a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 22日 1954 内陸部の市町村合併のゆくえ(S29.7.22岩手日報) この時「昭和の大合併」が進んでいたが、内陸部では、上閉伊郡達曽部村が周辺の大迫・宮守・土沢・遠野のどこと合併するかで揺れていた。 また、紫波郡では郡で1つの町になるという案もあったらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 3日 1954 小谷木橋落成・水沢市制祭り(昭和29年7月3日) 昭和29年7月3日の岩手日報より。 広告欄には水沢市〜羽田村(現在の水沢江刺駅付近)を結ぶ小谷木橋の落成と、水沢市の市制を祝う祭りの広告が。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1954 岩手県警察本部が発足(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 戦後、アメリカに占領されてからというもの、警察制度は内務省警保局の下の各都道府県警察部が解体され、アメリカばりに「自治体警察」「国家地方警察」に分かれることになった。 例えば盛岡でいえば、盛岡市は「盛岡市警察署」、その周辺の滝沢村や見前村や乙部村や大田村などは「国… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 29日 1954 旧軍人が集まって「岩手県護国同志会」結成大会、元陸軍参謀の辻政信も講演(昭和29年4月29日) 昭和29年4月30日の岩手日報より。 この頃、MSA協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定)が国会を通過し「日本も再軍備か」という話題で賑わっていた時期である。 そのような雰囲気の中で迎えられた天皇誕生日の4月29日、岩手県公会堂で元将官や佐官・在郷軍人など300名が集まって「岩手県護… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 23日 1954 釜石税関支署に新鋭監視艇「五葉」配備 釜石税関支署では警備艇「五葉」(14トン)を配備した。 長さは12メートルで、最大速力は時速15ノットであるという。 昭和29年4月23日読売新聞岩手版より。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1954 時ならぬ突風で知事公邸の板塀も倒れる 昭和29年4月20日の岩手日報より。 19日は県内に突風が吹き荒れ、歩くのにも難儀した状態であったという。 知事公邸では板塀が倒れるほどの状態となった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 17日 1954 盛岡駅前に新交番 昭和29年4月17日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の都市計画の一つとして、盛岡駅前の広場が拡張し、盛岡駅前に新交番が完成したとのこと。 総工費は49万5千円。 建坪8.16坪で木造2階建て。 防火モルタル張りでクリーム色のモダンな建物。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 17日 1954 県庁に「メイル・ボーイ・システム」 昭和29年4月17日の読売新聞岩手版より。 県庁では「メイル・ボーイ・システム」を採用するのだという。 どういう制度かというと、1日4回、6人のメイル・ボーイを回らせて各課の文書を集配し、事務能率を向上させるのだという。 そのためのボックスが近く各課に配置されるのだという。 幅は2尺(60cm)、奥… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 14日 1954 水沢で選管事務局長が過労死(昭和29年4月14日) 昭和29年4月15日の岩手日報より。 水沢市長選挙と水沢市教育委員選挙の公示日である4月14日朝6時過ぎ、その水沢市の選挙管理委員会事務局長(51歳)が自転車で通勤途中に突然心臓麻痺で死亡したのだという。 事務局長は前夜11時まで作業を行い、その日も朝3時から各支所あての事務作業を行っていたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 14日 1954 観武(みたけ)ヶ原の開拓農民が盛岡市内で保安隊誘致反対署名(昭和29年4月14日) 昭和29年4月15日の岩手日報より。 当時、自衛隊は「保安隊」と呼ばれ、その本部は「保安庁」であった。 旧軍の頃は盛岡市の北西の「観武ヶ原」に工兵第8大隊他がこんきょちとしていたが、戦後は引揚者の住宅地や開拓農地となっていた。 現在でもその界隈は「盛岡市みたけ」となっているが、感じで書くと「観武」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1954 盛鉄公安室ではかつぎ屋を560件検挙 昭和29年3月14日の岩手日報より。 昭和28年は凶作の年であり、米どころの胆沢郡でも代用食という状況であった。 それで全国的にもコメ不足となり、担ぎ屋が至る所に横行した。 1月以降、国警県本部や盛鉄公安室ではその取り締まりを強化することとした。 盛鉄局管内では244件、2月は216件の検挙となり、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 11日 1954 ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日) 昭和29年3月12日の岩手日報より。 この当時、学校教員が政治的なデモに参加し、教育が政治色を帯びたものになることが問題になっていた。 日教組は令和となった今以上になお政治色が強く、京都では旭丘中学問題というのがこの時点でなお解決していない状態であった。 それで、国会では教員の政治介入を禁じる「教育… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 11日 1954 「税金を納めましょう!」小学生の作品展 昭和29年3月11日の岩手日報より。 盛岡納税貯蓄連合会のポスター習字児童作品展示会が3月10日から2日間、盛岡商工会議所で開催された。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 11日 1954 清水原信号場を駅に昇格してほしい 昭和29年3月11日の岩手日報より。 この頃、東北本線は電化しておらず、単線区間もかなりあった。 そうしたところ、一関以南が複線化することになり、西磐井郡花泉村にある清水原信号場も不要になるということで、廃止の話が持ち上がった。 隣接する金沢村は「現在の信号場の300m南にある踏切付近に移転するので… 続きを読む
