a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 盛岡市役所など各地で大行天皇の遥拝所設置(昭和元年12月26日) 昭和元年12月27日の岩手日報より。 12月25日に崩御した大正天皇は「大行天皇」と呼ばれ、各地で遥拝所ができて市民たちは遥拝し記帳することになった。 盛岡市役所にも遥拝所が作られ、北田親氏市長も記帳。… 続きを読む
0_主要ニュース 12月 26日 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 25日 1926 大正天皇崩御に伴う廃朝中は刑務所も労役免除(昭和元年12月25日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 大正天皇が崩御したことで、宮城刑務所盛岡支所では、12月25日の午前10時に所内の囚人一同を集めて遥拝式を行った。 廃朝中は、皇恩の宏大なることを感じせしめるように囚人の労役を免除することとした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 13日 1926 聖上の御脳安かれと盛岡市内各銀行の代表者が八幡宮で祈願(大正15年12月13日) 聖上(つまり大正天皇)は肺炎でご体調が優れず、葉山御用邸で病臥されていた。 それで、毎日の数時間おきの「御体温」「御呼吸」「御脈」が新聞の一面にて報道されていた。 そしてそれはラジオでも報道され、実際にラジオの契約件数が飛躍的に増加した時期でもあったのだという。 聖上の御快癒祈願は岩手県内でも行われ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 11日 1926 吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日) 肺炎で臥せっていた聖上(大正天皇)の御容態は、毎日このように新聞で報道されていた。 国民はこぞって聖上の平癒祈願を行っていた。 紫波郡飯岡村の飯岡尋常高等小学校生徒四百数十名は、吹雪の中を校長に引率され村社である秋葉神社で平癒祈願を行ったという。 … 続きを読む