l全県 19 4月 1958 亀を売りましょう! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 仙台市内の卸売業者であるが「亀を売りましょう!子供さんが喜びますよ!」と。 令和の今だと、このような売り方をしていると「命を『面白く売れる』とは何ごとですか!」などと、動物愛護的な所からクレームが来かねない調子のような気がする。 でもこの時代は昭和33年… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 3月 1958 久慈で母子福祉基金を元手にきんつば屋を成功させる(S33.3.4デーリー東北) 久慈で生活苦にあえいでいたシングルマザーが母子福祉基金できんつば屋を始めて成功したと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1958 新年の晴れ姿 昭和33年2月13日の朝日新聞岩手版より。 「岩手サロン新年晴姿」という読者投稿写真のコーナーがあったようで、「おそろいで」という題で投稿されている。 撮影者は盛岡市の人のようなので、盛岡市内なのだろう。 多くの女性が和服姿となっている。 ちなみに現在なら肖像権がどうとかで「写真作品」として投稿でき… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 2月 1958 山形村戸呂町に初めてラジオ(S33.2.12デーリー東北) 九戸郡山形村戸呂町に初めてラジオがつけられ、村人が大喜びというニュース。 その隣には、新東海道線が別線で計画というニュース。 のちの東海道新幹線である。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 20 1月 1958 種市モグリが海外から次々求人(昭和33年1月20日) 昭和33年1月20日のデーリー東北より。 この当時、日本のサルベージ界のシェアを独占していたという種市町の「種市モグリ」が海外の求人が相次いでいるというニュース。 貴重な外貨の獲得源となっていたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 19 1月 1958 種市保育園の新築が急ピッチ(昭和33年1月19日) 昭和33年1月19日のデーリー東北より。 種市町の種市保育園の新築は旧ピッチで進んでおり、4月の開園を見込んでいた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 軽米で生活改善モデル結婚式(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 軽米町で、生活改善モデル結婚式が開催されたという。 費用としては2万円であったという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 痔(ガッチャキ)はなおる!(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 デーリー東北は北奥圏(一戸~九戸までX戸と付く地域)全体の新聞であるとは言え、やはり青森の新聞でる。 「痔」などと言われても青森の人には理解できるわけはないので、ちゃんと「ガッチャキ」をと入れるわけです。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 種市町に初の下水道(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 下水道の無い種市町の駅前通りは、街中に汚水が流れ泥んこ状態であったという。 それで、昭和32年から2ヶ年計画で下水道工事を進めていた。 消火用水路を兼ねるもので、国庫補助5割で昭和32年度は駅前の200メートルが完成するという。 というか、下水… 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 1月 1958 完成間近の久慈職業安定所の庁舎(昭和33年1月5日) 昭和33年1月5日のデーリー東北より。 久慈公共職業安定所の庁舎はすっかり古くなっていたので立て替えることにした。 中旬には移転の予定であるという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 1月 1958 久慈市内各店舗の年始広告(昭和33年1月4日) 昭和33年1月4日のデーリー東北より。 基本的に、デーリー東北の広告は八戸市内の企業や店舗の広告であるが、たまには久慈市内の企業の広告も出るものである。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 1月 1958 久慈郵便局では学生アルバイトが年賀状配達(昭和33年1月1日) 昭和33年1月4日のデーリー東北より。 久慈郵便局では、元日の年賀状配達のアルバイト21名が集合して、局長に激励され市街地各地で配達をスタートした。 高校生18名、大学生3名であったという。 … 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1958 漢詩で新年を寿ぐやたら教養の深い八戸のキャバレー(昭和33年1月1日) 昭和33年1月1日のデーリー東北より。 七言絶句となっているが韻をふんでいるかは不明。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 30 10月 1957 久慈電報電話局に「東北一のお掃除おばさん」(S32.10.30デーリー東北) 久慈電報電話局には、東北通信局からも表彰される「掃除のおばさん」がいたという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 10月 1957 千代田生命一関支部江刺出張所では職員募集!(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 千代田生命一関支部江刺出張所では職員を募集している。 初任給は4千円。 というか、江刺支部って中心部の岩谷堂じゃなくて田原にあったの… … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 10月 1957 久慈の秋祭りは大賑わい(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 久慈市の秋の祭典は、10月17日から三日間行われている。 初日には、豊作の取り入れが終わったばかりの近在から1万5千人では目貫通りはにぎわった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 10月 1957 安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) 昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う… 続きを読む
m県外・参考 8 10月 1957 八戸・丸美屋の布団綿入れ実演会!(昭和32年10月8日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋デパートでは布団の綿入れ実演会を行うという。 この時期の1000円というのがどのくらいかは分からないが… … 続きを読む
m県外・参考 3 10月 1957 南部せんべいは八戸の名物・・・なのか?(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 南極越冬隊の食料として、青森県からは南部せんべい・イカの塩辛・津軽味噌を送ることとなった。 それで、八戸のデパートである丸美屋では商工会議所の協力を得て発送作業を行うこととなった。 南部せんべいは石油缶10本、塩辛は2貫樽5個に詰められて運び出されるという。… 続きを読む
m県外・参考 1 10月 1957 八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) 昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 9月 1957 岩谷堂(江刺)はまた味噌の産地でもあった(昭和32年9月15日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺の中心地・岩谷堂といえば「岩谷堂羊羹」「岩谷堂たんす」で知られるが、味噌でも有名だったようである。 それで味噌の広告が3社連名でだされている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 8月 1957 改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 8月 1957 ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の江刺のローカル新聞「岩手民声新聞」より。 この時期連載されていたのは「ポン児君」という4コマ漫画。 正直言って、どんなふうに面白いのか謎である。 あえて解釈するならこんな感じだろうか。 主人公の前の席にはもともと美女が座っていたが、辞めてしまい後任は美人ではない女性。 主人公は… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 8月 1957 岩谷堂の夏祭り(昭和32年8月9日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 江刺町では毎年旧盆に多聞寺公園で夏祭りが行われていた。 昭和32年は8月9日~11日。 祭りの最後を飾る灯篭流しは、11日に多聞寺公園下の人首川で催され、初盆を迎えた50柱の霊を慰める灯篭が流された。 … 続きを読む
l全県 1 8月 1957 【赤線地帯を往く】(8)むすび(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 売春防止法が公布され、施行まで1年を控え、岩手県内の赤線地帯も動揺が走っていた。 それで、県内に600にいたという売春婦の相談体制を拡充に努めていた。 … 続きを読む