e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 28日 1966 大槌町消防団の消防演習(昭和41年2月28日) 昭和41年2月28日の岩手東海新聞より。 大槌町消防団は、第10回消防演習を町内で行った。 この日は雨だったようである。… 続きを読む
m県外・参考 1月 11日 1966 岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) 昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 23日 1965 釜石二中で放火事件(S40.12.23岩手東海新聞) 昭和40年12月22日、釜石二中で放火事件が発生。 これは前日に続くもので、放火事件と断定して捜査が開始された。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 4日 1965 釜石・及新デパートがソ連東欧民芸品物産展示即売会を開催(昭和40年12月4日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートではソ連・東欧民芸品物産展示即売会を開催する。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 22日 1965 山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 20日 1965 国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 昭和40年は、5年に1度の国勢調査の年であったが、その国勢調査を集めて、岩手県庁での点検作業が終わり、東京の総理府統計局に積み出す作業が前倒しで終了した。 他県では、徳島県と埼玉県で積み出し作業が終わったと言うニュースが入っており、このままでいけば、全国で3番… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 14日 1965 馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 13日 1965 厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日) 昭和40年10月13日の岩手日報より。 盛岡駅の隣である厨川駅は、東側にしか駅舎はなく、西側に住む人は2キロ以上遠回りしなければいけなかった。 この年、都市化が進んで住宅や工場も増え、西口の需要は高まっていた。 その上、昭和45年には岩手国体も予定されており、県営陸上競技場が観武地区にできると言う時… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 11日 1965 昭和45年の国体は岩手に誘致しましょう!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 盛岡駅前に設置された宣伝塔。 千田知事を委員長とする「岩手県国体誘致委員会」は。この10月中を「国体誘致運動推進月間」に位置付け、誘致運動を展開することにした。 日本体育協会は、昭和45年の国体開催地に関する会議を、この時国体が開催されていた岐阜県で行うという… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 8日 1965 五葉山を日本一のシカ園にします!(昭和40年10月8日) 昭和40年10月8日の岩手日報より。 大船渡市では、野生のシカやサルが生息している五葉山を自然動物園にする計画を進めているという。 これは、五葉山のシカの研究をしている横須賀市博物館の柴田敏隆氏がこの年もフィールドワークの来るので、この柴田氏のアドバイスを受け、餌場を五葉山の各地に設置… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 参院選は棄権しないで投票しましょう!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石県税事務所では、来る7月4日の参議院議員選挙に向け、釜石市内や大槌町内で、棄権しないで投票するよう呼びかける宣伝を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1965 盛岡の本町通は「油町」だった(昭和40年4月22日) 昭和40年4月22日の岩手日報より。 ヤマハの風呂の広告。 ヤマハで風呂桶を製造していたというのも意外であるが、本町通りは「油町」とよんでいたらしい。 住居表示制度を導入してしばらくも経っていない時期だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1965 大槌町赤浜にオットセイ研究所(昭和40年3月4日) 昭和40年3月4日の岩手東海新聞より。 大槌町赤浜にオットセイ研究所が完成した。 これは、大槌町の予算で建設し、水産庁東海区水産研究所に貸し与えたもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1965 釜石・大平公民館が近日完成(昭和40年3月1日) 昭和40年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石の大平公民館が3月7日に竣工するという。 大平というと、釜石駅の南側の釜石大観音がある方だが、こちらの方にも社宅が並んでいたらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 16日 1965 江刺市内で舗装道路は水沢に行く県道だけ(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 「まちの真空地帯」というシリーズものの記事で、10回目のこの回では江刺市を取り上げている。 