a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 16日 1952 盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日) 昭和27年5月17日の岩手新聞より。 盛岡市日影門外小路(現在の盛岡中央郵便局の通り)の四ツ家教会で和装ながらカトリック式の結婚式。 記事では「牧師は厳かに式を進める」と書いているが、牧師とはプロテスタントの表現で、ここでは「神父」となるはず。 四ツ家教会は令和4年現在でもカトリック教会として現存す… 続きを読む
l全県 5月 8日 1952 砂糖は自由販売になって居ります!(昭和27年5月8日) 昭和27年5月8日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手県内の砂糖卸商により、「砂糖は自由販売になりました」と言う広告が出されている。 このように、わざわざ「自由販売」であることを主張すると言うことが、戦中戦後の統制の多い時代を物語っている。 … 続きを読む
l全県 5月 8日 1952 ラジオ番組表(昭和27年5月8日) 昭和27年5月8日の岩手新聞より。 5月8日のラジオ番組表が掲載されている。 JOQGとはNHK盛岡放送局のこと、JOKRとはTBSラジオのこと。 … 続きを読む
l全県 5月 7日 1952 ラジオ番組表(昭和27年5月7日) 昭和27年5月7日の岩手新聞より。 ラジオ番組表は以下の通り。 「JORK」とは「JOKR」(現在のTBSラジオ)の誤植だろうか。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 6日 1952 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも… 続きを読む
l全県 5月 3日 1952 ルチン服用の心得(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、複合ルチンの広告が出ており、「ルチン服用の心得」というのが出ている。 今では、日本そばによく含まれていると言われているが、ルチンというのは一体どのような効能をもたらすのか。 それは、脳溢血の薬だったようである。… 続きを読む
l全県 5月 3日 1952 魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、レスタミンコーワの広告がある。 当時は、「蕁麻疹になるから魚を食べない」と言う人がいたようである。 今では、このような言説はあまり聞かないような気もするが、これは当時の魚の鮮度の問題だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 2日 1952 岩手殖産銀行が創立20周年(昭和27年5月2日) 昭和27年5月2日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手殖産銀行が創立10周年を迎えた事の挨拶広告が掲載されている。 現在でこそ「岩手銀行」となっている岩手殖産銀行であるが、昭和6年当時の金融恐慌から岩手県内の銀行が大同合併して誕生したものである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1952 講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 この年の4月28日、サンフラなシスコ講和条約が発効し、日本は国家主権を回復した。 そのおかげで、これまでGHQに「軍国主義につながる」と禁じられていた柔道や剣道などが解禁されることになった。 それで、盛岡のY小学校では騎馬合戦が繰り広げられることになったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1952 休刊していた岩手新報が「岩手新聞」として復刊(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 …というか岩手新聞? それはどこの新聞? …と思うところであるが、岩手新報と同じマイクロフィルムのリールに入っていたので、これが4月1日に休刊した岩手新報の後継となるのだろう。 しかし、下の広告には「岩手新報からの復刊」というよりは、全く新しい「創刊」というニュア… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1952 岩手新報は印刷機器の更新のために休刊(昭和27年4月1日) 昭和27年4月1日の岩手新報より。 読者向けに「謹告」が出ている。 それは、輪転機などの印刷機器の更新のために、4月2日以降新聞の発行を休刊すると言うものである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1952 富士鉄釜石製鉄所が十勝沖地震のお見舞いお礼 昭和27年3月7日の河北新報より。 十勝沖地震は3月4日発生。 釜石製鉄所ほどの大規模な事業所になると仙台方面の付き合いも多かったのだろう。 それで河北新報にも広告となったようである。 富士製鐵は昭和25年の財閥解体で、それまでの日本製鐵が富士製鐵と八幡製鉄に分割されて発足。 昭和45年には再び八幡… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 2日 1952 一関で県南バスが磐井川に転落 昭和27年3月2日朝8時過ぎ、西磐井郡萩荘村黒沢字本町の県道で萩荘行きの県南バスが、前方に止まっていたリヤカーを避けようとして右にハンドルを切ったら雪で滑り磐井川に転落、重軽傷者12名を出した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 25日 1952 貨物列車が盛岡駅に到着したら後ろ12両貨車が無い!? 昭和27年2月25日の18時45分、青森発大宮行きの貨物列車が14分遅れで盛岡駅に到着した。 そうしたところ、連結されているはずの貨車の後ろ12両が無くなっているではないか! 調べてみたら、その12両は滝沢駅にあった。 何者かが意図的に連結器を外したに違いない。 事件は盛岡警察署に連絡され、捜査が始… 続きを読む
m県外・参考 2月 14日 1952 仙鉄局の新しい社宅 昭和27年2月14日の河北新報より。 岩手県のニュースではないが、当時の最新鋭の住宅事情について触れているので。 仙石線の榴ヶ岡駅前に国鉄の社宅が完成した。 この当時、仙台には鉄道公舎が400世帯分あったと言う。 しかし、そのほとんどが築30年以上も老朽化したものであったと言う。 それで、前年から新… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 2月 14日 1952 気仙郡大船渡町で大火 昭和27年2月14日の河北新報では「大船渡で47棟焼く」という見出しで、気仙郡大船渡町の大火について報じている。 日付が変わった0時過ぎに出火し、2時ごろ鎮火したのだという。 ちなみにこの時点ではまだ大船渡市は発足前で「気仙郡大船渡町」となっている。 この年の4月1日、大船渡町は盛町・赤崎村・猪川村… 続きを読む
j東磐井郡 1月 9日 1952 東磐井郡薄衣村の日雇が子供を千葉県の農家に売って検挙(昭和27年1月9日) 昭和27年1月9日の岩手新報より。 東磐井郡薄衣村の貧しい日雇いが、娘や息子を千葉県市川市や松戸市の農家に売ったというのである。 それで国警一関地区警察署が逮捕したというもの。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1952 寒の入りでスケート初滑り(昭和27年1月6日) 昭和27年1月6日の岩手新報より。 寒の入りとなり、盛岡では高松の池や上田田圃でスケートの初滑りが見られた。 まだまだ高松の池でスケートができる時代だった。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 5日 1952 1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) 昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の… 続きを読む