a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 7月 1946 盛岡市立第一高女が6年目に初の同窓会(S21.7.8新岩手日報) 盛岡市立第一高等女学校は昭和15年に開校し卒業生を送り出して6年が経つ(本科は4年制だが実科は1年制なので)のに、戦争のせいで同窓会ができなかったが、戦争が終わり同窓会ができるようになったというニュース。 新東宝のグラマー女優・三原葉子はこの記事の時、この学校の1年生か2年生だったはず。 ちなみに現… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1946 近日、長町日活館跡に「銀映座」が開場します!(昭和21年7月1日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 かつて、長町(河北小学校のあたり?)には「長町日活館」という映画館があった。 ここに「銀映座」ができるという。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1946 花巻税務署「供米完納者に所得税がかかるなんてデマですよ!」(S21.7.1新岩手日報) この時期、県内の米どころ・花巻町周辺ではある噂が流れていた。 「米の供出を完遂したら所得税が重くかかる」 この噂を否定するために、花巻税務署員は躍起になっていた。… 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1946 酒1升のために米3升の配給を辞退した人はいる?(S21.7.1新岩手日報) 読者からの投稿欄。 この時代は配給なしには生きられない時代であったが、「酒1勝の配給のためには米3升を辞退しなければいけない」ということになっていたようだが、それを実行した人はいたのだろうか?という花巻の人の問い。 … 続きを読む
m県外・参考 18 3月 1946 岩手でも報じられた片岡仁左衛門一家鏖殺事件(S21.3.18新岩手日報) 【昭和の衝撃事件】新岩手日報が伝えた「片岡仁左衛門一家殺害事件」 昭和21年(1946年)3月18日付の紙面より Screenshot 戦後間もない混乱期、日本中を震撼させた衝撃的なニュースがありました。歌舞伎界の名門、十二代目 片岡仁左衛門とその一家5名が殺害された事件です。 今回、当時の「新岩手… 続きを読む
l全県 17 3月 1946 憲法草案を批判してください(S21.3.17新岩手日報) 【歴史の深掘り】昭和21年3月17日「憲法草案を批判せよ」という政府の布告 古い新聞を整理していたら、驚くべき資料が見つかりました。昭和21年(1946年)3月17日付の「新岩手日報」の一面です。 Screenshot そこには、現代の感覚では少し意外に思える、刺激的な見出しが躍っていました。 「憲… 続きを読む
l全県 16 3月 1946 列車の旅は「馬小屋以下」(S21.3.16新岩手日報) 【タイムトラベル】昭和21年3月の岩手へ。窓のない列車と「馬小屋以下」の暮らし 先日、激動の時代を物語る貴重な資料を目にする機会がありました。昭和21年(1946年)3月16日付の『新岩手日報』です。終戦からわずか半年、岩手の地で人々がどのような現実に直面していたのか。そこには、現代の私たちには想像… 続きを読む
m県外・参考 3 1月 1946 天皇の「人間宣言」報道(S21.1.3新岩手日報) 【歴史的資料】昭和21年元旦、岩手の地で報じられた「人間宣言」 今回、非常に貴重な資料を入手しました。昭和21年(1946年)1月1日付の『新岩手日報』です。 Screenshot この日の紙面を飾っているのは、昭和天皇がいわゆる「人間宣言」を行われた際の詔書(しょうしょ)に関するニュース。終戦から… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1945 盛岡市本宮で早場米(S20.10.30新岩手日報) 【時をかける盛岡】イオンモール盛岡南の場所は、かつて「希望の米」を運ぶ拠点だった 皆さんは、盛岡市本宮にある「イオンモール盛岡南」によく行かれますか? 今や盛南開発の中心地として、ショッピングや映画で賑わうこの場所。しかし、今から約80年前のこの地には、今とは全く違う、しかし同じくらい切実な「活気」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1945 盛岡中劇・第一劇場で「そよかぜ」公開(S20.10.31新岩手日報) 昭和20年10月31日、盛岡の空に吹いた「そよかぜ」 〜焼け跡に響いた「リンゴの唄」と映画館の紅白模様〜 終戦からわずか2ヶ月半。まだ街に空襲の傷跡が生々しく残る中、人々は何を心の支えにしていたのでしょうか。 Screenshot 手元にある昭和20年10月31日の「新岩手日報」(現在の岩手日報)の… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 17 8月 1945 高村光太郎「一億の号泣」(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 この当時、高村光太郎は、岩手県花巻町の宮沢賢治の弟の家に疎開をしていた。 そこで終戦を迎えることとなり、新聞に詩を寄せたのである。 … 続きを読む
