l全県 3月 2日 1957 東北電力「渇水が改善したので電力使用制限を緩和します!」(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 この当時、電力はすべて水力発電に頼っていた。 だから渇水となれば、その電力は使用を制限しざるを得ないわけである。 しかし、それが緩和されてきたようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 20日 1957 盛岡市内学校案内(昭和32年2月20日) 昭和32年2月20日の河北新報岩手版より。 盛岡市内の学校案内。 生活学園は後年の盛岡大学付属高校、久保学園とは後年の盛岡女子高校から盛岡誠桜高校。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 17日 1957 大槌町の江岸寺の本堂がほぼ完成(昭和32年2月17日) 昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 上閉伊郡大槌町の曹洞宗江岸寺では、昭和31年秋以降、鉄筋コンクリートで本堂を建築していたが、順調に工事が進み、ほぼ完成した。 江岸寺は、徳川時代と明治34年に火災に遭っており、その後50数年間仮本堂となっていたのである。 本堂は98坪で、工費に8,50万円… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 15日 1957 東和町で巡回映画のタダ見を断られて放火(昭和32年2月15日) 昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 東和町の仲町公会堂で映画会が開催されたが、それをただで見ようとした大工の男がいた。 映画会が開催されたが、それをただで見ようとした大工の男がいた。 もちろん断られたが、それに逆ギレしたその男は、屋根に放火したのである。 発火と同時に付近の人々が発見し、屋根… 続きを読む
b二戸・二戸郡 2月 15日 1957 エンコして乗客に押される伊保内行きのの県北バス(昭和32年2月15日) 昭和32年2月15日の河北新報岩手版より。 県北地方は連日の吹雪で、山間部は積雪3尺余りとなり、幹線筋以外のバスが運休が相次ぐこととなった。 福岡〜伊保内のバスはかろうじて運行していたが、一旦バスがエンコしようものなら、後から来るトラックなどが次々と通行止めになるわけで、車掌や乗客がバスの後ろを押し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 14日 1957 ヤクルトは毎日配達1瓶6円!(昭和32年2月14日) 昭和32年2月14日の河北新報岩手版より。 ヤクルトの広告が出ている。 当時は1瓶6円で配達したらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 13日 1957 盛岡電話局は8月には自動化へ(S32.2.13河北新報) 当時の盛岡の電話は共電式であったが、自動電話化の工事が進んでいた。 盛岡電話局の局舎も新しくなり、8月にはそれが完成する見込みであったという。… 続きを読む
m県外・参考 2月 6日 1957 丸善仙台支店「英国製自動謄写輪転機は21万5千円!」(昭和32年2月6日) 昭和32年2月6日の河北新報岩手版より。 岩手版とは言っても河北新報なので仙台の広告が出てくる。 ちなみに英ゲステットナー社は史上初めて謄写版を発明した会社のようだが、平成7年にリコーの子会社となり、平成19年には「Ricoh Europe」となっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 5日 1957 盛岡東映で「若獅子大名」「花まつり男道中」を公開(昭和32年2月5日) 昭和32年2月5日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「若獅子大名」「花まつり男道中」を公開する。 いずれも昭和32年1月29日が初公開。 「若獅子大名」は、東千代之介が主演。 「花まつり男道中」は、市川右太衛門が主演。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2月 1日 1957 一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日) 昭和32年2月2日の河北新報岩手版より。 2月1日は旧正月の初売りであったと言う。 一関市内の商店街は、岩手県南から宮城県北までの客を一手に集めてにぎわいを見せた。 前年の暮れには、一関には東光デパート、千葉久デパートと相次いで2つデパートが生まれたこともあり、大賑わいだったようである。  … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 30日 1957 釜石鉱山の不穏な新聞広告 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版では何やら不穏な広告が掲載されている。 釜石鉱業所の社員や関係者を自称して、鉱山の買収やら探鉱調査やらの話をしていた男がいたらしい。 それで、その実名を挙げて「ご注意ください」と広告を打っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 29日 1957 岩手県内看護学校入学案内(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 看護学校の入学案内。 中卒程度の准看護師の方が需要があったのだろうか。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 29日 1957 釜石で人骨12体!?(昭和32年1月29日) 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月29日、釜石市平田で開田工事をしていると、地下2~3尺(60~90cm)の所から人骨が12体出てきたのだという。 おそらくは、昭和8年3月3日の三陸大津波の犠牲者ではないかと推定された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 29日 1957 盛岡東映で「母星子星」「恋染め浪人」を公開(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「母星子星」「恋染め浪人」を公開する。 いずれも、昭和32年1月22日公開作品。 「母星子星」は、三條美紀と松島トモ子が主演。 「恋染め浪人」は、大友柳太朗が主演。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 28日 1957 一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世… 続きを読む
