とどろき 昭和

国立高専は入学取消が続出 m県外・参考

国立高専は入学取消が続出

昭和38年3月29日の岩手日報より。 昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。 これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。 ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最…
東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) m県外・参考

東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日)

昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。  …
松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日)

昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 11月5日夜23時25分ごろ、釜石線の下りの釜石行きの列車が、洞泉駅に差し掛かった頃、前から2両目の列車の乗客が突然ナイフで腹を切って自殺しようとした。 他の乗客がこれを止めて、県立釜石病院に収容したが、全治1週間の怪我で命に別状はなかった。 自殺を図った…
再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日)

昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、…
釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開(昭和37年10月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開(昭和37年10月17日)

昭和37年10月16日の岩手東海新聞より。 10月17日から釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開する。 「学生芸者 恋と喧嘩」は、昭和37年9月1日の松竹映画で、出演は岩下志麻・寺島達夫・伴淳三郎など。 「硝子のジョニー 野獣のように見えて」は、…
ハリキリさん「マッチ探してきて」(昭和37年10月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

ハリキリさん「マッチ探してきて」(昭和37年10月3日)

昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 当時連載されていた「ハリキリさん」ではマッチがテーマになっている。 この家ではすでに都市ガスが引かれていたようで、ガス器具があるのだが、マッチがない。 そこで、子供にマッチを探すよう言い付ける。 果たして、子供がマッチを見つけたところはお父さんの洋服の中。 …
釜石の栗橋で芋の子会(昭和37年10月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の栗橋で芋の子会(昭和37年10月3日)

昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 秋になると岩手も「いもの子会」のシーズンである。 芋煮会といえば、宮城や山形の味噌・醤油論争が有名であるが、岩手でも「芋の子会」として秋に開催されることが多い。 これは釜石の鵜住居から遠野に抜ける笛吹峠の手前の栗橋の河原にて芋の子かいの風景。   …
釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日)

昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 釜石小学校で運動会があったという。 個人的な体験で言うと、釜石小学校の校舎というと、国道45号線の鳥谷坂トンネルに入る直前にある古めかしい鉄筋校舎のイメージがあったが、昭和37年頃の建築ということは、それほど古くもなかったようだ。 鉄サッシが古めかしく見えた…
岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日) h水沢・江刺・胆沢郡

岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日)

昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 それまで、岩手県南バスは水沢市の駅通りに本社と営業所があったが、繁華街でバスの出し入れを頻繁にするのは危険であると言うことから、水沢市小山崎に移転することとなったのである。 そして、7月27日から本社の移転が始まり、7月中に移転が完了すると言う予定と言うこと…
病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) h水沢・江刺・胆沢郡

病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日)

昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して…