l全県 9月 16日 1952 キャベツ・さんまの輸送シーズンに貨物列車増発(昭和27年9月16日) キャベツなどの秋野菜、サンマなどの秋魚、そして冬に向かって木炭などの輸送の為に、盛鉄局では昭和27年10月1日~12月末の間に、貨物列車を増発することを9月16日に決定した。 内訳は以下の通り。 東北本線 3往復 八戸線 1往復 大船渡線 1往復 10月~12月までの間、現在の出荷量より以下の増加が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 南部鉄瓶の名工が一家心中(昭和27年9月16日) 昭和27年9月16日の岩手日報より。 南部鉄瓶の名港で知られた男性の一家が無理心中したという。 おそらくは病気を苦にしてではないかという憶測。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) 敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 八幡宮の祭典の見世物をタダ見していた女子小学生に熱湯ぶっかけのDQN返し(昭和27年9月16日) 昭和27年の秋の盛岡八幡宮の祭りも盛大に行われており、多くの人でにぎわっていた。 そんな9月16日のこと。 見世物の「女相撲」を、見物料も払わず外から覗き見していた城南小学校3年の女児に熱湯をぶっかけ、全治2週間の負傷を負わせ、25歳の従業員の男が逮捕された。 「一言注意すれば済むものを・・・」と周… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 馬力大会で「農村タクシー」続々 昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 16日 1952 宮古港の朝(昭和27年9月16日) 昭和27年9月16日の岩手日報より。 「朝の生態」と言うシリーズものの写真記事があったようである。 今回は宮古港で、朝も明けないうちから、あみ等の準備を始めててむ出量に次々と出かけていくことが描かれている。 そして、寮から戻ってこようとする頃には、今度はモッコを担いだ行商の女性たちが港にぞろぞろと来… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1952 岩手日産自動車の広告「ダットサン特別販売!!」(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車は、この時期の盛岡の自動車販売店の例にもれず、菜園にあった。 そしてこの時期は、ダットサンの特別販売のキャンペーンを打っており、バイクモーターやタイヤチューブが当たり抽選付きであった。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 15日 1952 浪打村の鳥越を竹細工の一大名産地にしよう(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報より。 令和4年現在は一戸町となっている二戸郡浪打村鳥越地区では、竹細工が伝統的に行われており、それがにわかに中央で脚光を浴びだしたのだという。 そこで、工業技術院から講師を呼んで、それまでの武骨な実用本位のものから高級工芸品として売り出すようにしよう、ともくろんでいた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1952 盛岡で祭りと言えば、八幡宮の祭典だった(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報では、八幡宮の祭典を「秋祭りの王者」として一面を写真に割いている。 山車や見世物小屋などが出て、八幡宮周辺はひときわ賑わったようである。 今でこそ「東北五大祭り」として盛岡からはさんさ踊りが出ているが、これは昭和53年からと比較的歴史が浅い。 盛岡では昔から、初夏のチャ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 13日 1952 盛岡・大通り中劇向かいに「飯塚テーラー」開店(S27.9.13岩手日報) 広告欄より。 それまで内丸に「飯塚洋服店」、肴町に「飯塚ラシャ店」があったようだが、これに引き続き大通りに「飯塚テーラー」が開店するという挨拶の広告。 〽️イイヅカでショッピング〜 イイヅカでショッピング〜 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 9月 13日 1952 我が町わが村「世田米町」 昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 13日 1952 盛岡・松屋デパートでは紳士用品の大売り出し(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、帽子やネクタイなどの紳士用品の大売り出しを行っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 13日 1952 川徳デパートではお菓子が55円均一セール(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 肴町の川床デパートでは、お菓子の55円均一セールを行うと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 13日 1952 (4コマ漫画)街に馬が当然のようにいた時代(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 この当時、「ポッポちゃん」と言う4コマ漫画は連載されていたようであるが、まずは女子同士のファッションチェックである。 友達の「クジャクさん」は、パリスタイルで帽子をかぶっていると言う。 そしたら、向こうから馬がやってきた。 馬も帽子をかぶっているので「パリスタイ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 11日 1952 江刺郡羽田村にモグリの歯医者(S27.9.11岩手日報) 江刺郡羽田村にモグリの歯医者がいて、平泉でお縄になったという。 このモグリ歯医者は、戦争の時に衛生兵で歯科治療の経験があったのだという。 ちなみに江刺郡羽田村は現在の新幹線水沢江刺駅があるあたりで、江刺郡でありながら江刺市ではなく水沢市と合併し、現在は江刺市とともに奥州市になっている。 … 続きを読む
