e釜石・遠野・上閉伊郡 18 9月 1952 わが町わが村「上閉伊郡金沢村」(昭和27年9月18日) 昭和27年9月18日の岩手日報より。 手前が役場、左側が中学校、向かい側が診療所に小学校 「わが町わが村 戦後版」というシリーズ物の記事は、今回は上閉伊郡金沢村。 現在の大槌町金沢地区となる。 昭和9年の大凶作では犬や猫まで食い、ネズミまでいなくなったと全国紙に報じられた「日本一の貧村」であったとい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 9月 1952 興産相互銀行(現:北日本銀行)大槌支店新築完成!(昭和27年9月7日) 昭和27年9月7日の岩手日報の広告欄より。 興産相互銀行の大槌支店の新店舗が落成し営業を開始したという広告が出ている。 興産相互銀行とはのちの北日本相互銀行で、令和3年現在でいえば北日本銀行。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1952 モダーンな遠野郵便局が落成 昭和27年9月4日の岩手日報より。 遠野郵便局庁舎は13日に落成式を上げ、15日から執務を開始する予定であるという。 記事原文ママで書くと「遠野町にはないきれいな建物」であり、ストーブなどの過熱により一定以上の温度に達すると電気仕掛けで自動的にベルが鳴る仕組みであるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1952 「岩手のアプレゲール事件」釜石の心中偽装事件(昭和27年9月4日) 「アプレゲール」とは、戦後の退廃的な若者を指して言った「最近の若い者は・・・」という文脈で使われる言葉だ。 Wikipedia日本語版のこの項目で「アプレゲール犯罪」として挙げられているのは以下の事件となる。 光クラブ事件(1949年11月24日) 鉱工品貿易公団横領事件(1950年4月19日) -… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1952 釜石立ち寄りの貨客船にアメリカの旅行団 昭和27年9月4日の岩手日報より。 2日朝に釜石に入港した「マーチン・ベェクス」(5484トン)からアメリカの12人の観光団が上陸、旧盆で賑わう釜石市内を観光した。 この船は、サンフランシスコを出帆しマグネシアクリンカー1000トンを荷揚げし、横浜に立ち寄ったのちにシンガポールへ行くという。 日本最… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置 昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡測候所では洪水予報の完璧を期すために、胆沢川と猿ヶ石川の流域に長期自記雨量計を設置するという。 これは、3年計画でどこに雨量計を設置すれば効果的な防災情報が出せるのかを調べるためのもの。 10か所への据え付けを予定しているという。 このことで平地や山岳部での降… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1952 仙人峠トンネル着工(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 遠野と釜石を結ぶ仙人峠トンネルが着工下という。 これは釜石鉱山の探鉱を兼ねるもので、アメリカから最新機器を導入して開始したのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 3月 1952 富士鉄釜石製鉄所が十勝沖地震のお見舞いお礼 昭和27年3月7日の河北新報より。 十勝沖地震は3月4日発生。 釜石製鉄所ほどの大規模な事業所になると仙台方面の付き合いも多かったのだろう。 それで河北新報にも広告となったようである。 富士製鐵は昭和25年の財閥解体で、それまでの日本製鐵が富士製鐵と八幡製鉄に分割されて発足。 昭和45年には再び八幡… 続きを読む
b二戸・二戸郡 5 1月 1952 1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) 昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 7月 1951 遠野で子豚が犬の乳で育つ?(昭和26年7月29日) 昭和26年7月29日の「夕刊いわて」より。 上閉伊郡遠野町で、母豚に捨てられた子豚たちが、犬の乳で育つと言う珍しい事例が発生したと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 5月 1951 釜石製鉄所の社宅が松倉に2棟増えます!(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の会社側と労働組合は、厚生委員会を開いて社宅入居規則などについて話し合った。 昭和34年度に実施される予定なのは以下の通り。 松倉に5号アパート 2棟 水道設備増強 1式 ガス配管 674戸 上中島の水道専用栓 803戸 小川に寮を新設  … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 31 1月 1951 鵜住居中学校の校舎が近く完成(S26.1.31岩手新報) 現在は「釜石鵜住居復興スタジアム」が建っている釜石市鵜住居は、昭和の大合併までは「上閉伊郡鵜住居村」だった。 その鵜住居村の中学校の新校舎が建設中であった。 この鵜住居中学校が箱崎中学校・栗林中学校と合併し「釜石東中学校」となるのは昭和49年のこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1950 早くやってほしい施設15傑(昭和25年11月30日) 昭和25年11月30日の岩手新報より。 岩手新報では「早くやってほしい施設」に関して投票をやっていたようだ。 そして11月30日現在の15傑が出たのである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 10月 1950 釜石線全通(昭和25年10月10日) 昭和25年10月10日、釜石線が全通。 釜石製鉄所専用軌道線。昭和33年ごろ(岩波写真文庫279「岩手県」より) この当時で「岩手県第2の都市」であった釜石市は、「鉄道による外部との連絡」という点においては非常に貧弱であったと言っても過言ではない。 たしかに国鉄は山田線昭和14年に釜石まで全通してい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1950 釜石線の土倉トンネルが完成(S25.7.1岩手新報) この時期、釜石線の工事が進んでいるところであったが、陸中大橋〜上有住の土倉トンネルが開通し、路線の敷設を待つばかりとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1950 盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 当時の大学入学の共通テストである「進学適性検査」が、盛岡・一関・釜石の3会場で行われた。 