備考※6d

久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日) c久慈・九戸郡

久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日)

昭和32年10月6日のデーリー東北より。 久慈小学校では児童のではなくPTAの運動会が行われることとなった。 いつものPTAの集まりからは、さほど参加者を期待していなかったがこの日は200名も集まったという。 写真は「ミセス・コンテストレース」であるという。      …
南部せんべいは八戸の名物・・・なのか?(昭和32年10月3日) m県外・参考

南部せんべいは八戸の名物・・・なのか?(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 南極越冬隊の食料として、青森県からは南部せんべい・イカの塩辛・津軽味噌を送ることとなった。 それで、八戸のデパートである丸美屋では商工会議所の協力を得て発送作業を行うこととなった。 南部せんべいは石油缶10本、塩辛は2貫樽5個に詰められて運び出されるという。…
東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) m県外・参考

東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。…
久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 おなじ10月3日の紙面では、となりの種市の八木港がサバの不漁となっていた時、久慈の久喜浜ではイワシが豊漁であった。 連日1万貫もの水揚げがあり、魚油を絞った後に肥料に使うシメ粕の加工に主婦や子供達は忙しかった。 シメカスは1貫230円前後で売れるのだという。…
種市の八木港ではサバが不漁(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

種市の八木港ではサバが不漁(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 三陸沿岸は、この時期最も魚の取れるシーズンであるはずが、種市の八木漁港ではサバが全く獲れないじょうきょうであったという。 他県のサバ釣り船団も日本海の方に行ってしまった。 サンマは好調なのだが、八木港は水揚げ港に指定されておらず入港する船は無し。 製氷工場も…
久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 久慈港の堀込工事は、宮城建設によって進められていた。 この工事の土台となるテトラポット投入は、県内ではじめてケーブルクレーンからの投下によって行われることとなった。 (それまではどんな方法で行われていたのかは書いていない) この方法であれば、どんな荒海でも関…
八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) m県外・参考

八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日)

昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。   …
盛岡・内丸座で「正義派」公開(昭和32年3月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「正義派」公開(昭和32年3月6日)

昭和32年3月7日の河北新報岩手版より。 盛岡の内丸座では、「正義派」を公開する。 「正義派」は、昭和32年2月20日初公開の松竹映画で、主演は佐田啓二と久我美子。 ちなみに、河北新報岩手版ではこれまで盛岡東映の映画広告しかなかったが、松竹系の内丸座の広告が登場したのはこの日が初めてである。 それで…
大槌町の江岸寺の本堂がほぼ完成(昭和32年2月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌町の江岸寺の本堂がほぼ完成(昭和32年2月17日)

昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 上閉伊郡大槌町の曹洞宗江岸寺では、昭和31年秋以降、鉄筋コンクリートで本堂を建築していたが、順調に工事が進み、ほぼ完成した。 江岸寺は、徳川時代と明治34年に火災に遭っており、その後50数年間仮本堂となっていたのである。 本堂は98坪で、工費に8,50万円…
東和町で巡回映画のタダ見を断られて放火(昭和32年2月15日) f花巻・稗貫郡

東和町で巡回映画のタダ見を断られて放火(昭和32年2月15日)

昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 東和町の仲町公会堂で映画会が開催されたが、それをただで見ようとした大工の男がいた。 映画会が開催されたが、それをただで見ようとした大工の男がいた。 もちろん断られたが、それに逆ギレしたその男は、屋根に放火したのである。 発火と同時に付近の人々が発見し、屋根…
一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日) i一関・西磐井郡

一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日)

昭和32年2月2日の河北新報岩手版より。 2月1日は旧正月の初売りであったと言う。 一関市内の商店街は、岩手県南から宮城県北までの客を一手に集めてにぎわいを見せた。 前年の暮れには、一関には東光デパート、千葉久デパートと相次いで2つデパートが生まれたこともあり、大賑わいだったようである。  …
この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日)

昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 盛岡市中ノ橋通りにて 1月20日と言えば大寒であったが、この日の盛岡は外でもオーバーを脱ぎたくなるような暖かさであったと言う。 前日に降った雪もすっかり溶けてほこりもまうと言う春のような天候であったと言う。 盛岡八幡宮の境内で行われた雪の芸術祭の雪蔵も、片…
「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日)

昭和32年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市上田小学校の教諭は、「国際写真サロン」に日本人で唯一入賞したのだという。 水沢市若柳(?)で撮影した写真であるという。 ところで若柳であれば水沢市ではなく胆沢町では?という気もするが、令和4年現在はいずれにしても奥州市。     …
貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日) b二戸・二戸郡

貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日)

昭和32年1月10日の河北新報岩手版より。 この当時、二戸の木炭は東京駅頭渡しで500円と言う高値を記録していた。 しかし、貨車不足のために1車も出せなかったと言う珍しいことになってしまった。 二戸地方では、年間200万俵の木炭を生産していたが、ほとんどは農業との掛け持ちなので、前年の家は1ヶ月ぐら…