わが町わが村「上閉伊郡金沢村」(昭和27年9月18日)

昭和27年9月18日の岩手日報より。

手前が役場、左側が中学校、向かい側が診療所に小学校

「わが町わが村 戦後版」というシリーズ物の記事は、今回は上閉伊郡金沢村。
現在の大槌町金沢地区となる。

昭和9年の大凶作では犬や猫まで食い、ネズミまでいなくなったと全国紙に報じられた「日本一の貧村」であったというが、その後岩手殖産銀行創立当時に1200円を借り入れ、乳牛40頭を購入して復興を図ったのだという。

昭和27年現在で戸数は230戸、人口は1,600名で次男・三男対策を何とかしなければいけない状態であるという。

明治初年に財産に税をかけるのを恐れて全部返上にしてしまったのが災いして貧村になったのだといわれている。

この昭和27年時点では農家180戸で平均2頭の牛がいて、それでも収入は500万程度であり、木炭10万俵2,000万円、養蚕4,000貫900万円というほどにはなっていないという。

木炭景気が去ったらまた元の貧村に戻るのではないかと危惧しており、配給米を返上して自作の冷え飯に切り替え、その冷えすら作る土地の無い者が仕方なく白米を食べているという状況だという。

 


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