年: 1927年

サンマの季節の貨物列車 d宮古・下閉伊郡

サンマの季節の貨物列車

微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい…
平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが i一関・西磐井郡

平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが

昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では…
盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(昭和2年4月22日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(昭和2年4月22日)

昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の内丸座ではこの22日から何と4本立てで「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開する。 「広瀬中佐」は大正15年6月25日初公開のサイレント映画で製作は松竹蒲田。 「幻の賊」は昭和2年12月1日に松竹蒲田で初公開であるというが(日本映画情報…
盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日)

昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正14年以来、盛岡~宮古間の郵便輸送は盛宮自動車によって輸送されるようになった。 しかし冬は積雪の為に運転中止され、郵便物は駄馬によりトコトコ運ばれていたという。 しかし、この冬は万難を排して冬でも自動車で輸送すると逓信局と交渉中である、ということだった。 &nb…
不景気で酒の捨て売り(昭和2年1月8日) f花巻・稗貫郡

不景気で酒の捨て売り(昭和2年1月8日)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 いつもであれば正月は酒屋の書き入れ時のはず。 しかしこの年は、金融恐慌であるのに加えて大正天皇の崩御で諒闇という二重苦にあえぎ、全然酒が売れないという状況であった。 また、前年は紫波郡を中心に旱魃であったが、この年も旱魃が予想されるというのでさらに不景気ムードに輪を…
暴風で警察電話が全部不通になるなど甚大な被害(昭和2年1月8日) 0_主要ニュース

暴風で警察電話が全部不通になるなど甚大な被害(昭和2年1月8日)

天気の様子 当時の盛岡測候所の記録を見ると、昭和2年1月7日は降水量12.0mm、1月8日は6.1mmとなったようである。 また、天気図を見ると、昭和2年1月7日は、低気圧が対馬海峡から日本海を北上していることが分かる。 当時は気象レーダーも気象衛星もない。 各地の観測の風向や気圧から、低気圧や前線…
盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日)

昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと…
内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開! a盛岡・岩手郡・紫波郡

内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開!

昭和2年1月7日の岩手日報より。 この日から「カラボタン」「ロイドの初恋」他を公開するという。 「カラボタン」は松竹映画で、諸口十九と筑波雪子の主演のラブコメで、この時代なので無声映画である。 公開自体は前年の大正15年8月30日で、大正15年のキネマ旬報ベストテンで第5位に輝いた作品。 そして「ロ…
農家の売り惜しみで米が出回らず f花巻・稗貫郡

農家の売り惜しみで米が出回らず

昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった…
貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 盛岡駅北側の貨物列車入換線で、貨車連結中の19歳の連結手は10両編成の貨車に飛び乗ろうとしたら、「寒気の為に」靴を滑らせて線路上に転倒し、悪いことにその貨車に引かれて両肩と顔面に重傷を負い人事不省で岩手病院に収容されたのだという。 このように、貨車の連結は特に危険な…
盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(昭和2年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(昭和2年1月6日)

昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正天皇崩御の諒闇のうちに昭和は始まったが、盛岡市内ではすでに24人の赤ちゃんが生まれていた。 それで「和子」ちゃん、「和一」くん、「昭一」くんと、元号にちなんだ名前が多数生まれていた。 記事では「つい最近まで大正っ子なんて言って新しがっていたのに」と移り変わりの速…
刑務所の看守が生活苦から身投げを図る i一関・西磐井郡

刑務所の看守が生活苦から身投げを図る

昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰…
諒闇でも講談社の広告は元気 l全県

諒闇でも講談社の広告は元気

大日本雄弁会講談社の広告は押しの強さで知られるところ。 https://twitter.com/oldpicture1900/status/1448500002876133376?s=21   それは大正天皇の崩御による諒闇の中でも例外ではなかった。 昭和2年1月4日の岩手日報ではこんな調…
盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日)

昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。  …
昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日)

昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 …