l全県 4 1月 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 11月 1955 岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 … 続きを読む
j東磐井郡 6 11月 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
m県外・参考 5 11月 1955 社会党でも国会議員なら移動は特急つばめの展望車 昭和30年11月5日の岩手日報より。 この年の10月まで、社会党は右派社会党と左派社会党に分かれていたものが統一したのである。 それで、統一した社会党としての遊説を行うべく鈴木茂三郎委員長や浅沼稲次郎書記長らは特急「つばめ」で大阪を目指したのである。 社会党とはいえ国会議員なら「つばめ」の1等展望車… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 3月 1954 ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日) 昭和29年3月12日の岩手日報より。 この当時、学校教員が政治的なデモに参加し、教育が政治色を帯びたものになることが問題になっていた。 日教組は令和となった今以上になお政治色が強く、京都では旭丘中学問題というのがこの時点でなお解決していない状態であった。 それで、国会では教員の政治介入を禁じる「教育… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 9月 1953 中山マサ厚生政務次官が水沢で講演し座談会(昭和28年9月3日) 昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 水沢公民館主催の夏季大学では、厚生政務次官の中山マサを招聘して講演会を行ったという。 その後の座談会では、以下のようなことが話し合われたという。 未亡人にはタバコ販売店が優先的に許可されるので更生の一端にしてほしい。 妊娠調節の不徹底で不幸が起きている。その器… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 5月 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
l全県 27 9月 1952 自由党「先ず政局の安定!」(S27.9.27岩手日報) 自由党が広告を出している。「先ず政局の安定!」 自由党は昭和31年に民主党と合併して「自由民主党」となる。… 続きを読む
l全県 19 9月 1952 衆議院選挙・マイクは街から村へ(S27.9.19岩手日報) 昭和27年に行われた第25回衆議院選挙は9月5日公示、10月1日投票。 選挙戦が各地で繰り広げられていた。 結果は以下の通り。 … 続きを読む
l全県 5 9月 1952 衆議院選挙始まる(昭和27年9月5日) 昭和27年9月6日の岩手日報より。 8月28日に、第三次吉田内閣は抜き打ち解散をして、9月5日に衆議院選挙が始まった。 この選挙は、昭和25年に公職選挙法が制定されて、はじめての選挙となる。 この当時の選挙カーはトラックを流用していたようである。  … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 17 5月 1952 花巻職業安定所の庁舎完成(昭和27年5月17日) 昭和27年5月17日の岩手新聞より。 花巻職業安定所の庁舎が完成し、県労働部長などが臨席し、竣工式を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 10月 1950 国鉄加賀山総裁が盛鉄局長室で会見「山田線復旧はどうなる?」(昭和25年10月9日) 国鉄の加賀山之雄総裁は昭和25年10月9日10:58、盛岡駅到着の列車で釜石線開通行事のために盛岡に来る。 昭和25年10月10日岩手日報より 9日11時からは、盛岡鉄道管理局長室で記者会見に応じた。 山田線復旧計画に変わりはない。治山治水工事の実態を理解してから。 26年度予算には計上するには至っ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1950 豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな… 続きを読む
l全県 28 9月 1950 国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年の10月1日に国勢調査が予定されていた。 日本では大正9年(1920年)に第1回の国勢調査が行われ、昭和20年に行われなかった以外は「0」「5」の付く年に行われ、1950年は第6回目となった。 この国勢調査の意義として「日本再建の基礎となる重要資料」として… 続きを読む
l全県 27 9月 1950 東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3… 続きを読む
l全県 6 2月 1950 これからのこれからの税金早わかり(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 地方税制改正案の要項がまとまり、どのくらいの税負担になるのかの図解が出た。 … 続きを読む
l全県 7 1月 1950 農家の皆さん!シャウプ勧告に基づいて青色申告をしないといけませんよ!(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 シャウプ勧告に基づいて青色申告が始まるという広告。 … 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1949 国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 政府は、国鉄の人員整理を決めていたが、その基準を下山国鉄総裁と、組合側の代表との会見で話した。 国鉄の業務に対しどの程度協力したかを最大の基準として、各所属長の責任で認定させる 優劣をつけがたいものは、勤続年数によって算出された一定の順位によって優劣を分ける。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1949 国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員… 続きを読む
l全県 1 5月 1949 大蔵省「取引高税が改正になります!」(昭和24年5月1日) 昭和24年5月2日の新岩手日報より。 取引高税が5月1日から変わるというニュース。 「取引高税」とは、昭和23年に物品販売・銀行・製造業・運送業など39業種に課税された税金であり、現在の消費税の走りであるが、中立性を欠くこと、納税手続きが煩雑であることにより批判が強く、昭和24年限りで廃止になったも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 3月 1949 盛岡税務署「税金滞納したら容赦なく公売します!」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 税金を滞納すると、このよう容赦なく公売広告にかけられたようである。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1946 花巻税務署「供米完納者に所得税がかかるなんてデマですよ!」(S21.7.1新岩手日報) この時期、県内の米どころ・花巻町周辺ではある噂が流れていた。 「米の供出を完遂したら所得税が重くかかる」 この噂を否定するために、花巻税務署員は躍起になっていた。… 続きを読む