平泉でニセ医者騒ぎ

昭和32年4月21日の読売新聞で第一報が報じられている。

令和の今となっては世界遺産にまで認定された中尊寺金色堂のある平泉町の北上川を挟んだ向こうに西磐井郡長島村があり、この記事の2年前の昭和30年4月15日に、平泉町と合併することとなった。

昭和32年4月23日読売新聞岩手版より。借買いした白衣を残したままどこかへ忽然と消えていった。

その長島の国保診療所にこの4月、新たに医師が着任した。
平泉町では医学雑誌に「医者募集」の広告を出していたところ、岩手県国保連の紹介で来たものである。

医療器具は何ら持ってきていなかったが、九州大学医学部の卒業であるという。

この医師は着任早々、「家族を呼び寄せるから」と4万円を前借した。
それだけではなく、平泉町内や一関市内で、時計や白衣や靴など、合計5~6万円相当を「医学博士」の名刺でツケで借りたままになっていたという。

これが4月15日「一関の西城病院で結核患者が出たので行く」と出ていったきり、20日になっても戻ってこないので警察も真相究明に乗り出したというものであった。

この医師を紹介した県国保連は「いや、最初から怪しいとは言っていた。それを採用したのは平泉町側なので」と責任回避の構え。
平泉町は「県国保連から照会があったから採用したのに」と不満を言っている。

そもそも、この時代の岩手県と言えば「日本のチベット」である。
県内で136か所ある市町村診療所のうち、14~5か所は常に医者がいないという状況であったという。
その弱みに付け込まれたのではないか、としている。

前任地であるという山口県の光鉄道病院に紹介すると「まだ在職中で退職の意思はない」という。

九州大学卒業生に同姓同名の医師がおり、その医師の名前を借りたのではないかと言われている。

光鉄道病院(交通協力会『鉄道辞典』(1958)より)。第3種鉄道病院として、国鉄職員の結核患者治療を目的として設立されたという。

履歴書には華々しい経歴が記されていた。

  • 昭和18年3月 山口県立山口中学校 卒業
  • 昭和21年3月 山口高等学校理科 卒業
  • 昭和25年3月 九州大学医学部 卒業
  • 昭和26年7月 医師国家試験 合格
  • 昭和27年 日赤大阪本社病院内科
  • 昭和31年7月 光鉄道病院
  • 昭和31年10月 医学博士

このような輝かしい経歴の「医師」を看護婦は、
「注射が血管に入ってるかどうか調べる吸引も全然やらないし、ペニシリン注射でも皮膚の消毒もしないし、測定器の使い方もわからないみたいだったし、何なんだろうと思ってた」という。

その後、4月19日になり長島診療所には北海道釧路郡釧路村役場から郵便が届いており、また、その診療所には「医事新報」2月号の「北海道札幌市で医師を求む」の広告にマルが付けられていたので、おそらく北海道に高跳びしたのではないかという見立てがなされた。

 

この後、新潟県岩船郡朝日村でも同様なニセ医者騒ぎが発生した。

これは、18日に朝日村役場に「東京厚生年金病院の内科医師をやっていた」という触れ込みで来たという。
それで23日から勤務してもらうことにして、旅費3,000円を貸した切り、そのまま現れなかったので警察に相談したものであり、平泉の事件と同じ犯人ではないかと疑われた。

 

 


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