e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1957 釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 釜石市の山奥にある和山牧場では、100年以上の歴史を持つ闘牛が名物であったという。 これを見るために、釜石市内外からバスやジープやトラックで2,000人以上の観客が詰めかけたという。 この時期最強だったのは、この和山牧場組合が所有する9歳の「大宮号」であったとい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 4月 1957 釜石市営ビルの煙草屋さんのジュウシマツ(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報より。 釜石市営ビルで煙草や鉄瓶などの土産物を売っている57歳の男性は、ジュウシマツを完全に飼いならしている。 「飛びなさい」と言えば飛ぶ、「おいで」と言えば来る。 本人によれば「ジュウシマツは飼ってるのではなく、一緒に生活しているのです。それで愛情で慣らすのです」と楽… 続きを読む
i一関・西磐井郡 21 4月 1957 平泉でニセ医者騒ぎ 昭和32年4月21日の読売新聞で第一報が報じられている。 令和の今となっては世界遺産にまで認定された中尊寺金色堂のある平泉町の北上川を挟んだ向こうに西磐井郡長島村があり、この記事の2年前の昭和30年4月15日に、平泉町と合併することとなった。 昭和32年4月23日読売新聞岩手版より。借買いした白衣を… 続きを読む
m県外・参考 20 4月 1957 タカラビール出荷します 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1957 盛岡市内の反物屋の広告「倍ヤールサービスしますよ!」(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市肴町の商店街の反物屋の広告は「倍ヤールサービスしますよ!」。 ヤールとはヤードがなまったものであるといい、繊維業界で使われていた。 令和の現在でも「ヤール」と言って通用するだろうか。 というか、反物から服を作るという習慣そのものが一般的ではなくなっ… 続きを読む
g北上・和賀郡 19 4月 1957 北上市立養老院開院 昭和32年4月19日の読売新聞岩手版では、北上市常盤台に市立養老院がオープンしたことを報じている。 総費790万円で収容定員は60名という。 現在は民間に委託して、北上市鬼柳の「北星荘」となっている。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 19 4月 1957 北上で頑張る美容師の卵(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 仕事をがんばっている若者に特化した囲み記事で、北上で頑張る美容師の卵について取材している。 和賀町の中学校を卒業して、花巻の理容美容学校を卒業し、北上の床屋でがんばっているのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1957 盛岡で梅に続いて桜の開花(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 盛岡市北山の清養院では、17日の梅の開花に引き続き、18日には桜が咲いたと言う。 これは、いつもよりは4日ぐらい遅いのだそうだ。 ただし、気象庁のホームページによれば、今年の盛岡の桜の開花は4月27日と言うことになっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 4月 1957 岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) 広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 4月 1957 「八甲田山死の行軍」生き残りの水沢の男性が78歳で死去(昭和32年4月2日) 昭和32年4月2日の岩手日報より。 「八甲田山死の行軍」を、両足切断しながら生き残った水沢の男性が、78歳で肺炎で死去したという。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 4月 1957 花巻の山奥で高村光太郎の一周忌を偲ぶ(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 高村光太郎は、晩年を花巻市太田山口で過ごしていたが、昭和31年4月2日になくなる。 それで、地元住民は、高村桜を偲ぶ集まりをしていた。 … 続きを読む
l全県 1 4月 1957 桃の節句も旧暦で祝っていた(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 「あすは旧桃の節句」というキャプションの写真記事。 桃の節句の雛祭りと言えば3月3日と決まっているが、この時代は旧暦で祝っていたようである。 ちなみに、気象庁の生物季節観測のページによれば、盛岡地方気象台では桃の開花時期は観測していなかったが宮古測候所では観測して… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 4月 1957 二戸郡浪打村の鳥越小学校に県内6人目の女性校長(S32.4.1岩手日報) 二戸郡浪打村(後の一戸町)の鳥越小学校に県内6番目の女性校長。 この当時、鳥越小には241人の児童がいたという。 2017年に閉校した時には16人であったという。… 続きを読む
l全県 2 3月 1957 東北電力「渇水が改善したので電力使用制限を緩和します!」(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 この当時、電力はすべて水力発電に頼っていた。 だから渇水となれば、その電力は使用を制限しざるを得ないわけである。 しかし、それが緩和されてきたようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 2月 1957 ヤクルトは毎日配達1瓶6円!(昭和32年2月14日) 昭和32年2月14日の河北新報岩手版より。 ヤクルトの広告が出ている。 当時は1瓶6円で配達したらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 2月 1957 一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日) 昭和32年2月2日の河北新報岩手版より。 2月1日は旧正月の初売りであったと言う。 一関市内の商店街は、岩手県南から宮城県北までの客を一手に集めてにぎわいを見せた。 前年の暮れには、一関には東光デパート、千葉久デパートと相次いで2つデパートが生まれたこともあり、大賑わいだったようである。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1957 岩手県内看護学校入学案内(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 看護学校の入学案内。 中卒程度の准看護師の方が需要があったのだろうか。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 28 1月 1957 一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 1月 1957 この年の大寒は暖冬(昭和32年1月20日) 昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 盛岡市中ノ橋通りにて 1月20日と言えば大寒であったが、この日の盛岡は外でもオーバーを脱ぎたくなるような暖かさであったと言う。 前日に降った雪もすっかり溶けてほこりもまうと言う春のような天候であったと言う。 盛岡八幡宮の境内で行われた雪の芸術祭の雪蔵も、片… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1957 「病める子を背に」が国際写真サロンに日本人で唯一入賞(昭和32年1月19日) 昭和32年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市上田小学校の教諭は、「国際写真サロン」に日本人で唯一入賞したのだという。 水沢市若柳(?)で撮影した写真であるという。 ところで若柳であれば水沢市ではなく胆沢町では?という気もするが、令和4年現在はいずれにしても奥州市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1957 東北各県の県都の正月風景(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報岩手版より。 さすがは河北新報だけに、東北各地を俯瞰している。 左上;山形市内の目抜き通り 左下:福島市内の児童公園の冬籠もり 中央:青森市役所新庁舎から見た市内。 右上:盛岡市中ノ橋通り 右下:秋田市中央通りと 久保田町 … 続きを読む
l全県 4 1月 1957 県内の鉱山業各社から新年のご挨拶(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報岩手版より。 県内の鉱山業各社がまとめて新年のご挨拶。 令和4年現在現存するのは… 一応松尾鉱山以外は全部あるのか? … 続きを読む
l全県 3 1月 1957 岩手県内の公共企業体から新年の挨拶(昭和32年1月3日) 昭和32年1月3日の河北新報岩手版より。 岩手県内の公共企業体… 国鉄や専売公社などから新年の挨拶広告。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1957 岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) 昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 10月 1956 江刺町内の食堂「一日一食そば・うどん!」(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 江刺町内の食堂のメニュー表。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 7月 1956 海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 5月 1956 酔っ払いの弁護士(69歳)が街頭募金の少女に殴りかかる(昭和31年5月8日) 昭和31年5月9日の岩手日報より。 5月8日の昼下がり、盛岡の中心街・大通3丁目で仙北中学校の女生徒が「白い羽根」の赤十字募金を募っている。 そうすると、酔っ払った老人が「子供たちに募金させてるのは誰だ!」と、その女生徒に殴りかかったのだ。 それを見た通行人が慌てて引き離したが、興奮した老人は女生徒… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1956 さくら名所めぐり⑦岩手公園(昭和31年5月1日) 昭和31年5月1日の岩手日報より。 「さくら名所めぐり」というシリーズ物の7回目。 盛岡市の岩手公園が取り上げられていた。 … 続きを読む