a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1927 一方井事件(S2.1.29) 昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。 火災後、昭和2年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1927 盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) 昭和2年の年明け早々、盛岡では流行性感冒(いわゆる流感)が急速に拡大し、市内の医療機関が慌ただしさを増していた。市民の間でも不安が広がり、新聞紙上では予防と対策の重要性が呼びかけられている。 この流感について、当時の岩手病院内科部長は次のように語っている。 「死亡率は非常に低いが、悪性で注意を要する… 続きを読む
l全県 9 1月 1927 警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月8日、岩手県内は冬型の気圧配置の影響で猛烈な暴風雪に見舞われた。各地で家屋の倒壊や倒木、電線の切断が相次ぎ、交通や通信に甚大な影響を及ぼした。 なかでも深刻だったのは、県内の警察電話が全面的に不通となってしまったことである。記事によれば、「復旧までには十日を要す」との見通しが出されており… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 1月 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月、岩手日報は「盛岡~宮古間の冬季郵便逓送を自動車で継続すべく、逓信局と交渉中である」と報じた。実はこの区間、すでに大正14年からは「盛宮自動車」による郵便輸送が始まっていたが、冬場は例年通り積雪のため運休し、郵便物は駄馬によって雪道を越えて運ばれていたという。 この「雪道」とは、すなわち… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 1月 1927 盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(S2.1.9岩手日報) 大正天皇の崩御にともない、昭和元年が始まったのは1926年12月25日。いわゆる「諒闇(りょうあん)」の中に幕を開けた新時代でしたが、その静かな幕開けのなかでも、盛岡市内ではすでに24人の新生児が誕生していたことが、昭和2年1月9日付の『岩手日報』で報じられています。 その24人のうち、12月26日… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8 1月 1927 不景気で酒の捨て売り(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報には、正月らしからぬ静けさに包まれた街の様子が描かれています。とりわけ打撃を受けたのが、例年であれば“書き入れ時”となるはずの酒屋でした。 本来であれば、新年の祝いや帰省客の接待で賑わい、注文が殺到するはずの酒屋。しかし、この年は事情がまったく違っていました。 背景には二つ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1927 入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 この日の盛岡駅は、朝から見送り客でごった返していた。向かう先は、弘前の歩兵連隊。現役兵として入営する若者たちを見送るため、家族や友人たちがホームに詰めかけていた。 写真に写るのはその一幕。列車の窓越しに帽子を振る者、最後の言葉を交わそうとする者、それをただ黙って見つ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1927 盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) 昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1927 内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開! 昭和2年1月7日の岩手日報より。 この日から盛岡の内丸座では「カラボタン」「ロイドの初恋」など複数作品の公開が始まった。 「カラボタン」は1926年(大正15年)8月30日に松竹キネマ蒲田撮影所で製作された無声映画で、監督は野村芳亭。主演は諸口十九と筑波雪子。脚本は野村芳亭と村上徳三郎、原作は柴田端… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7 1月 1927 農家の売り惜しみで米が出回らず 昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1927 貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。 事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なこ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 1月 1927 刑務所の看守が生活苦から身投げを図る 昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1927 陸軍始めの観兵式は中止(昭和2年1月4日) 昭和2年1月4日の岩手日報より。 毎年1月8日には「陸軍始め」として観武ヶ原の騎兵第三旅団では観兵式を行っていたようだが、この年は大正天皇崩御による諒闇のため中止とのことであった。 … 続きを読む
l全県 4 1月 1927 諒闇でも講談社の広告は元気(S2.1.4岩手日報) 昭和2年正月――前年末に大正天皇が崩御し、日本全体が厳粛な空気に包まれていたはずの時期である。新聞紙面も「諒闇」(りょうあん)として華美を避ける風潮が一般的だった。 ところが、そうした空気をまるで意に介さないような広告が、昭和2年1月4日付『岩手日報』朝刊に掲載された。発信元は、大日本雄弁会講談社。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1927 盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) 昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。 … 続きを読む
l全県 1 1月 1927 昭和2年の元旦は「諒闇奉悼」(S2.1.1岩手日報) 昭和2年(1927年)1月1日の岩手日報―― その元日号は、私たちがよく知る「新年の新聞」とはまったく趣を異にしています。 前年12月25日、大正天皇が崩御され、ただちに昭和と改元。新天皇・裕仁親王の践祚により、新しい時代が始まりました。 しかし、宮中では深い哀悼の意を表す「諒闇(りょうあん)」の期… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1927 昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) 昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 … 続きを読む