l全県 4 3月 1954 時ならぬ大雪でダイヤ混乱(昭和29年3月4日) 昭和29年3月6日の岩手日報より。 東シナ海で発達して北上した低気圧の影響で4日以降の大雪で県内の鉄道はダイヤが混乱した。 宮古では20センチ、釜石では15センチ、一ノ関では10センチと沿岸~県南にかけてが多かった。 この影響で、下りの5:05到着の急行205列車、5:45到着の急行1201列車、1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1954 盛岡市に市営バス計画!? 昭和29年3月3日の岩手日報より。 盛岡市では市営バスの計画があったようで、すでに市営バスを運営していた青森市・八戸市・秋田市にも視察に行っていたようである。 市議会の市営バス協議会では、市営バスの実現は必要だということを確認はしたが、更なる視察調査が必要であることを確認し、次回の市政調査会に中間報… 続きを読む
l全県 3 3月 1954 農協貯金の東西横綱は湯口村と湯本村 昭和29年3月3日の岩手日報より。 県内の農協の貯金高番付が県信連によってまとめられた。 【東方】(単位:千円) 横綱 稗貫郡湯口村 101,908 大関 紫波郡志和村 97,367 関脇 紫波郡徳田村 89,744 小結 紫波郡飯岡村 69,543 前頭筆頭 江刺郡稲瀬村 前頭2枚目 稗貫郡宮野目… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1954 盛岡東宝第一劇場で「ママの日記」封切します(昭和29年3月3日) 昭和29年3月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の東宝第一劇場で「ママの日記」を封切するという広告。 東京での初公開は昭和29年1月27日で、主演は佐野周二と小暮実千代。 同時上映の「歴史は夜作られる」(原題:History Is Made at Night)は昭和12年公開のアメリカ… 続きを読む
m県外・参考 3 3月 1954 まだ引揚げせず中国に残っている岩手県出身者は75名(昭和29年3月3日) 昭和29年3月3日の岩手日報より。 この前年の昭和28年、中国(記事内の表現では「中共」)からの引揚げが第7次にわたって行われた。 これで帰国した岩手県関係の引揚者は193世帯、339名であったが、まで引き上げていない60世帯、75名がいることが分かった。 中国側では「もう引揚げ希望は無いもの」とし… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1954 山葉ピアノ・オルガンは県下特約店で! 昭和29年3月3日の岩手日報の広告欄より。 ヤマハのピアノは「山葉」と表記されている。 岩手県内の特約店は盛岡の東山堂本店、一関のさとう屋楽器店、花巻の正時堂、一戸の浪岡時計店だったようである。 時計店が宝石商を兼業していることはよくあるが、ピアノも売っていたようである。 貴重な物は何でも時計店で、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1954 岩手大学入試始まる 昭和29年3月3日の岩手日報より。 この日は、国立一期校の入試の日であったという。 岩手大学は国立一期校であった。 この2~3日前は、東京や仙台に受験に行く受験生が、在校生の見送りを受けて盛岡駅を出発していったという。 逆にこの日は、全国から受験生が盛岡に集まってきていた。 岩手大学は入学定員680… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 3月 1954 盛岡の松屋デパートでファッション・ショウ 昭和29年3月3日の岩手日報より。 記事を原文ママで抜き出すと、 シーズンに先駆けて花開く春のファッション・ショウは二日午前十一時から盛岡市Mデパートのホールで民間デザイナーのジョージ・岡氏の作品によって行われ、モデルとして東都で活躍している花巻出身の岩間敏子さんも来盛、一流の着こなしを見せた。 別… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 12月 1953 釜石では魚の加工施設が不足(S28.12.1岩手日報) 釜石は製鉄の街であるとともに水産都市であるが、魚の加工施設が少ないことが問題になっていたようである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 中央バスの青山町線・上田線が臨時増発(S28.12.1岩手日報) 岩手中央バスの上田線と青山町線が増発するという。 当時の上田線は馬町〜競馬場前(現在の岩大のあたりに黄金競馬場があった)、青山町線は馬町〜青山町。 当時は盛岡バスセンターはなく、また、営業所は松園ではなく上田、滝沢ではなく青山町にあった時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 「ラジオ岩手」が近く試験放送(S28.12.1岩手日報) この年の12月末に本放送の開始を予定していラジオ岩手が、4日にでも試験放送を開始するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 東大通商店会創立記念大売り出し(S28.12.1岩手日報) 東大通商店会が創立したというので大売り出し。 東大通りというのは、桜山神社〜サンビルのあたりで、昔は岩手公園のお堀の上にも商店が密集していたらしい。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 12月 1953 岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報) 東京に本社のある「大和相互投資金庫」という会社があり、岩手県内では花巻・黒沢尻(北上)・水沢・摺沢(大東町)にあるという。 当時市制していた盛岡・釜石・宮古・一関・大船渡には全く支店が無い。 事業内容もよく分からないが、支店網展開がもっとよくわからない・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 盛岡中劇で「無法者」上映(S28.12.1岩手日報) 盛岡中劇で「無法者」を上映する。 「無法者」は昭和28年11月23日封切りの大映作品で、出演は菅原謙二・若尾文子など。