g北上・和賀郡 3月 6日 1954 昭和の大合併:「北上市」も認可 昭和29年3月6日の岩手日報より。 町村合併促進法に基づくいわゆる「昭和の大合併」で全国では市町村の合併が進んでいた。 岩手県でも、この年の4月には稗貫郡花巻町を中心として「花巻市」が、胆沢郡水沢町を中心に「水沢市」が誕生する予定であった。 和賀郡黒沢尻町を中心として飯豊村・鬼柳村・更木村・二子村・… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 3日 1954 盛岡市に市営バス計画!? 昭和29年3月3日の岩手日報より。 盛岡市では市営バスの計画があったようで、すでに市営バスを運営していた青森市・八戸市・秋田市にも視察に行っていたようである。 市議会の市営バス協議会では、市営バスの実現は必要だということを確認はしたが、更なる視察調査が必要であることを確認し、次回の市政調査会に中間報… 続きを読む
m県外・参考 3月 3日 1954 まだ引揚げせず中国に残っている岩手県出身者は75名(昭和29年3月3日) 昭和29年3月3日の岩手日報より。 この前年の昭和28年、中国(記事内の表現では「中共」)からの引揚げが第7次にわたって行われた。 これで帰国した岩手県関係の引揚者は193世帯、339名であったが、まで引き上げていない60世帯、75名がいることが分かった。 中国側では「もう引揚げ希望は無いもの」とし… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1954 一関で映画館の防火訓練(昭和29年3月1日) 昭和29年3月1日の岩手日日より。 この記事から2年半前以上にはなるが、昭和27年1月16日に北海道小樽市で発生した映画館「富士館」の火災では7名が犠牲となり、一関の人々にもショックを与えたようである。 そこで、一関市消防本部では、一関映劇、オリオン座、新星劇場、文映の館主や映写技師や従業員なども3… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 29日 1953 外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 外国航路の船員が、所得税を差し押さえられると言う珍事が発生した。 これは、日本郵船の船員で、胆沢郡佐倉河村出身の23歳の男性。 これは、本籍地の佐倉河村で、昭和26年度以降の所得税9000円余りが滞納になっていたと言うもので、オーストラリアのブリスベーンに… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 ソ連からの帰還を待つ水沢の一家(S28.11.20胆江日日新聞) 終戦から8年たってもなお、引揚は100%済んだわけではなかった。 戦時中に朝鮮に渡っていたところ、家庭の事情で、日本に妻と子だけ引き上げていたところ、戦争が終わってしまい、夫と音信不通になってしまったと言うのだ。 それが、終戦から8年経って、ソ連で暮らしていると言う便りが届いたのであった。 &nbs… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 胆沢川発電所がいよいよ貯水(S28.11.20胆江日日新聞) 水沢では、待望の胆沢川発電所がいよいよ完成し、従来の8倍の発電能力を持つ発電所が稼働を開始しようとしていた。 この時期の胆江日日新聞には非常に珍しい写真入り記事。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 7日 1953 どうなる江刺郡の合併問題(昭和28年10月7日) 昭和28年10月7日の胆江日日新聞より。 江刺郡の合併問題について、10月3日江刺具町村合併促進協議会が行われた。 江刺郡の中心となる(後年、江刺市役所が置かれることにもなる)岩谷堂町の町長からは、富山県の石動・桜井近辺の総合開発で合併の基礎が作られていることにより、江刺郡も猿ヶ石川の総合開発と並行… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 2日 1953 胆沢川発電所で電力に余裕ができました!各家庭でも電灯をつけましょう!(昭和28年10月2日) 昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 それまでは「停電」「節電」は日常のことだった。 発電所や変電所の容量が少なかったからだ。 しかし、このほど胆沢川水力発電所が完成したことにより、電力会社(記事には「東北電力」とは書いていない)では8月~9月の間、胆沢郡・江刺郡・和賀郡で4万戸訪問し、電気を増… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 22日 1953 胆沢郡内の町村の人口は?(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 この時期、「町村合併促進法」により、市町村の合併が進められていた。 財政面からは人口8千人以上が望ましいとされていたが、この時期の胆沢郡の町村人口はどのくらいであったか? 人口 面積 水沢町 18,924 11.71 前沢町 9,332 26.99 金ヶ崎町… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 22日 1953 「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、「アナタハン島の真相はこれだ」を上映するという。 「アナタハン島の真相はこれだ」は昭和28年4月10日公開の新大都映画。 新大都映画とはあまり聞かない名前だが、zames_makiさんという方のブログによれば、「1953年頃に際物作品をわずか… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 3日 1953 中山マサ厚生政務次官が水沢で講演し座談会(昭和28年9月3日) 昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 水沢公民館主催の夏季大学では、厚生政務次官の中山マサを招聘して講演会を行ったという。 その後の座談会では、以下のようなことが話し合われたという。 未亡人にはタバコ販売店が優先的に許可されるので更生の一端にしてほしい。 妊娠調節の不徹底で不幸が起きている。その器… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 中共からの帰国者のその後(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 興安丸に乗って中国から帰国してきた人々はその後どうなっただろうか。 日本社会に順応しているだろうか。 一関市や西磐井郡では12世帯、27名いたのだという。 その数例を追う記事である。 一関市 42歳男性 昭和19年に三井鉱山本社から満州三井に転任。 引揚後、三井… 続きを読む