当時は、大学入試センター試験も共通一次試験もないが、アメリカの意向によりそのようなテストが導入されたようだ。 ちなみに、昭和30年頃なくなったようであるが、以下の論文に詳し… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1950 上閉伊郡某高校とか言われても・・・(昭和25年2月3日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 遠野町の商店で、上閉伊郡某高校の全日制と定時制の生徒が盗みを働いたというが、しかし上閉伊郡遠野町の高校というともう限られているのではないだろうか。 まして全日制と定時制の両方あった学校なんて・・・ ちなみに、遠野町が市制するのは昭和29年. … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1950 釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) この当時は、味噌や醤油は登録した店でないと売れなかったらしい。 ということで、その登録した店舗による新聞紙上でのご挨拶。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 1月 1950 釜石から北朝鮮への帰国者の記念植樹(S35.1.4岩手東海新聞) 釜石市から、北朝鮮に帰国する帰国者が10名いたのだそうで、それを記念して植樹が行われた。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 11月 1949 宮古や釜石で南海ホークス対大陽ロビンスの試合?(S24.11.11岩手新報) 広告には宮古高校のグランドや釜石・昭和園グランドでプロ野球の南海ホークス対太陽ロビンスの試合が行われるとある。 しかし「スタメンアーカイブ」を見る限りでは、そんな形跡は見られないのだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1949 読書週間!釜石・一関の著名書店案内(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 読書週間と言うことで、釜石や一関の著名な書店の案内が出ている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 23 9月 1949 小さな駅は廃止しますよ!(昭和24年9月3日) 昭和24年9月23日の岩手新報より。 この年の6月1日に発足した日本国有鉄道は、それまでの「鉄道省」というお役所ではなく独立採算制の公共企業体となり、採算を考えなければならなくなった。 それで、人員だけではなく採算の取れない小さな駅を廃止することになった。 その基準は乗降客50人、発着小荷物4トン、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1949 釜石線工事の土倉トンネルが貫通(昭和24年7月26日) 釜石線は西線と東線を結ぶ平倉~陸中大橋の工事が進められていた。 その最大の難所である土倉トンネル(平倉~上有住)は、昭和24年7月26日9時55分に国鉄盛岡工事事務所長の発破で貫通することとなった。 この瞬間を録音するために、NHKの録音班も、素掘りの構内に配線を行った。 即席の祭壇に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 5月 1949 釜石の艦砲射撃被害の大重油タンクが復活(昭和24年5月6日) 昭和24年5月6日の新岩手日報より。 釜石の大石油タンクは、艦砲射撃で損傷したままとなっていたが、このほど復活したのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 3月 1949 大槌港を修築してゆくゆくは「大槌市」に(S24.3.8岩手新報) 大槌港の修築計画があったようで、ゆくゆくは一大漁業基地として「大槌市」にしたいという構想があったようだ。 ちなみにこの時点で岩手県内で市制していたのは盛岡・釜石・宮古・一関の4市。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1949 岩手県で初めての成人式(昭和24年1月15日) 平成10年の「ハッピーマンデー法」まで、成人の日は1月15日と決まっていた。 これは、昭和23年7月10日に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」によるものである。 この法律が定められて初めての岩手県内の成人式はどうであったか、昭和24年1月16日の岩手日報から紐解いてみたい。 祝日法施行後初の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 9月 1948 釜石製鉄所の工員募集!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 釜石製鉄所では行員を募集している。 当時は財閥解体前なので「日本製鉄」。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1947 学制改革は各校とも単独昇格希望(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 この時期、各中等学校は「学制改革」を控えており、学校再編が必至だった。 県側は、統合して昇格しようとしているのに対し、各学校側はそれに反対をしていた。 盛岡地区 盛岡中学は、杜陵中学を同行の夜間部として併設しようとしているが反対している。 杜陵中學側も、この闇… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 9月 1946 岩手開拓公社が時局講演会(昭和21年9月9日) 昭和21年9月9日の新岩手日報より。 岩手開拓公社が「時局講演会」と言う戦時中じみた講演会をするのだと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 8月 1945 扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報の広告欄より。 「扶桑第六〇一工場」というところが従業員に呼びかけている。 どこの工場なのかはこの広告からは読み取れない。 現代語訳するとこんな感じだろうか。 離職したみんな、私たちは工場復旧と生産に奮闘している。 すぐに復帰してほしい。 今日勤務したかしないかは、明… 続きを読む