l全県 3 1月 1957 岩手県内の公共企業体から新年の挨拶(昭和32年1月3日) 昭和32年1月3日の河北新報岩手版より。 岩手県内の公共企業体… 国鉄や専売公社などから新年の挨拶広告。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1957 岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) 昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 10月 1956 江刺町内の食堂「一日一食そば・うどん!」(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 江刺町内の食堂のメニュー表。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 7月 1956 海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 5月 1956 酔っ払いの弁護士(69歳)が街頭募金の少女に殴りかかる(昭和31年5月8日) 昭和31年5月9日の岩手日報より。 5月8日の昼下がり、盛岡の中心街・大通3丁目で仙北中学校の女生徒が「白い羽根」の赤十字募金を募っている。 そうすると、酔っ払った老人が「子供たちに募金させてるのは誰だ!」と、その女生徒に殴りかかったのだ。 それを見た通行人が慌てて引き離したが、興奮した老人は女生徒… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1956 さくら名所めぐり⑦岩手公園(昭和31年5月1日) 昭和31年5月1日の岩手日報より。 「さくら名所めぐり」というシリーズ物の7回目。 盛岡市の岩手公園が取り上げられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1956 盛岡・大沢川原の善隣館に肢体不自由児の保育所(昭和31年5月1日) 昭和31年5月1日の岩手日報より。 岩手県身体不自由児教誨は、国際キリスト教奉仕団の好意で、盛岡市大沢川原にある善隣館の一部を借り受け、肢体不自由児のための保育所を開設するという。 期間は施設の関係で翌年3月までであるという。 岩手県内には5~6000名、盛岡市内には150名の身体障害児がいたのだと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1956 八甲田山死の行軍の生き残りの大工が厚生大臣表彰(S31.4.24岩手日報) 明治35年の「八甲田山死の行軍」で吹雪に見舞われながらも、両手の指と両足を失いながらも生き残った大工が厚生大臣表彰されることになったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 4月 1956 IBC歌うこども大会は大盛況(S31.4.23岩手日報) 4月22日に岩手県公会堂で行われた、「IBC歌うこども大会」は大盛況だったようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 23 4月 1956 県内各地でお花見ムード(S31.4.23岩手日報) 県内各地では花見ムードとなった。 盛岡では桜の名所・高松の池でお花見、一関では桜まつりが開催された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 4月 1956 ラジオ岩手「春のIBCまつり 歌うこども大会」(S31.4.21岩手日報) ラジオ岩手(現在のIBC岩手放送)では、「春のIBC祭り 歌うこども大会」を22日に岩手県公会堂で行うという。 写真の3人のうち、近藤圭子・伴久美子は、ウィキペディアにも単独項目があるほど有名な童謡歌手。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 20 4月 1956 一関にはびこる不良飲料水「三連球ボンボン」を回収せよ(S31.4.20岩手日報) この頃、一関では、風船に甘い水を入れただけの不衛生な甘味飲料「三連球ボンボン」というのがはびこっていたのだと言う。 一関保健所ではこれを問題視して、回収することを厳命したのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1956 盛岡・川徳デパートでは金土日で衣料品特売!(昭和31年4月20日) 昭和31年4月20日の岩手日報より。 盛岡・肴町の川徳デパートでは金土日で衣料品を特売するもよう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1956 盛岡・松屋デパートでは五月人形大売出し!服地大処分!(昭和31年4月20日) 昭和31年4月20日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、五月人形を売り出して服地を処分するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1956 各地で初午行事(昭和31年3月16日) 昭和31年3月17日河北新報岩手版より。 3月16日は、旧暦で初午にあたり、各地では火防祭などが行われた。 「初午」と言うのは、稲荷信仰に基づくものと言われ、豊作祈願をすることが多いと言う。 また、「初午が早い年は火事が多い」と言う俗信があるようで、消防団の出初め式や、火防祭を行うところもあると言う… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 12 2月 1956 宮古の公益質屋は残念な大繁盛(昭和31年2月12日) 昭和31年2月12日の河北新報岩手版より。 宮古市の公益質屋は、この時期、悲しいことに大繁盛していた。 お客様は、漁閑期に入った零細漁民や日雇い労働者であった。 また、秋のスルメ漁の不漁もこのことに輪をかけた。 質草は、服が多かったと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1956 水沢ではこの冬最低の零下15.6度! 前沢の生母小学校母体分校で寒さに震える児童の半数が風邪をひいたという記事の隣にあったニュース。 昭和31年2月9日の朝、県内各地では猛烈な寒気に見舞われた。 盛岡では-12.2℃でで例年より5.6℃も低い。 水道が凍って水が出ないという主婦からの助けを求める電話が100件以上あったという。 盛岡測候… 続きを読む
m県外・参考 9 2月 1956 仙台・長崎屋のカステラ(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 岩手版ではあるのだが広告欄は仙台ばかり。 これは仙台市東三番丁の長崎屋のカステラ。 個人的に汽車絵が可愛いので、Twitterアイコンにすることにした。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 8 2月 1956 久慈職安に待望の求人(S31.2.8デーリー東北) 久慈職安ではサンドイッチマンまで出して求人を募っていたが、その甲斐あって各企業が求人を出すようになったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 2月 1956 盛岡文化服装学園と久保学園高校が合同で針供養(昭和31年2月8日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 盛岡文化服装学院と久保学園高校は合同で「針供養」を行った。 会場となった盛岡文化服装学園の講堂では、祭壇が設けられ、和尚さんの読経で供養の儀式が行われた。 これが終わってから、音楽会を開催し楽しい1日を過ごしたと言う。 文化服装学園か久保高かわからないが、生… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1956 釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) 釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 2月 1956 水沢で雪の芸術祭(昭和31年2月5日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 水沢で恒例の雪の芸術祭は、荒天のために延期になっていたが、2月5日に開催されたという。 雪像のコンクールだったようで、この年1位になったのは南町子供会の「千秋楽」であったという。 2位は不断町の「機関車」、3位は大畑小路の「後藤寿庵像」、新小路の「金太郎のす… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1956 紫波郡では天然氷切り出しの最盛期(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 紫波郡は天然氷の産地であったが、その積み出しに大忙しであった。 ただ、三陸地方が不漁であること、人造氷に押されて苦しかったようではある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石市役所の立春(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報より。 翌日に立春を控えた釜石市役所の表情。 昼休みに、職員たちがバレーボールに興じている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 29 1月 1956 久慈で素わらじの雲水が寒修行(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日のデーリー東北より。 久慈では、素わらじ姿の雲水が寒修行している風景が見られた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 1月 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
m県外・参考 22 1月 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 1月 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1956 岩手山の山頂なら仙台のテレビが見れるかも?(昭和31年1月19日) 昭和31年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市内にはアマチュア無線局は27局あり、東北一であったという。 受信しているだけの愛好家も合わせれば50人はいたのではないかと言われていた。 その盛岡ではアマチュア無線クラブがあったが、この年の目標は「4月に仙台で放送が始まるテレビを岩手山頂で受信しよう… 続きを読む