m県外・参考 1月 21日 1957 東京都内私立大学入学案内(昭和32年1月21日) 昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 広告欄には東京都内の私立大学の案内が。 どのくらいの家庭の子が入学できて、どんな就職先に就職できて、どう扱われたのかは不明。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 20日 1957 この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日) 昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 盛岡市中ノ橋通りにて 1月20日と言えば大寒であったが、この日の盛岡は外でもオーバーを脱ぎたくなるような暖かさであったと言う。 前日に降った雪もすっかり溶けてほこりもまうと言う春のような天候であったと言う。 盛岡八幡宮の境内で行われた雪の芸術祭の雪蔵も、片… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 19日 1957 「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日) 昭和32年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市上田小学校の教諭は、「国際写真サロン」に日本人で唯一入賞したのだという。 水沢市若柳(?)で撮影した写真であるという。 ところで若柳であれば水沢市ではなく胆沢町では?という気もするが、令和4年現在はいずれにしても奥州市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 16日 1957 盛岡のむら八は洋食割烹だった(S32.1.16河北新報) 広告欄より。 現在のとんかつ「むら八」は、洋食割烹であり東京に支店があったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 16日 1957 部活勧誘を拒否した1年生に暴力沙汰(昭和32年1月16日) 昭和32年1月16日の岩手日報より。 盛岡一高で、ラグビー部やスケート部への勧誘を拒否した1年生に暴力を振るうという事件が発生し、警察沙汰となった。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 10日 1957 貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日) 昭和32年1月10日の河北新報岩手版より。 この当時、二戸の木炭は東京駅頭渡しで500円と言う高値を記録していた。 しかし、貨車不足のために1車も出せなかったと言う珍しいことになってしまった。 二戸地方では、年間200万俵の木炭を生産していたが、ほとんどは農業との掛け持ちなので、前年の家は1ヶ月ぐら… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 8日 1957 新里村ではラワン材を6万石輸入へ(昭和32年1月8日) 昭和32年1月8日の河北新報より。 新里村の主産業は林業であるが、ベニヤ板の製造に、ラワン材をフィリピンや台湾から輸入するのだという。 それで、宮古港に水揚げされた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 5日 1957 釜石の人が独特な漢字を考案(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報より。 釜石の人が、独特な漢字を考案した。 しかし、例で見る限りではまるで地図記号だ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1957 東北各県の県都の正月風景(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報岩手版より。 さすがは河北新報だけに、東北各地を俯瞰している。 左上;山形市内の目抜き通り 左下:福島市内の児童公園の冬籠もり 中央:青森市役所新庁舎から見た市内。 右上:盛岡市中ノ橋通り 右下:秋田市中央通りと 久保田町 … 続きを読む
hスポーツ 1月 4日 1957 一関はバトミントンラケットの主要な生産地(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報より。 一関は、須川岳のブナ材によるバトミントンラケットの生産が盛んだったようである。… 続きを読む
l全県 1月 4日 1957 県内の鉱山業各社から新年のご挨拶(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報岩手版より。 県内の鉱山業各社がまとめて新年のご挨拶。 令和4年現在現存するのは… 一応松尾鉱山以外は全部あるのか? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 3日 1957 川村松助北海道開発庁長官がお国入り(S32.1.3河北新報岩手版) 石橋内閣で北海道開発庁長官に任命された岩手県選出の川村松助がお国入りし。盛岡駅で万歳三唱した。 ちなみに、当時の盛岡の2大デパートであった「川徳」「松屋」の創業者は兄弟で、松屋の「松」は川村松助の松。… 続きを読む
l全県 1月 3日 1957 岩手県内の公共企業体から新年の挨拶(昭和32年1月3日) 昭和32年1月3日の河北新報岩手版より。 岩手県内の公共企業体… 国鉄や専売公社などから新年の挨拶広告。 … 続きを読む