l全県 9月 11日 1952 収穫の秋にあの手この手の貯蓄合戦(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 秋は農家の収穫や秋漁の水揚げで現金が多く飛び回り、各金融機関では、貯蓄の誘致に懸命であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1952 二百十日も無事平穏(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 立春から数えて210日目を「二百十日」と呼び、農家からは台風がよく来る日として恐れられていた。 それでも、この年は無事平穏に過ぎたようだった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 11日 1952 黒沢尻町は都市計画で面目を一新(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)は戦時中は国産軽銀があったが、廃墟となっていた。 そこへ工場地帯が再び建設されるなど、復興の兆しを見せていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1952 聞け!映画「原爆の子」に寄せる巷の声(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 サンフランシスコ講和条約までは、日本に国家主権はなく「occupied Japan」だったため、アメリカを批判するようなことは報道できなかった。 それで、原爆被害も大っぴらに報道することはできなかったのだ。 しかし、講和で独立を勝ち取ると、それを大っぴらにする… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 10日 1952 秘境・国見温泉の秋(昭和27年9月10日) 昭和27年9月10日の岩手日報より。 この日は秘境の国見温泉を大々的に写真で報じている。 それまでは、雫石方面から仙岩峠〜国見峠と、秋田県境の尾根を歩いて行かなければいけなかったが、新たに橋場線の終点・橋場駅からのハイキングコースを開削したのである。 しかし、真ん中に女性の入浴シーンを持ってくるセン… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 8日 1952 岩手自動車商会「強力無比なGMCトラック!」(S27.9.8岩手日報) 岩手自動車販売の広告で、GMCトラックを売るという。 新築地とは確か開運橋の近く。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 8日 1952 東北・北海道中小企業工芸振興展 1952年9月8日の岩手日報より。 北海道・東北・新潟の産業工芸品を一堂に集めて東北・北海道中小企業工芸振興展が、10日~16日まで県立美術工芸学校と県商工館で開かれるという。 戦後に岩手県内で開催された展示会としては最大のものになるということで、5000点の出品数でにぎわうこととなった。 この時点… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 7日 1952 全国的に珍しい田老町の防波堤(S27.9.7岩手日報) 囲み記事で、田老町についての紹介がなされている。 この当時はまだ田老町は田老鉱山が操業していた鉱山町であり、また津波避けの防波堤は全国的に珍しかった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 7日 1952 ヘルシンキオリンピックのメダリストが盛岡に来る!(S27.9.7岩手日報) ヘルシンキオリンピックのメダリストを、日本の各地に呼ぶと言うことで、何処に呼ぶかという話になっていたようだが、盛岡もそのうちの1つで決まったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1952 興産相互銀行(現:北日本銀行)大槌支店新築完成!(昭和27年9月7日) 昭和27年9月7日の岩手日報の広告欄より。 興産相互銀行の大槌支店の新店舗が落成し営業を開始したという広告が出ている。 興産相互銀行とはのちの北日本相互銀行で、令和3年現在でいえば北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 7日 1952 国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日) 敗戦による軍事技術の禁止により、日本の航空路も一切禁じられていたところ、昭和26年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便として羽田~伊丹~福岡が復活、その後11月1日に羽田~三沢~千歳が復活した。 盛岡市内では交通公社で飛行機の切符を買うことができたのだが、まったく売れなかった。 昭和27年に… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 5日 1952 わが町 わが村「平泉町」 昭和27年9月5日の岩手日報より。 「わが町 わが村 戦後版」というシリーズ物の記事で、この日は平泉町。 昔も今も、もちろん令和でも岩手県で観光地といえば平泉・中尊寺となる。 しかし、戦中の修学旅行が禁じられていた時期は、ペンペン草が生え金色堂から雨漏りがする有様であったという。 それが戦後の復興と… 続きを読む