a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1929 紫波郡・気仙郡の度量衡取締主任が岩手日報本社見学(昭和4年8月31日) 昭和4年9月1日の岩手日報より。 紫波郡と気仙郡の度量衡取締主任40名は岩手日報の本社を見学した。 度量衡と言う事は、秤の精度とかに関することであろうか。 いずれにしろ、町村役場では重要な仕事であったようだ。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 29日 1928 山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(昭和3年8月29日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時、山田線は盛岡から上米内しか開通していなかった。 しかし、「山田線」と言う路線名にある通り、いずれは山田町を通って、釜石まで開業する予定ではあった。 この時点では、区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間は、7カ所の駅が開設される予定であった。 では、宮… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 盛岡市役所など各地で大行天皇の遥拝所設置(昭和元年12月26日) 昭和元年12月27日の岩手日報より。 12月25日に崩御した大正天皇は「大行天皇」と呼ばれ、各地で遥拝所ができて市民たちは遥拝し記帳することになった。 盛岡市役所にも遥拝所が作られ、北田親氏市長も記帳。… 続きを読む