e釜石・遠野・上閉伊郡 4 11月 1967 釜石・中妻都市計画の西銀座街の舗装化が始まる(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手東海新聞より。 釜石駅の西側となる中妻の都市計画の中心となる地域の幹線道路の舗装作業が始まった。 この幹線道路は、及新マートを中心とした中妻都市計画の目であり、これが完成すれば、八雲小学校の前の保留地処分何個も一定の解決を見ると言うことを期待されていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 11月 1967 一関・キューピー移動交通公園に新たな施設完備(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手報知より。 11月1日から3日にかけて、交通安全展示会が行われたが、この開催期間中の同乗見学や交通教室利用者は約30,000人であったと言う。 ここで使われた見通しの悪い道路、鉄道踏切用の機関車模型や軌道は今をキューピー移動交通公園に加えられ、学校、幼稚園、遊園地などを巡回… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1967 大槌町消防団常備部が消防団に昇格か(昭和42年11月2日) 昭和42年11月2日の岩手東海新聞より。 大槌町の消防団常備部は、設置以来10年余りとなっていた。 この消防団常備部は、町の厚生課所管となっており、公務員法を適用して町職員待遇となっていた。 指揮命令系統は消防団にあるが、組織上は厚生課にあると言うことで、チグハグな面も目立っていた。 それで、消防署… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 3月 1967 釜石の五ノ橋が新橋に切り替わります(昭和42年3月14日) 昭和42年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石駅と小佐野方面を結ぶ五ノ橋が新しくなり、その工事期間中は水道の水圧が下がるので注意、と。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 3月 1967 釜石市の商店売り上げは県内4位に転落(昭和42年3月9日) 昭和42年3月9日の岩手東海新聞より。 岩手県は前年7月1日現在に2年ぶりに商業調査を実施したが、県内の商店の年間売り上げは3435億円であると発表した。 釜石の年間売り上げは、219億6100万円であり、盛岡・水沢・花巻について第4位となり、前回までの第二位の地位から後退していることがわかった。 … 続きを読む
b経済・産業 4 3月 1967 釜石税務署で確定申告が本番(昭和42年3月4日) 昭和42年3月4日の岩手東海新聞より。 釜石税務署でも確定申告が本番を迎えていたようだが、ソフトムードにこれ努めていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1967 釜石・中妻土地区画整理事業の保留地処分(昭和42年3月1日) 昭和42年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石市では、中妻地区の土地区画整理事業の保留地処分を行う旨の広告を出した。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 1月 1967 釜石〜大槌の国道45号線にはトンネルが11もあった(昭和42年1月11日) 昭和42年1月11日の岩手東海新聞より。 鳥谷坂トンネルや古廟坂トンネル開通前の国道45号線の釜石〜大槌間にはトンネルが11もあったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1967 昭和42年は国道45号線開発の年(昭和42年1月1日) 昭和42年1月1日の岩手東海新聞より。 岩手東海新聞の新春号は、国道45号線開発の槌音を高らかに報じている。 まだ釜石〜大槌間の鳥屋坂トンネルも古廟坂トンネルも開通前の旧道であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 11月 1966 国道45号線鳥谷坂トンネルの工事順調(昭和41年11月4日) 昭和41年11月4日の岩手東海新聞より。 沿岸部の大動脈である国道45号線の、釜石から北側を結ぶ鳥谷坂トンネルの工事は順調であった。 それまで、釜石から大槌方面に出るには橋上市場のところの大渡橋から甲子川沿いに北上し、曲がりくねった道を女遊戸を経由していなければならなかったのだ。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 10月 1966 日本初の商用地熱発電所・松川地熱発電所が運転開始(昭和41年10月8日) IBC「いわてアーカイブの旅」第223回より。 松川地熱発電所は日本で初めての商用ベースの地熱発電所。 現在は東北電力系列の「東北自然エネルギー」が運営している。 地熱発電は原子力発電と違ってクリーンなエネルギーで、発電量もそれなりに大きいのであるが、「国立公園を開発できない」「温泉旅館経営者の反対… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 7月 1966 釜石・学校通りと一中を改築(S41.7.15岩手東海新聞) 釜石の中心街から鳥屋坂トンネルに向かう国道45号線は、トンネルが未開通だった当時は「学校通り」と呼ばれていたようだ。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 7月 1966 宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この時期、どこの市議会でも、速記の補助として録音が取り入れられていたが、そのうち、メインになるのではないかと思われていた。 しかし、そのためには、録音の切断や、雑音といった障害があるのだった。 そこで、宮古市議会の事務局長は、中央の速記者先に録音席を置き、机の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 5月 1966 釜石税務署管内長者番付(昭和41年5月1日) 昭和41年5月2日の岩手東海新聞より。 釜石税務署では、5月1日に長者番付を発表した。 1位は、釜石製鉄所の下請け会社の元持組の社長であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 4月 1966 道の真ん中を歩く危ない小学生(昭和41年4月7日) 昭和41年4月8日の岩手東海新聞より。 この時期,釜石警察署では、道の真ん中を歩く小学生たちに頭を痛めていた。 朝は、上級生や親たちのリードがあって学童歩道を歩くのだが、下校時になると上級生もリードしてくれないし、授業が終わった開放感で家に広がって歩くようであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1966 大槌病院が開院式(昭和41年3月2日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 県立大槌病院では、開院式を行なった。 まだ末広町にあった時代。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1966 ラバさん:政治に物言わないのは昔から(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 連載の4コマ漫画「ラバさん」では、街頭録音をネタにしている。 レポーターに政治への不満を振られても「別に…」と何も言わず。 しかし家に帰ると、大いに政治への不満をぶちまける。 まるで現在のTwitterではないか。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 3月 1966 宮古善意銀行の預託者が増える(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 宮古善意銀行では預託者が増えていることを喜んでいるという記事。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1966 釜石駅を鳥ヶ沢に移転!?(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石駅には移転問題があり、貨物駅と旅客駅を分離して旅客駅を鳥ヶ沢(釜石駅から山田線方面に行く最初のトンネルの辺り)に移転する計画もあった様だ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 2月 1966 大槌町消防団の消防演習(昭和41年2月28日) 昭和41年2月28日の岩手東海新聞より。 大槌町消防団は、第10回消防演習を町内で行った。 この日は雨だったようである。… 続きを読む
m県外・参考 11 1月 1966 岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) 昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 12月 1965 釜石二中で放火事件(S40.12.23岩手東海新聞) 昭和40年12月22日、釜石二中で放火事件が発生。 これは前日に続くもので、放火事件と断定して捜査が開始された。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 12月 1965 釜石・及新デパートがソ連東欧民芸品物産展示即売会を開催(昭和40年12月4日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートではソ連・東欧民芸品物産展示即売会を開催する。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 10月 1965 山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 10月 1965 国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 昭和40年は、5年に1度の国勢調査の年であったが、その国勢調査を集めて、岩手県庁での点検作業が終わり、東京の総理府統計局に積み出す作業が前倒しで終了した。 他県では、徳島県と埼玉県で積み出し作業が終わったと言うニュースが入っており、このままでいけば、全国で3番… 続きを読む