていたてしまったが、往年は木材の積出駅として賑わったのだ。 事実上の廃止に際し、実際… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1955 東北本線に清水原駅開業 花泉町にある清水原駅は、昭和19年の開設当初は信号場であったところ、地元民や隣接の金沢村によって駅昇格運動が起こっていた。 そうしたところ、いよいよ7月1日に駅として開業することとなったのである。 費用は全額地元負担で、鉄道側の組んだ予算は495万円、そのうち70万円の人件費は地元の人たちの労力奉仕… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 29日 1955 化粧品会社の美容師が一関に来て実演します!(昭和30年6月29日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 ローガン化粧品という会社の美容師が一関に来て実演するという。 ・・・ところでローガン化粧品、いや、ローガン化粧料って? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 27日 1955 保険会社の外交員の初任給は3000円(昭和30年6月27日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 日本生命の一関支部では外交員を募集している。 初任給は3000円であるとか。 … 続きを読む
g教育 6月 27日 1955 一関で英語教室(昭和30年6月27日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 一関で英語教室を開くというが、教えるのは一関一高や一関二高の英語教師。 …というか、それって地方公務員法上大丈夫だったの? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 24日 1955 浪曲界の大御所・梅中軒鶯童・園子が一関に来ます!(昭和30年6月24日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 浪曲界の大御所である梅中軒鶯童・園子が一関に来るという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 21日 1955 一関・千葉久デパートの求人広告(昭和30年6月21日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 千葉久デパートでは求人広告を出している。 ところで「千葉」「久」の間にワンスペース空いてたの? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 20日 1955 一ノ関機関区か1千万キロ無事故達成 昭和30年6月21日の岩手日日新聞より。 一ノ関機関区は、青森発上野行112列車の一ノ関駅到着をもって、1千万キロ無事故を達成した。 一ノ関駅では、一関市長や盛鉄局長まで参列して盛大に記念セレモニーが開催された。 ところで、この頃の東北本線の普通列車はC57が牽引していたらしい。 &n… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 4日 1955 シケが幸いしワカメで賑わう九戸沿岸(昭和30年6月4日) 昭和30年6月4日のデーリー東北より。 岩手県九戸郡沿岸では、ワカメ採取の最盛期を迎えていたと言う。 5月28日が続いたシケの影響で、ワカメが岸に打ち上げられているため種市の小子内浜ではナギを持って部落民が早出で3500貫ほどを拾いあげたと言う。 55〜6歳の老漁夫は、水から上がって焚き火に当たりな… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 平金商店(電話盛岡48番)ではブルースター計算機を絶賛販売中 昭和30年5月18日の岩手日報に掲載された広告より。 コンピューターなんてものがなかった昔、計算機といえば「タイガー計算機」とかそういうのが主流だった、ということは知っている。 ブルースター計算機というものがどういうものであったかというと、統計資料館(総務省統計局)のページによれば、以下のとおりであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 最新式ソフトドーナツ製菓機 昭和30年5月18日の岩手日報の広告欄より。 最新式のソフトドーナツ製造機の広告が出ている。 ああ・・今でも夜店とか行けばこんな感じの機械はあるのかもしれない。 これは製菓機そのもののコマーシャルというよりは、「起業しませんか!」という広告であるように思える。 昭和30年代中頃で、日本の労働力人口は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 岩手中央バスの本社が日影門から駅前に移転 昭和30年5月17日の岩手日報より。 岩手中央バスの本社車庫が、5月16日に日影門から駅前に移転し、盛岡市長や陸運局長まで招いて落成式典が行われた。 そして18日から、バスは本社前から駅前の発車に変わり、日影門の本社前は観光バス専用になるという。 これで、内丸の本社前道路も混雑が緩和されるのではない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 ゴム車の御用命はこちら 昭和30年5月17日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡と北上の販売店が「在庫豊富」を謳い文句にして宣伝している。 見た限りでは、大八車のうち車輪がゴムであるものをそのように呼んでいるようだ。 現在、Googleで「ゴム車」で検索しても、自由工作で輪ゴムを使ったはずみ車が出てくるだけで、このような… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 盛岡警察署と盛岡税務署が濁密を摘発 盛岡税務署は盛岡警察署の応援を得て、市内で「第三国人を主とする濁酒密造ならびに密売所を急襲」(昭和30年5月18日の岩手日報の記述ママ)した。 一部では抵抗もあったようだが、市内7か所での戦果としては以下の通り。 オケ9個 カメ7個 一升ビン12本 玄米7斗 密造道具3点 「濁密」つまりドブロクのこ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 北上バス転落事故(昭和30年5月14日) 瀬戸内海で宇高連絡船紫雲丸が沈没し多くの修学旅行生が犠牲になって3日後の昭和30年5月14日のこと。 稗貫郡石鳥谷町の八日市小学校の修学旅行帰りの小学生を乗せ松島から来たた花巻電鉄の貸切バスは、夜の国道4号線を北に上り学校に戻ろうとしていた。 飯豊橋のあたりで向こうから藁を満載したお百姓さんの自転車… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5月 2日 1955 一関3大デパートの一角「福原」が桜まつり協賛大特売会(昭和30年5月2日) 昭和30年5月2日の岩手日日新聞の広告欄より。 一関三大デパートの一角とされていた「福原」が一関桜祭りに合わせて大特売会を行うという。 5月と言えば梅雨の前でもあるので、傘やカッパの品揃えもぬかりない。 ちなみに一関三大デパートのその他「千葉久」「東光」については、千葉久に関するWik… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5月 2日 1955 一関では桜祭りに5万人の人出ザンス 昭和30年5月2日の岩手日日より。 「桜まつり」とは言いながらこの時期には桜はもう散っていたようで、葉桜と共に行われたようである。 ちなみに、気象庁のホームページによれば盛岡の桜の開花は4月18日、満開は4月27日、仙台の桜の開花は4月11日、満開は4月16日であった。 5月1日はメーデーの日でもあ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 23日 1955 一関七夕始まる(昭和30年8月23日) 昭和30年8月23日の河北新報岩手版より。 この日、一関でも七夕まつりが始まった。 写真は一ノ関駅の七夕飾りである。 これに先立ち、8月20日にはミス一関コンテストが行われ、20名のうちから以下の3名が入賞した。 ミス一関:塗料店勤務(20歳) 準ミス一関:専売公社職員(20歳)、一関服装学院生徒(… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 23日 1955 一関市内映画館プレイガイド(昭和30年3月23日) 昭和30年3月23日の岩手日日より。 一関市内の映画館のプレイガイドとなっている。 上映はそれぞれ以下の通り。 一関文映 幸福を配達する娘(大映、初公開S30.2.5) 明治一代女(新東宝、初公開S30.1.22) 中央映劇 明日の幸福(東宝、初公開S30.2.12) ウィーンの別離(仏・原題PAR… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 29日 1955 花巻電鉄の花巻温泉駅に6尺の雪のコケシ(昭和30年1月29日) 昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 第8回県民スキー大会が花巻温泉郷で開かれていた。 それを歓迎して、花巻電鉄の花巻温泉駅では6尺近い大コケシの雪像を作ったのだという。 それは観客の度肝を抜いたようだ。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 29日 1955 仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日) 昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 仙台市内の学校入学案内があるが、ほとんどが裁縫学校。 平成以降であれば、裁縫学校とはファッションを仕事にする人のためのための学校となっているが、この時代であれば服地を何ヤール買ってミシンで作っていたであろうから、かなりの女性に需要があったのだろう。 &nb… 続きを読む