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 2 3月 1953 小鳥谷村は製炭業が枯渇寸前なので漆で村おこし(昭和28年3月2日) 昭和28年3月2日の読売新聞岩手版より。 二戸郡小鳥谷村平糠では部落のほぼすべてが製炭業に従事していたが、戦中~戦後に乱伐したことにより、ほぼ切れる木が無くなっていた。 そこで、元手がかからず収入の高いウルシの木を植えることで窮地を挽回しようと躍起になっている。 二戸郡では浄法寺もウルシの産地である… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1953 抗日の記念日「三一節」に盛岡・釜石・黒沢尻の在日朝鮮人が集会(昭和28年3月1日) 韓国の祝日には「三一節」というのがある。 これは、朝鮮半島が日帝に支配されていた大正8年(1919年)3月1日、京城(ソウル)のパゴダ広場で抗日蜂起が起こったことを記念したものである。 そんな朝鮮人にとって、昭和20年8月15日とは「終戦」ではなく「光復」であり、日帝からの自由を祝うべきものだったの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 10月 1952 松尾村の松尾中学校の新校舎が落成します!(昭和27年10月20日) 昭和27年10月19日の岩手日報より。 松尾村の松尾中学校の新校舎が竣工し、20日に竣工式典を挙げることになった。 グランドピアノや映写機も備え付けられており、文部省のモデルスクールに指定してもらおうといきごんでいる。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 18 10月 1952 市制したばかりの大船渡市の細長い町並みの利便性改善の鍵はバスの便(昭和27年10月18日) 昭和27年10月18日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、第38回目は大船渡市。 この時点で、4月1日に市制したばかりという状況であった。 大船渡市は盛の町並みから大船渡の町並みまで20町あまり、子の広さをバスで縮めないといけないと市では頭を悩ませていた。 大船渡市内を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 10月 1952 黒沢明監督「生きる」が盛岡東宝第一劇場で完成披露試写会(昭和27年10月15日) 昭和27年10月7日の岩手日報の広告欄より。 黒沢明監督の映画「生きる」の完成披露試写会を10月15日に盛岡東宝第一劇場で行うという。 「完成披露試写会」とはいうものの、東京では10月9日の時点ですでに封切されているのである。 まあ岩手なんてそんなもんかね・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 10月 1952 盛岡駅構内で「動く鉄道博物館」 昭和27年10月8日の岩手日報より。 国鉄開業80周年を記念して、盛鉄局が主催して盛岡駅構内の「片倉線」で7日から「動く鉄道博物館」が開催されているという。 「片倉線」というのは片倉製糸の引き込み線、ということだろうか。 確かに盛岡市内には片倉製糸の工場があったようである。 ただしネット上だけではそ… 続きを読む
l全県 8 10月 1952 渇水でもないのにまた停電(昭和27年10月8日) 昭和27年10月8日の岩手日報より。 「盛岡市内にて」ということであるが、これは本屋? 10月7日の夕方からまた輪番停電が始まった。 盛岡市内では10月7日17時~19時の間に輪番で10分間ずつ、郡部では15分ずつ消された。 8日に入り、0時~6時の間に1時間ずつ2回の停電が行われた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 10月 1952 盛岡市青山は「引揚者の町」だった 昭和27年10月7日の岩手日報より。 盛岡市青山町は、住民の実に7割までが引揚者であり、「岩鷲寮」には樺太からの無縁故引揚者が657世帯2785名、「青山寮」には朝鮮・台湾・南方からの引揚者が503世帯2322名入っていたという。 かつては「観武(みたけ)ヶ原」と呼ばれていた帝国陸軍の師団があった場… 続きを読む
l全県 5 10月 1952 大学入試センター試験ならぬ「進学適性検査」(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報の広告欄より。 この当時、国立の新制大学を受験する人は「進学適性検査」を受けなければならなかった。 そのあたりの詳細は、以下のページに書いてある。 後年でいう共通一次試験、センター試験同様「国立大学受験者はこの試験を受けなければいけない」という性質のものであるようだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 10月 1952 盛岡・中央ホールで「青いヴェール」公開(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報より。 盛岡・中央ホールでは「青いヴェール」を公開する。 「青いヴェール」(原題:The Blue Veil)は1951年米RKO配給で、日本での初公開は昭和27年7月29日。主演はジェーン・ワイマン。 ところで、この広告に「投票済ませ」とあたり、隣の岩手… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 激戦地・一関市の最後のお願い。 戦後の民主化により、教育委員も公選制の時期があったのだが、なかなかのカオスな状況だったようである。 それで「最後のお願い」とばかりに、自転車だ、トヨペットだ、自動車だと演説に忙しい状況であった。 ちなみに「トヨペット」が自家用車の… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 「町も村も教育の総選挙」という見出しで写真記事が掲載されている。 何の選挙かというと市町村の教育委員の選挙である。 戦後の民主化で、教育委員も選挙で選ぶことになった。 しかしこの制度には弊害もあったようで、教育の現場に政治が持ち込まれるということで… 続きを読む