l全県 17 8月 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日) 8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎える。 その時岩手はどうであったか。 岩手日報からその様子を抜き出してみたい。 盛岡工機部(国鉄盛岡工場)の大詔拝聴 仙台鉄道局盛岡管理部の終戦の勅語拝聴は、15日正午から盛岡駅貨物取扱所で行われた。 岩手日報の書きぶりをそのまま抜き出すと、 この日管内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 8月 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 14 8月 1945 「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。 「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」 広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」 そもそも東亜鉱工ってどこの会社? と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。 ラサ工業といえば宮古か。 軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできな… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 8月 1945 盛岡・国劇で市川團十郎・市川鶴之助一座が特別興行!(昭和20年8月12日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 盛岡の国劇(のちの国民映画劇場と同じ場所?)で、市川團十郎と市川鶴之助一座の歌舞伎興行を行うという。 あちこちで空襲がある中、一般市民も歌舞伎興行を開催し、それを見に行く余裕があったのかどうかは分からないが、このような記録はあるということで。 &n… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 8月 1945 扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(S20.8.10新岩手日報) この資料は、1945年(昭和20年)8月9日に岩手県釜石市へ敢行された2度目の艦砲射撃の直後、釜石製鉄所の「扶桑第601工場」が従業員に向けて出した非常に切迫した内容の広告です。ご質問にある「逃げ出す人が多かったのか」という点については、この文面そのものが、当時の職場放棄や避難による労働力喪失の深刻… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 8月 1945 今週の映画は「最後の帰郷」(大映)、「愛と誓ひ」(東宝)(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 この時期になると映画配給はどこの映画会社で製作するにかかわらず「紅系」「白系」に分けて行われるようになったようである。 この記事を書いている令和3年年末の時点で、どちらがどっちかは判然としていないが。とにかく2本ずつの映画配給ということには変わりなかったようであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 7月 1945 宮城千賀子一座が盛岡・国劇に来ます(昭和20年7月16日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 宮城千賀子の一座が7月16~17日に盛岡の国劇で公演を行うという。 この時期、宮城千賀子は出産して映画から退いていたが、自ら「劇団なでしこ」を旗揚げして各地を巡業していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 7月 1945 地下壕で執務する盛岡管理部(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 「警報下の地下壕で執務する盛岡管理部」とだけキャプションがあるが、どこの会社やら省庁やら判然としないが、「盛岡管理部」という呼称を明確に使用していたのは仙台鉄道局ではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1945 夏至も過ぎ、田植えはほぼ終了(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日。 夏至も過ぎ、田植えもほとんど終了してお百姓さんありがとうという写真記事が掲載されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1945 昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 当時、大槌湾は「養殖昆布の先進地」であると認識されていたようである。 その大槌湾では子供たちが小舟が沈みかけるほど大量に昆布を収穫していたという。 大槌漁協割り当ては5,957貫であったが、6月30日の時点でそれを達成し、これまで使わなかった穴布(あなめ)まで採取… 続きを読む
l全県 2 7月 1945 「お願い!内地の人!朝鮮で警察官になって!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報の広告欄より。 「朝鮮総督府警察官大増員」という広告がある。 応募資格は「徴兵ヲ終ヘタル満十九歳以上四十歳ノ内地人」。 内地人限定であった。 岩手県下での採用試験は、岩手県警察官練習所と、花巻警察署の2か所であった。 … 続きを読む
l全県 21 4月 1945 本土決戦訓と新聞非常措置(S20.4.10新岩手日報) 昭和20年4月21日「新岩手日報」が語る、極限状態の岩手 終戦まであと4ヶ月と迫った昭和20年(1945年)4月21日。手元にある当時の「新岩手日報」を開くと、そこには岩手が置かれていた凄まじい緊迫感が刻まれています。 Screenshot 3月10日の東京大空襲、そして同日に起きた盛岡空襲の記憶も… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1945 釜石鉱山では鶴嘴片手に無休の正月 〽️海の男の艦隊勤務 月月火水木金金 休みなく働くことを称揚した軍歌「月月火水木金金」は、本来は戦争の激化により休みがなくなっていく海軍の状況を自嘲的に「これじゃ月月火水木金金だよ」と誰かがこぼしたのを真に受けて作詞されたものであると言われている。 昭和20年の釜石鉱山の正月は、その「月月火水木金金… 続きを読む
l全県 1 1月 1945 警視庁「お願いだから東京で巡査に応募して!産業戦士やめてでも来て!」 昭和20年元旦の岩手日報より。 東京の警視庁が新聞広告で大々的に巡査を募集している。 この増産報国のご時世に、「産業戦士モ奮テ応募セヨ」となりふり構わず応募かけている。 … 続きを読む