昭和33年11月に市制してすでに6年となっていたが、舗装した道路はといえば水沢に抜ける県道だけで、それ以外が全部舗装していなかったというのである。 このため、市内の川原町… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 8日 1964 新しい県庁がお目見え 昭和39年12月8日の岩手日報より。 新しい県庁舎は、着工から丸2年が経過したが、外観工事はほぼ終わり、翌昭和40年3月には完工する見込みであるという。 工事を請け負った鹿島建設によれば「建物は87%、暖房は76%、エレベーターは72%、電気関係は63%が終わっている」という。 完成すれば東北一の建… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 30日 1964 日本一の消防村・矢巾村では女子消防団員もハシゴ乗りをこなす(昭和39年11月30日) 昭和30年11月30日の岩手日報より。 「岩手の消防を点検する」というシリーズ物の記事では、岩手県の消防力の後進性を嘆いている。 矢巾村では、この記事の書きぶりをそのまま借りると「農村古来の道徳観にマッチして若い団員たちにも全体主義的な考え方が強い。当世ふうのあまりにも開放的な若者たちにけんおを感ず… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 10日 1964 大槌漁港埋立地の利用計画(昭和39年9月10日) 昭和39年9月10日の岩手東海新聞より。 大槌漁港の埋立地は、使用計画がまるで定まっていなかったが、このほど、水産センター等の建設が決まったのだと言う。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1964 広くなった宮古駅前広場(S39.9.1岩手東海新聞) 宮古駅前広場は、土地収容の問題で長いこと裁判沙汰になっていたようだ。 しかしそれが解決し、広くなったという。 駅前には県北バスが群れをなしている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1964 本県選出の官房長官・外務大臣がお国入り(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 第3次池田内閣で、閣僚入りした岩手県選出の鈴木善幸官房長官、椎名悦三郎外務大臣がお国入りした。 盛岡駅前は宮古などからマイクロバスできた支持者で溢れかえる。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 釜石商工会議所議員選挙の公示(昭和39年6月3日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 釜石商工会議所の議員選挙の公示は以下の通りであった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 釜石のメインストリート・浜町はジグザグで危険(昭和39年6月3日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 釜石のメインストリートである浜町は、この当時、戦災復興補助の打ち切りで、メインストリートがジグザグな状態になっており、危険であった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6月 2日 1964 宮古海上保安署は新庁舎建築中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 宮古海上保安署は、それまで宮古海運局の2階を間借りをしていたものであるが、海事振興会が中心となって、宮古・下閉伊地区の船主や漁協に協力を求めて、全額地元負担で新しい庁舎を建設することになったのである。 それで、宮古市鍬ヶ崎の県有地をに、総工費250万円、木造モ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 20日 1964 松尾鉱山の新しい住居表示(昭和39年3月20日) 岩手郡松尾村でも昭和39年4月1日から「住居表示に関する法律」(昭和37年5月10日法律第119号)に基づいた住居表示を行うようになるということで、村の広報まつお昭和39年3月20日号で広く周知することに。 この広報自体は「松尾鉱山資料館」で売っていたような気がする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 5日 1964 釜石の人口が減って8万人台になります!(昭和39年2月5日) 昭和39年2月5日の岩手東海新聞より。 東海製鉄への転出の影響で、釜石市の人口が8万人台に減るという。 それは大ニュースであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 13日 1964 そのうち花巻空港も開港するから釜石に行く県道も舗装して(昭和39年1月13日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 4月の花巻空港の階高を控え、花巻と釜石を結ぶ主要県道も舗装してほしいと議員に要請した。 当時は、舗装した道自体が珍しかったのだ。 … 続きを読む
hスポーツ 12月 9日 1963 一関市民の反対の中、青葉町に市民プール着工を強行(S38.12.9岩手報知) 磐井川に面した一関市青葉町に市民プールを着工すると言うので、市民も市議会の文教委員会も大反対。 しかし着工してしまったという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 28日 1963 地方の新聞社にとって選挙ポスターは貴重な稼ぎ時だった(昭和38年11月28日) 昭和38年11月28日の岩手報知より。 この時期、一関市議会選挙が近づいていた。 選挙となれば、選挙ポスターが必要である。 そこで、地場の新聞社は選挙ポスターの印刷の仕事も引き受けるようであった。 … 続きを読む