a政治・軍事

国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日) l全県

国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年の10月1日に国勢調査が予定されていた。 日本では大正9年(1920年)に第1回の国勢調査が行われ、昭和20年に行われなかった以外は「0」「5」の付く年に行われ、1950年は第6回目となった。 この国勢調査の意義として「日本再建の基礎となる重要資料」として…
東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) l全県

東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3…
全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日)

昭和25年9月27日の岩手日報より。 全専売労働組合の中央大会が、盛岡市上田の専売公社盛岡支所新講堂で行われた。 この時期はレッド・パージの時期で、専売公社側は共産党員のリストを作成し、良くても100名程度、ひどい場合は3~400名程度の人員整理があるのではないかと予想していた。 また、この年の6月…
GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日)

昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い…
岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日)

  昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。         &nb…
盛岡は5年後こうなる(昭和25年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡は5年後こうなる(昭和25年1月14日)

昭和25年1月14日の岩手新報より。 岩手県観光協会では「盛岡の5年後の将来像」を描いている。 そして、これを国分憲吉知事に提出したのだという。 女子師範の跡地に5階建ての県庁を建設。 現在の県庁には盛岡市役所を移す。 市役所と旧警察練習所は取り壊して緑地帯に。 公会堂はホールを3階に。 その周辺を…
葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日)

昭和24年11月3日の岩手新報より。 葛巻町では、秋の収穫を祝って11月1日から3日まで葛巻小学校で産業祭が開催され、雨の中を多くの人出で賑わったと言う。 ところで、葛巻町と言うのは馬淵川の源流域にあるので、二戸や一戸と同じ二戸郡にありそうなものであるが、実は、久慈や野田から塩を運ぶ野田街道の宿場町…
岩手県教育委員会発足1周年(昭和24年11月1日) l全県

岩手県教育委員会発足1周年(昭和24年11月1日)

昭和24年11月1日の岩手新報より。 昭和23年7月15日に「教育委員会法」が公布・施行され、各都道府県に教育委員会が設立されて1周年となった。 令和現在の教育委員会と違うのは、この当時は教育委員も選挙によって選ばれていたと言うことである。 ともかくも、戦前の「地方学事通則」から変わった教育委員会と…
国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日)

昭和24年9月23日の岩手新報より。 公共企業体となった日本国有鉄道は、機構改革に乗り出すという。 仙台鉄道局盛岡管理部は廃止が伝えられている。 しかし岩手県は広いのだ。 むしろ鉄道局を設置してほしいと、盛岡市長や市議会議長が連名で鉄道局設置の陳情を国鉄に送った。  …
第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) l全県

第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日)

昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく…
国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日) m県外・参考

国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日)

昭和24年7月1日の岩手新報より。 政府は、国鉄の人員整理を決めていたが、その基準を下山国鉄総裁と、組合側の代表との会見で話した。 国鉄の業務に対しどの程度協力したかを最大の基準として、各所属長の責任で認定させる 優劣をつけがたいものは、勤続年数によって算出された一定の順位によって優劣を分ける。 &…
国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日)

昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員…
盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日)

昭和24年7月1日の岩手新報より。 盛岡市穀町(現在の南大通)に、子供たちにお金をまくアメリカ人少女が現れたという。 その少女は名前も名乗らずにどこかへ消えたのだという。 これに対しGHQの岩手軍政部では「アメリカではいつものこと」とコメントした。  …