一関一高で落第制度復活

昭和30年3月23日の岩手日日新聞より。

一面で「終戦初の落第制度実施 一高で落第生九人」という見出しで記事が出ている。

一関市の本社がある岩手日日で言う「一高」とは、盛岡一高ではなく一関一高のこと。
岩手県内では盛岡中学に次ぐ2番目の歴史を持ち、第一次安倍政権で「アベノミクス」を支えたという菅原郁郎経済産業次官もここのOBである。

 

そうした名門である一関一高は、学制改革後は進駐軍の勧告で落第制度を廃止していたのだという。

このため「少しぐらい成績が悪くとも卒業できる」「ひいては一高の伝統を傷つける」(いずれも記事原文ママ)ということで、このたび落第制度を復活し、9名の該当者に近々伝えるのだという。

その決定に当たっては、毎日夜22時~23時ごろまで審議するという極めて慎重な形を取ったのだという。

ちなみに落第生の内訳は1年生6人、2年生3人であるとのことだった。

 


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