a政治・軍事

国道45号線鳥谷坂トンネルの工事順調(昭和41年11月4日) e釜石・遠野・上閉伊郡

国道45号線鳥谷坂トンネルの工事順調(昭和41年11月4日)

昭和41年11月4日の岩手東海新聞より。 沿岸部の大動脈である国道45号線の、釜石から北側を結ぶ鳥谷坂トンネルの工事は順調であった。 それまで、釜石から大槌方面に出るには橋上市場のところの大渡橋から甲子川沿いに北上し、曲がりくねった道を女遊戸を経由していなければならなかったのだ。   &n…
日本初の商用地熱発電所・松川地熱発電所が運転開始(昭和41年10月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日本初の商用地熱発電所・松川地熱発電所が運転開始(昭和41年10月8日)

IBC「いわてアーカイブの旅」第223回より。 松川地熱発電所は日本で初めての商用ベースの地熱発電所。 現在は東北電力系列の「東北自然エネルギー」が運営している。 地熱発電は原子力発電と違ってクリーンなエネルギーで、発電量もそれなりに大きいのであるが、「国立公園を開発できない」「温泉旅館経営者の反対…
宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日) d宮古・下閉伊郡

宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日)

昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この時期、どこの市議会でも、速記の補助として録音が取り入れられていたが、そのうち、メインになるのではないかと思われていた。 しかし、そのためには、録音の切断や、雑音といった障害があるのだった。 そこで、宮古市議会の事務局長は、中央の速記者先に録音席を置き、机の…
大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日)

昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗…
道の真ん中を歩く危ない小学生(昭和41年4月7日) e釜石・遠野・上閉伊郡

道の真ん中を歩く危ない小学生(昭和41年4月7日)

昭和41年4月8日の岩手東海新聞より。 この時期,釜石警察署では、道の真ん中を歩く小学生たちに頭を痛めていた。 朝は、上級生や親たちのリードがあって学童歩道を歩くのだが、下校時になると上級生もリードしてくれないし、授業が終わった開放感で家に広がって歩くようであった。    …
岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) m県外・参考

岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日)

昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年…
山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) d宮古・下閉伊郡

山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日)

昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。  …
国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日)

昭和40年10月21日の岩手日報より。 昭和40年は、5年に1度の国勢調査の年であったが、その国勢調査を集めて、岩手県庁での点検作業が終わり、東京の総理府統計局に積み出す作業が前倒しで終了した。 他県では、徳島県と埼玉県で積み出し作業が終わったと言うニュースが入っており、このままでいけば、全国で3番…
馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。    …
厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日)

昭和40年10月13日の岩手日報より。 盛岡駅の隣である厨川駅は、東側にしか駅舎はなく、西側に住む人は2キロ以上遠回りしなければいけなかった。 この年、都市化が進んで住宅や工場も増え、西口の需要は高まっていた。 その上、昭和45年には岩手国体も予定されており、県営陸上競技場が観武地区にできると言う時…
昭和45年の国体は岩手に誘致しましょう!(昭和40年10月11日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和45年の国体は岩手に誘致しましょう!(昭和40年10月11日)

昭和40年10月11日の岩手日報より。 盛岡駅前に設置された宣伝塔。 千田知事を委員長とする「岩手県国体誘致委員会」は。この10月中を「国体誘致運動推進月間」に位置付け、誘致運動を展開することにした。 日本体育協会は、昭和45年の国体開催地に関する会議を、この時国体が開催されていた岐阜県で行うという…
五葉山を日本一のシカ園にします!(昭和40年10月8日) e釜石・遠野・上閉伊郡

五葉山を日本一のシカ園にします!(昭和40年10月8日)

昭和40年10月8日の岩手日報より。 大船渡市では、野生のシカやサルが生息している五葉山を自然動物園にする計画を進めているという。   これは、五葉山のシカの研究をしている横須賀市博物館の柴田敏隆氏がこの年もフィールドワークの来るので、この柴田氏のアドバイスを受け、餌場を五葉山の各地に設置…